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短編集69(過去作品)

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 内容を見ると、恋愛小説だった。ただ、今までの先輩の作風とは違い、明らかにドロドロとしたもので、基本的には自分で経験したものや憧れを持っているものでなければ書けないと言っていた先輩の作品らしくない。
「これは?」
「はい、この作品は先日私のところに郵送で送られてきたんです。差出人も書いていない、どこの誰からのものなのかは分かりませんでした」
「この作品には、作者の名前もありませんが、これでよく名高先輩の作品だと分かりましたね?」
 原稿はもちろんワープロで書かれている。筆跡から誰のものなのかなど、分かるはずもなく、ゆかりが何を根拠に先輩の作品だと思ったのかが知りたかった。
「この作品を書いているところを、一度私は覗いてみたことがあったんです。もちろん、偶然でしたが、彼が学校の図書館でパソコンを広げて書いていたんですが、中座したのか、ちょうどいなかったんですよ。不用意に画面だけ出してですね。すぐに戻ってくると思ったので、あまり詳しくは見れませんでしたが、この真ん中あたりの部分を書いていたようでした」
 大学の図書館は、別にそこの大学の学生でなくとも出入りはできる。そのため待ち合わせに使われることも少なくなかった。
「先輩はすぐに戻ってきたんですか?」
「ええ、数分で戻ってきたと思います」
「その時の先輩の表情は? 和田さんを見て驚いていたとか?」
「そんなことはありませんでした。元々、その時は図書館で待ち合わせをしていましたので」
 どうにも先輩の作為的なところが見られる。自分の描きかけの作品を見られるのを、あまりいい気がしないのは、先輩に限らず誰もがそうだと思うが、特に自分の作品を大切にしている人はその気持ちが強いだろう。先輩もその一人だった。
 それなのに、人に見られて驚きの表情一つもないというのはおかしなことだ。まるで見られようとしてわざと席を外したのではないかと思えば、無記名の小説を差出人なしでゆかりに送り付けたのかが分かる気がする。
 だが、根本的なことが分からない。事実だけを見れば先輩の考えの意図がどこにあるのか、それが分からない。さらに、ゆかりがなぜこれを持って私のところに来たのかも分かっていない。
「これはいつ送られてきたんですか?」
「昨日ですね。学校から帰ってきて郵便受けを見ると、これが入っていたんです原稿。最初は差出人もないし、何だろうと思ったんですけど、内容が原稿のようだったので、すぐに開けてみました」
「それで、すぐに先輩のものだと?」
「はい、一度見た時に、インパクトのあるお話でしたからすぐに分かりました。その時に開いていたページには、不倫だとか、セックスという言葉が躍っていました。本当に目を疑うとはこのことなんでしょうね」
 淫蕩な単語であることに気付いたのか、ゆかりは顔を赤らめて、下向き加減になった。私がゆかりにいとおしさを感じたのは、その時が最初だった。それは後になってからもすぐに思い出せることで、ひょっとすると、この時から私はゆかりを好きになったのかも知れないと思った。
 それにしても、先輩がこんな小説を書いていたなんて、想像もつかなかった。これは先輩が経験しているか、それとも憧れているかのどちらかではないだろうか。もちろん先輩が以前に話していたように、
「俺の小説は、経験か憧れを形にしているのが、今の書き方だからな。本当は、もっと想像力があればいいんだが」
 という言葉を信じればということではあるが、この話を聞いてから、まだ二か月ほどしか経っていない。それを思うと、そんな短期間で簡単に想像力が生まれてくるとは思えない。
 小説も中途半端な内容だとはいえ、ところどころの描写は、経験からしか書けないように思えた。なぜなら、まったく不倫の経験のない私までが、読んでいて実際に不倫経験があるかのような錯覚を覚えたからだ。そこまで感じさせる内容なのだから、説得力は誰にも負けないだろうと思えた。
 先輩が失踪した影に一人の女がいるのではないかという疑念を最初に抱いたのがゆかりで、それを一番分かってくれると思ったのが私だったのだろう。だから、ゆかりは私のところにこの原稿を持ってきた。
 しかし、それでも確信が持てないのに、勝手に人の作品を他人に見せるということに少し躊躇もあったに違いない。ゆかりが先輩の作品と思しき小説を私のところに持ってくるのが遅れたのは、そんな微妙な心境が渦まいていたからなのかも知れない。
「名高さんは、金沢という土地に興味を持っているようでしたよ」
「兼六園に行ってみたいと話しているのを聞いたことがありましたね。ただ、他に興味を持っているわけでなく、そこまで金沢という土地に執着しているとは思えなかったので、深くは考えませんでした」
 先輩が金沢にいるのではないかというのは、あくまでもゆかりの想像でしかない。ゆかりの様子を見ていると、金沢に先輩を探しに行こうとでも言いたげだった。私としても先輩に対しての気持ちは強いものがあるが、それは尊敬の念が強いということで、そこまで義理堅いわけでもない。
 さらに二人が探しに行っている間に、ひょっこり戻ってくるということもありうる。行き違いも十分にありえるということだ。ここはどちらか一人が残るというのが一番得策ではないかと思えた。
 私が先輩に対して抱いている尊敬の念は、義理堅いものというわけではない。どちらかというと、お互いのプレイバシーは守り、相手の領域を侵害しないようにしようというのが暗黙の了解のように思えた。
 私はしばらく悩んだ。
「私は名高さんを探しに金沢に行ってみます」
 という言葉を聞いた時、それまで感じていた、この場にとどまるという発想に陰りが見えた。
――和田さんと一緒に出掛けたい気分になってきたな――
 必死に探そうとしている先輩に対しての嫉妬は、ゆかりが私を見つめる目の中に見た時に生まれたものだ。
――ここまで相手を慕っているというのは、悔しいものだ――
 相手がいくら尊敬する先輩でも、いや尊敬するがゆえに、
――それとこれとは別なのだ――
 と思いたいのだ。
 私はゆかりと一緒に金沢を訪ねる決意を固めた。
 ここから金沢までは、在来線の特急列車で四時間ちょっと、日本一と言われる琵琶湖を右手に、それが終われば左には日本海が広がってくることだろう。金沢は以前から行ってみたい土地であったが、今回は単純な観光旅行ではないのが残念だった。
 列車が進むにつれ、変わりゆく景色に、私は次第に金沢という土地が私たちを、何事もなかったように迎えてくるのを予感した。先輩を探すという目的を持っているが、それとは別に、まるで母の懐に飛び込むような安心できる感覚を味わうことができそうな気がした。
「きっと、名高先輩が見つかるような気がするんだ」
「ええ」
 と金沢という土地に抱かれる気分を味わいながら、表に見える琵琶湖を眺めていた。だが、これから向かう金沢では何を見つけることになるのか、不安がないわけではない。今はまだ穏やかな琵琶湖の光景だが、琵琶湖が見えなくなると、いよいよ荒波の日本海である。
――日本海を見るとお互いにどんな心境になるのだろう――
作品名:短編集69(過去作品) 作家名:森本晃次