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短編集69(過去作品)

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 人の心の中にだけ存在するものであって、ただの創造物だと思えなくもない。ただ、中国という国は、知れば知るほど、得体の知れない魅力と怖さに包まれる。桃源郷の発想も、魅力を感じるよりも、恐怖の方が私には大きい。一旦入り込んでしまうと抜けることができず、そもそもこちらの世界とはまったくの別世界である。
 そんな世界に入り込んで、今まで作り上げてきたものをすべて捨てる形になるのが恐ろしい。
 こっちの世界で作り上げてきたと言っても、本当に自分のために作り上げてきたものなのかも疑問だ。自分が作ったと思っているものは、まわりからの影響を受けることで、歪んでしまっていることもあるだろう。それがまわりの人たちによって作られたものなのか、知らない世界の影響で作らせたものではないかとも思えた。
 こちらの世界で起こったことが知らない世界でも影響していて、それぞれの世界で存在する自分が微妙に影響を受けていると考えると、桃源郷という世界は、そのどこからも影響を受けず、理想郷をただ築き上げているだけだと思うことで、それだけでも大きな魅力であるに違いない。

 穢れなき
  強き心に唯人の
   惑わせたるは別世なりけり

 先輩が以前から桃源郷を気にしていたというのは、小説を読んでいれば分かった。まさか自分から探そうなどと思っているとは想像もつかず、書いていた小説を世かい意味もなく読んでいた。
 先輩の描写は独特で、知らない世界であっても、まるで見てきたかのような迫力を感じる箇所がある。
 箇所があるだけで、全部が見てきたかのような描写ではないところが微妙で、すべてが見てきたかのように描かれていたら、きっとウソ臭く見えてしまうかも知れない。そう思わせないところが先輩の技法であり、それは性格的なところからも現れていた。
 サッカーをしている時は気付かなかったが、なるべく自分が表に出ないようにしていたのはところどころに垣間見られた。しかしキャプテンでしかもストライカーとして、目立たないわけにはいかない。相手チームへの威喝というだけではなく、自分のチームの支柱でなければいけない。絶えず中心で輝いていたのだ。
 ただ、それは自分から進んで行うことではなく、先輩のオーラがまわりを動かし、先輩を中心に置く。カリスマ性というのは、そういうところから生まれてくるものなのではないだろうか。
 小説の世界は個性を表に出すことができる。自分を控えめにしようと思えばいくらでもできるのだが、先輩はいくら控えめにしても、文章の中にオーラが含まれていて、
――どんな人の作品にでもオーラは存在する――
 と思わせるのだ。
 先輩だからオーラがあるというわけではない。平たくいえば、オーラが個性であることを先輩の小説は教えてくれる。個性は誰もが持ち合わせているもの。ということは、オーラも誰もが持ち合わせていると言えるだろう。今まで先輩の背中を見つめてきた私だからこそ分かることであるが、他の人でも違う発想から、同じ結論に行きつく人もいるに違いない。
 時には自分の気配を消すことで、作品を引き立たせるということもあった。作者の存在が大きければ大きいほど、作者の意図した作品とは違うイメージで受け取られることが往々にしてあったりする。それを思うと、先輩の作品には先輩ならではという内容ではないものがいくつかあり、まわりを驚かせる。
 それだけバラエティが広いというころでもあるし、小説を書くということが、創造することであると考えるならば、その人の性格に反するものであればあるほど、奥が深い感じがするというものだ。
 私も自分の性格に反した作品に何度挑戦したことだろう。しかし、しょせんは殻を破ることができない。夢と同じで、
――潜在意識をぶち破ることはできないのだ――
 という発想が頭の中で渦巻いているのかも知れない。
 それでも挑戦を忘れないのは、自分の中にある潜在意識が自分で嫌だからなのだろう。記憶の中に自分の気に入らないものが残っていて、ぶち破ることで、それが何かを見つけようとしているのだ。
 子供の頃から記憶の途中がどこかで欠落している気がしていた。記憶の欠落は、嫌な思い出が残っているから起こっているに決まっていると信じて疑わない自分がいるが、子供にとっての記憶がどれほどのものかと、中学時代まではあまり気にしていなかった。
 だが、子供の頃の記憶こそ、自分の形成されている性格のほとんどを形作っていると思うと、バカにするものではない。子供の頃だからこそ純粋で、自分を顧みることのできる世界に記憶がとどまっていることだろう。
 確かに子供の頃は苛められっこだったこともあって、思い出したくない記憶がたくさんある。そんな悲惨な記憶の中に間違って紛れてしまったのであろうか?
 それでもほとんどの記憶は思い出したはずだった。記憶が少しでも欠落していると、繋がらない部分が多く出てきて、ある一点から前がまるで遠近感が取れないかのように時系列がめちゃくちゃになっているかも知れない。
 時系列が記憶を司るカギであることには違いないが、非系列のみがカギではないだろう。むしろ繋がっていない方が、記憶に含みを持たせ、本当に感じなければいけなかった意識が記憶を紐解くにしたがって現れてくるものではないだろうか。半年前のことがまるで昨日のことのように思い出されることがあるが、その記憶は私にとって、思い出すべき時に思い出した記憶なので、まるで昨日のことのように思えるのかも知れない。
「記憶ってさ、意識していると、なかなか思い出せないものだよな。俺は記憶はそんなに悪くないと思っているのに、不意に誰かに聞かれたりすると、急に忘れてしまったりするんだ」
「えっ」
 以前話した、名高先輩との会話を思い出した。
――何をすっとぼけたようなことを――
 と、思わず相手が名高先輩であることが信じられないくらいだった。
「何を驚いているんだい?」
「何をって、それは誰でも同じことですよ。先輩に限ったことじゃありません、僕なんてすぐに頭の中がパニックになっちゃって、まともに答えられなくなっちゃうことも少なくないですよ」
「そうなのかい? 俺だけだと思っていたよ。だから、俺はいつも人から記憶の奥にしまっていることを聞かれるのが嫌だったんだ。前についての話しなら任せてほしいって思うんだけどね」
 そういえば、先輩と以前かかわったことに関して話をしたことはなかった。ならないような雰囲気に持ち込まれるというのか、先輩も私が自分に一目置いていることが分かっているので、誘導しやすいのだろう。
「記憶って繰り返される気がするんだ。だから、俺はあまり意識していないんだ」
「それって、意識して覚えていることが繰り返されるということですか?」
「そうだね、だけど繰り返した瞬間に、繰り返した過去の記憶が消えてしまう。一瞬の記憶喪失ではなく、一か所穴が開いた感じかな? でも、穴が開いた意識はないので、記憶の長さがどれほどのものか、その長さによって、本当に記憶が欠落したんじゃないかって思うんじゃないかな?」
作品名:短編集69(過去作品) 作家名:森本晃次