短編集69(過去作品)
夜中も寝ていて汗が溢れてくる。夜中に目が覚めてからはなかなか寝付けず、気が付けば十分おきくらいに目が覚めて、これでは熟睡などできるはずもない。起きなければいけない時間いなってきても、目が覚めるわけではない。それでも以前は頑張って目を覚まそうとしていたが、最近は気力もなくなってしまった。
喉の渇きはひどいもの、書いた汗の分寸分を補強しようと思えば、どれほど飲まなければいけないのだろう。そんなことを考えていると、耳鳴りも聞こえてくる。
それでも何とか目を覚まし、頑張って出かける。誰もいない部屋で一人目覚め、頑張って起きなければいけないのは結構辛いものがある。精神的な余裕のない朝、気が付けばすぐに出かけなければいけない時間となっている。
会社までが電車通勤なのがよかったのか、事故を自分で起こす心配のないことだけが幸いと言えるだろう。
体調不良を訴えたことのなかった私は、健康診断で、やはり胃の検査の指示が出た。胃カメラを飲むことになるのだろうが、胃カメラなど今まで一度の飲んだことはない。
身体を見られることに極度の恐怖を感じた。今までだったら、もし検査と言われても、
――痛いのは嫌だな――
という程度だったのに、痛いことよりも人から体の内部を見られることの方が怖い気がしたのだ。
まるで何かよからぬことを宣告される気がしたのだ。それも病気とかという意味ではない。
子供の頃に見た特撮ヒーローものの番組で、サイボーグの主人公が、身体を壊し、主人公がサイボーグだとは知らないまわりの人間は、当然のごとく病院に行くことを勧める。
当然、主人公は拒む。自分の秘密を知られたくないという気持ちが強い。知られてしまっては、せっかく悪に自分がサイボーグであることを知られていないのを公表することになる。
彼は普段は人間と同じなのだが、アクションを起こすことで、サイボーグとしての機能を最大限に生かすことができるという
「ありがちなシチュエーション」
であった。
彼は何とか自分の秘密を守りとおしたが、ここでバレてしまっては、物語の終焉が違いことを知らせるのと同じであろう。
私はその話を思い出した。子供の頃に見ていた時は、自分を主人公にダブらせて見ていたので、今の自分の状況があの時のことを思い出しているかのようで、分からないでもない。
子供番組を大人になって思い出すということはえてしてあるものだ。特に私は子供の頃、よくテレビを見ていた。ゲームに夢中になる友達が多い中、私はテレビを見る方が好きだった。
「頭を使うことが嫌いだったからかも知れないな」
遊びとはいえ、ゲームは頭を使うものが多い。その点、テレビというのは、入ってくる一方で、入ってきたものをいかに解釈するかというだけのものだ。特にテレビを見ていても、よほど興味のある番組でもなければ、真剣に見てはいない。ましてや内容を覚えているということもない。
それでも頭の隅にあるものなので、何かの拍子に思い出したりする。自分の身に起こっていることであれば、意識が勝手に結びつけてくれるようだ。
ひょっとすると忘れているのではなく、覚えていて意識がないだけなのかも知れない。だから大人になった今でも思い出すことがあるのではないだろうか。それが今であり、これからも起こることになるのかも知れない。
テレビドラマの中には耐えている主人公を美化するものが多い。日本人独特の「判官びいき」というものであろう。貧しさに耐えたり、出生の秘密に隠された悲劇の主人公、私はそんな番組を見るのが嫌いだった。
聖子さんのことが好きになった私は聖子さんの言葉を思い出していた。
「好きにさせてくれる人を待ちわびている」
と言っていた。
今その言葉をかみしめているが、二つの意味が考えられる。
聖子さんの中には二人がいるように思ったのはこの言葉からだった。二重人格というのとは少し違っているような気がした。二重準核は片方が表に出ている時は片方は隠れている。聖子さんの場合は二人とも表に出てこれるように思うのだった。
「好きにさせてくれる人……」
それは、頭につく言葉が見明に違うだけで、全然違う意味になるのだ。
「私を……」
と、
「私の……」
この二つは「てにをは」が一文字違うだけだ。それなのに受け取る意味はまったく違ってくる。聖子さんには絶えずそんなイメージが付きまとうのだ。聖子さんはもう一人の自分の存在を知っているように思える。しかし、もう一人の自分のその裏にもう一人が潜んでいることまでは気付いていないだろう。
「好きにさせてくれる人」
という言葉の意味は、本当であれば、自分がその人を好きになるように仕向けさせてくれる相手という意味が含まれている。頭に言葉をつけてしまっては、その意味が隠れてしまうように思えるのだ。ただ、その言葉は頭につける言葉がどちらであっても通じるのである。隠れているが、汎用性があるのだ。
聖子さんという女性を好きなようにさせてくれる女性、そして彼女が好きになるように仕向けさせる男性、それは、彼女の性格を分かってあげられる人でなければ成立しないであろう。
「私であれば……」
真剣に考えるようになった私は、聖子さんも同じことを思っていてくれているに違いない。坂口にもストーカーになってしまった男などに分かろうはずもない。
「好き」という言葉、私を縛り離れられないものになってしまうのは分かっていても、私にはどうすることもできない……。
( 完 )
作品名:短編集69(過去作品) 作家名:森本晃次