短編集69(過去作品)
私などは、仕事をしていても一つのことを始めると、まわりが見えなくなる性格で、コツコツとこなす分にはいいのだろうが、それが果たして仕事上いいことなのかと言われると、自分でも疑問に思えてくる。
聖子さんは背が低いので、カウンターの向こう側にいると、こっちが見下ろすようになってしまう。スナックというところは、カウンターの向こう側は、少し低くなっている。逆は椅子に座っていて、店側の女の子は立っているのだ。同じ高さであれば、客を見下ろすことになる。そうならないようにと店側は低くなっているのだ。
聖子さんに限ってはそんな心配はない。逆に低すぎてカウンターの奥に埋没してしまいそうなくらいだ。だが、私はそれでもいいように思う。聖子さんの魅力は見上げた時のはにかんだような笑顔だった。最初に気が合うかも知れないと感じたのも、その笑顔が一つの原因だったのだ。
八時を過ぎると一通りの用意ができたのか、ホッとした雰囲気で、カウンターの私の隣に腰かけた。
「本当はいけないんでしょうけどね。誰もいないから」
といって、私の隣でホッとしたような溜息をつく。
聖子さんが私の隣にいる時間は数分のことだが、私にはもっと長い時間に感じられた。会話があるわけではなく、安心している聖子さんの顔を見ているだけで満足だからだ。これこそが贅沢な時間の極みかも知れない。何か話しかけようと思っても、話しかける言葉が見つからない。ただ、安心してくれているのが嬉しいのだ。
カウンターを見ると、聖子さんがいたスペースが広く感じられた。誰もいないカウンターの奥にあるショーケースが小さく見えるくらいだ。その日も薄暗いカウンターに影を感じたが、その影が広さを感じさせるのかも知れない。
気が付くと、新しい客が入ってきていた。
――せっかく二人きりだったのに――
と思い、その人を見つめると、こちらの視線など気にしていないのか。奥のテーブル席に腰かけた。身体が小さいうえに、背がちょっと曲がっているので、さらに小さく感じられた。
少し気になったので眺めていたが、男はテーブル席に座るとおもむろに持っていたカバンの中から本を取り出し読み始めた。誰も寄せ付けない雰囲気が漂っており、却って気になって仕方がない。
「常連さん?」
「ええ、時々来るんだけど、確か曜日は不定期だと思うわ」
二人は聞こえるかも知れないと思いながらも、ひそひそ声で話した。
場末のスナックなどではよく見る光景なのかも知れない。スナックに通うことなどなかった私は、その男の存在を意識しないようにするよう心掛けたが、それこそ意識している証拠であって、なるべく視界から外す努力だけはしていた。他の客が来ることを期待したくらいである。
――まさか他の客が来るのを期待することになるなんてな――
と苦笑いをした。苦笑いをした瞬間、ハッとして男を振り返ると、男も笑っていた。
思わずゾッとしてしまったが、すぐに男は笑うのをやめた。笑った顔には白い歯がやたらと目立っていて、それだけ顔が暗いのかも知れない。こんな状態で聖子さんと話をするわけにもいかず、聖子さんはカウンターに戻り、客がキープしてあるボトルを探していた。
すぐにボトルは見つかった。すぐに見つかるということは、最近も来たのだろうか? ボトルには、「ハッサン」と書かれている、その男のあだ名なのだろうが、苗字か名前から来ているのだろうと勝手に思った。
聖子さんにとってあまり馴染みの客ではないことは、接客を見ていれば分かる。
――この店に来る目的って何なのかな?
と思わせる。
私が聖子さん目的で来るように、誰か馴染みの女の子がいるのだろうか。聖子さんの話では不定期だという。ということは馴染みの女の子がいるというのは少し違っているように思う。
いつも同じ席に座る人は雰囲気で分かる。それは自分も同じように同じ席ばかり座るからだ。一番大きな理由は、その場所から見る景色が気に入っているからだろう。同じ景色が好きだということは、全体の大きさを感じていなければ、同じ景色にこだわることはない。
一つの景色を見つめている時、時間を飛び越えたような気分になるのは私だけだろうか? 以前に見たのがいつだったか曖昧な時でも、その景色が目に入ってくれば、以前というのが瞬きの間だと思うくらいに瞼の裏に残像が残っている。しかも光も影も、すべてが同じであれば余計にそう感じる。錯覚の部分が大きいと思ってもその間に割り込んでくるものが時間ではないように思えてならない。
また、もう一つの理由としては、どこの店に行っても、同じスペースを確保してしまうくせがあることだろうか。他の店と比べてみて、全体に感じる大きさとのギャップがどれだけあるのかを考えようとする人だ。
私もその類かも知れない。他のポジションだとどうにも嫌だ。店の中ではないが、私は電車に乗れば必ず窓際に座る。指定席を取る時でも、必ず窓際を指定する。車窓が好きだというのも理由の一つだが、車窓が見えなければ、恐怖を感じるということがある。
人間の三大恐怖症として「閉所」、「暗所」、「高所」というのがあるが、車窓を見ていないと我慢できないのは、最初の二つが影響しているからかも知れない。特に感じるのは、日差しをまともに浴びると、他の客はこぞってブラインドを下ろそうとする。しかし、私はブラインドは絶対に下ろさない。動いている電車で表が見えないのが気持ち悪いからだ。
特に乗り物は揺れている、揺れている密室で表が見えないというのは、閉所恐怖症のようなものではないだろうか。要するに怖がりなのである。
「石でも飛んでいたらどうしよう。まさかミサイルが飛んでくるなんてことないよな」
子供の頃の発想は極端である。どこからミサイルなどという発想が生まれるのか自分でも分からない。これが小学五年生の時の発想だ。
子供っぽい発想であるが、ミサイルともなると、当時の世相を反映している。子供の発想としては、世相を反映させるなど、何ともませた子供だったのだろう。もっとも、飛んでくるところが見えたとしても、手遅れではあるが、それでも何も見えず知らないうちにミサイルで吹き飛ばされていたという発想が怖いのだ。何も知らずに吹き飛ばされていたという発想を思い浮かべた時、ミサイルで吹き飛ぶ瞬間を想像できる、これが飛んでくるところが見えたとすれば、想像できない。それだけ、想像できてしまうことがどれほどの恐怖を煽るか、それが私には気持ち悪かったのだ。
電車の揺れはさらに心地よさを誘う。特に私はすぐに眠くなるのだが、窓際ではなく通路側ではさらに睡魔に襲われる、車窓が適度の刺激になり、眠気が誘ってこないのだろうが、通路側から見える車窓が睡魔を誘うのだ。スピードと通り過ぎていく景色のスピードの微妙な違いが眠くなる要因となっているようだ。
学生時代に旅行に出た時、一人の男性が窓際に座っていた。ローカル線でしかも昼間の時間、列車も二時間に一本というまさに秘境ともいえる路線だった。
その男からは暗さが滲み出ていたが。自ら発する暗さというよりも、まわりが彼を暗くしているような雰囲気だった。
「何かに追われているんだろうか?」
そんな雰囲気だった。
作品名:短編集69(過去作品) 作家名:森本晃次