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短編集69(過去作品)

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 と言って、それ以上は何も言わず、ホテルのゲートをくぐると、部屋までは無言のままで時間という空気が穏やかに流れていた気がした。私の腕にしがみつく聖子さんは、顔を埋めているようで、可愛らしさがこみ上げてきたのだ。
 聖子さんは部屋に入ると積極的だった。私の胸に顔を埋めてきた。埋めてきた顔をしばらく上げることもなく、
「しばらく、こうしていていいですか?」
 と、小さな声で言った。顔を埋めていることで、声は私の胸に響き、小さな声ではあるが、胸に響く声は心地よさを呼び、部屋全体に響いたような気がした。
 私が耐えられず、聖子さんをベッドに押し倒す形になると、彼女は私を羽交い絞めにするようにしがみついてきた。抵抗する様子など、ありえなかった。
 私が抱きしめると聖子さんは自分から服を脱ぐと言って、立ち上がった。服の上からでは分からなかったが、思ったよりもグラマーで、なるほど、最初に抱きしめた時、身体が熱くなるのを感じたと思った。
 私はそれまでにも女性と身体を重ねたことがあった。初めての時は風俗だったが、それでも私には忘れられない体験になった。
 二人目からは、彼女になった人が相手だったが、彼女たちはそれぞれに特徴があった。
 従順な女性を求めている私だったが、中には何でも平等でないと我慢できないという女性もいて、それが普通なのかも知れないと感じ、私も合わせるように付き合っていたが、そのうちに相手から別れを切り出され、ビックリさせられた。
――こっちから付き合ってやってると思ってたのに――
 というのが私の本音だった。相手からすれば、別に高圧的な態度を取らなくても、私の上から目線が気になったのかも知れない。
 もちろん、私にそんな意識があったわけではない。勝手に相手がそう判断しただけだと私は思った。しかし、彼女の意思は頑強で、相手から去られることに私の中のプライドが傷つけられたのも事実だった。
 また、相手が高圧的な女性とも付き合ったことがあった。私は決してMではないと思いながら、彼女と一緒にいりと安心感を抱くのだ。相手の言うことをそのまま聞いているだけでいいのだから、精神的には楽である。しかし、肉体的には恥辱にまみれ、プライドを一度捨てなければやってられない。そんな気持ちになることで、私はいつしか、彼女に対しても、
――付き合ってやっている――
 と思うようになっていたのかも知れない。
 それだからであろうか、今度もやはり彼女から去られてしまった。こっちの思いが相手には筒抜けになっているようで、特に男女間では、私の思いは相手に手に取るように分かってしまうのだった。
 だが、実際には男女間だけのことではなかった。会社では皆それぞれ気を遣っていて、分かっていることでも相手に面と向かっては言わない。それがマナーであると思われる。本当は行ってあげた方が親切になることもあるかも知れないが、それもマナー優先となってしまう。それを言えるのは、本当に気心の知れた相手だけであって、会社内だけの関係の相手で、そこまでの人はまずいないだろう。
「やっぱり会社の中では皆敵。お互いに相手を探り合いながら付き合っているんだろうな」
 と思うようになっていた。当たらずとも遠からじであろう。
 私は本能という言葉は嫌いではなかった。学生時代から、本能こそが、その人の本性であり、
――本能をバカにするのは、自分を否定するのと同じ――
 とまで思っていた。
 学生時代の友達とは、本能論で盛り上がり、よく友達の下宿に泊まり込んで、酒の肴に夜を徹して話をしたものだった。
 彼の話は私とは微妙に違っていたが、それでも話が合った。坂口は私の本能論には反対だったようだが、それを口にすることはなかった。坂口は余計なことをあまり口にしないタイプで、無口なところが私との共通点だった。私も本能論を戦わせる友達以外とはあまり話をすることはなかった。きっと子供の頃の対人関係に対するトラウマが残っていたからに違いない。
 本能とは、自分が考えていることを単純にそのまま行動することのように思われ、歯止めのないという感覚であまりいい意味に取られないことが多いようだ。しかし私の中では本能こそが、理性を作り上げ、本能なくしてありえない理性の存在も大切なものだと思っている。
 人間には限りない欲がある。限りないというのは果てしないという意味とは少し違い、果てがある限りなさである。
「限りなく……に近い」
 というイメージであろうか。
 以前小説で、
「限りなく愛に近い」
 というのを読んだことがあった。恋愛小説かと思ったが、内容はホラーだった。恋愛に近いホラーで、それこそ、
「限りなく恋愛に近いホラー」
 だった。ひょっとすると、タイトルは、最後に出てきた感想を彷彿させるための作者の思惑が全面に出ていたのかも知れない。そう思うと、まんまと私も作者の策略に嵌ってしまったことになるのだろう。
 織田信長が謀反にあって死んだ場所、有名な「本能寺」であるが、これも何かの縁なのか、信長ほど本能のままに生きていた人はいないと思う。やりたい放題に見えて、ち密な計算、さらには的確な判断力、天才的と言われる戦術。もちろん信長一人にできたわけではないが、それも信長の仁徳により集まってきたまわりの人間の才能でもあろう。
 才能は一種の本能とも言えよう。意思がなくして才能も芽生えない。自分の才能に気付かぬまま生きていく人も少なくないだろう。それを思うと歴史を勉強するのは決して自分に損はない。私は学生時代にはあまり好きではなかった歴史だが、今は本を読んだりするのが楽しくなっていた。同じ歴史でも時代の流れから見るもの、いわゆるターニングポイントを絞るわけだが、平たくいえば、事件や事実の観点からっ見るものだ。またもう一つは一人の人物に絞って見る見方。これは、それぞれの立場の人を見ることによって、同じ事件でもまったく違った角度から見ることができる。そう、まるで鏡の向こうから見ているような感覚になるに違いない。
――信長は、鏡の向こうの人間なのかも知れない――
 と思ったこともあった。
 本能寺での死を彼が知っていたのではないかと思うからだ。
 彼が最後に舞ったと言われる「あつもり」、いわゆる「人間五十年」と言われる舞であうが、信長が死んだ本能寺でのは、死では彼が四十九歳だったということだ。
 五十まで生きていれば、彼は天下を取っていたかも知れない。「第六天魔王」と言われる彼には、
「天下を取れずに死ぬなら、四十九歳で死ぬことになる」
 という予感があったとすれば、志半ばで死ぬのは無念であっただろうが、彼にとっては、自分の運命として受け入れる心の準備もあったかも知れない。
 歴史では彼の本能寺での死を、
「戦国時代最大のミステリー」
 として位置付けているが、それも間違いではないだろう。だが、ミステリーと言われるゆえんがどこにあるのかを冷静に考えると、私は信長の死が四十九歳であったことのミステリーに注目してみたい。
作品名:短編集69(過去作品) 作家名:森本晃次