短編集69(過去作品)
苛める側もそれなりに逃げ道を用意しているのかも知れない。いざとなれば誰かを身代りにして逃げ道を模索すればいいのだ。私が自分のことを「鉄砲玉」だと思ったのは、逃げ道の盾にさせられていることを予想していたからだろう。やつらからすれば、いつ何時、自分に矛先がまわってくるかをビクビクしながら想像しているのだろう。
矛先を捻じ曲げるのは彼らにとっては得意としているところだと思う。自分たちが一番上から見ていると思っているはずだから、全体が見渡せる。だが。見渡せるだけに自分がどこにいるのかもすべてが見える。となると、自然と見たくないものまで見えてしまうことになる。それほど嫌なこともない。
――見たくないものとはなんだろう?
普段は見えないもの、見てはいけないもの。見たくても見れないもの。それぞれで見え方も違ってくる。言えないものとしては、自分の顔がある。鏡であったり、何かに写さないと自分の顔を見ることはできない。それは見たくても見れないものと同意語という見方もできる、自分の顔もある意味ではそうである。自分の顔を見ることは、見たくないと思う時、見たいけど見れないと感じる時、それぞれの面を持っている。自分の顔は勝手には見れないということになるのではないだろうか。
苛めがそれほど陰湿なものでなかったことが私の中のトラウマを最小限にとど
められたのかも知れない。ただ、いじめをやらされたという厳然たる事実は、消せようがないからである。
私の立場は、苛める側、そして苛められる側を両方経験したことになる。しかも同時に経験させ得られたのは、苛める側の気持ちも苛められる側の気持ちも分かるのと同時に、それぞれからは、
「俺たちの気持ちがお前には分かるまい」
と思われていたように感じている。中途半端な立場なのだ。
「俺だって、自分で望んでこんな立場になったわけじゃない」
と言いたいが、これを言えないところに私の辛さがあった。
しかも、同じ立場の人が誰もいないことで、相談したり話をしたりすることなどできない。そして彼らのセリフを借りるならば、
「俺の気持ちがお前たちに分かるか」
と言いたいのだ。私は苛める側、苛められる側の間に立って、それぞれのジレンマを抱えることで、余計に辛い思いをさせられることになる。
トラウマとなってしまったのも仕方がない。そんな私も中学に入ると苛める側とも苛められる側とも縁が切れるようになった。また端の方にポツンといる立場になったのだが、どれほどホッとした気分になったことか。
対人恐怖症、人間恐怖症、さらには自己嫌悪と、さまざまな精神的な病を抱えていた少年時代だった。
「また子供の頃からやり直したい」
という人もいるが、それは少年時代にトラウマを持っていなかった人が考えることなではないかと私は思う。実際にトラウマを抱えてしまうと、もう一度あの場所に戻ろうなどと思いもしないだろう。もし、戻ったとして、同じ環境で、違う道をやり直す自信は私にはない。それほど深い傷だったように思う。
ストーカーから追われている女性を結局、助けることはできなかった。
その後で、彼女のことを心配していたという会社の同僚が、さっそうと現れて彼女を抱えるようにして家まで送り届けた。そして、その同僚が実は私の高校時代の先輩だったことで、余計に私は自分が惨めな思いに陥るのを感じてしまった。
小学生の頃に感じ、それまで忘れていた自己嫌悪をまた思い出したのだ。忘れていたというよりも、わざと思い出さないようにしていた。
「嫌なことは思い出さないようにすればいい」
というのを、私は生活の知恵として会得したような気分になっていた。そのせいもあってか、忘れてはいけないことまで忘れてしまって。
「覚えられない性格」
だと、訳もなく思うようになっていた。
忘れようとするならすべてを忘れてしまうという不器用な性格は如何ともしがたく、結局損をするのは自分だけだったのかも知れない。覚えられないのも忘れてしまっているからだという簡単な理屈も自分で理解できないでいたのだ。
――本当は分かっていて、どうしようもないことは分からないことにしているだけなのかも知れない――
と自分で思うようになっていた。そういうふうに言い聞かせていたのかも知れない。いい聞かせることで納得できていれば意識にもあったのだろうが、意識できないことで、私は分かっていないと思っていたはずだ。
聖子さんがストーカーに遭っているというのは、私に汚名返上のチャンスが訪れたのか、それとも、またしても自分を惨めにするだけのことなのか、自分でも分からなくなっていた。以前と同じように、自己嫌悪はすでに消えていて、記憶から呼び覚ましたくないと思っていることがよみがえってきたのだ。
――余計なことを――
と自分の立場を恨んでみたりもした。だが、今度はハッキリと好きになった人が困っていることなのだ。他人事ではない。ひょっとすると、聖子さんを好きになったのはストーカーに狙われるような雰囲気を醸し出している女性だったからなのかも知れないと感じたのは思い過ごしであろうか?
聖子さんの気持ちを考えてみた。スナックに勤めていると、中にはストーカーになるような人も現れるかもしれない。それでも聖子さんは普段と変わらずに勤めている。決して明るくはないが、ほのぼのした雰囲気は聖子さん独特のもので、癒しを感じている人は私だけではないかも知れない。ただ、その癒しがほのぼのしているだけに、気持ちの高ぶりを感じさせず、どこかはぐらかす感覚になっている。そのために、もし聖子さんを好きになった人がいたとすれば、焦らされているという気分になるのも無理のないことなのかも知れない。
だが、それは犯罪である。自分勝手な理屈で相手を蹂躙しようという行為に他ならない。男としても人間としても最低の行為であろう。何もできない相手に対し、優位に立つことだけで、自分の存在を相手にアピールする。卑劣なだけでなく、何とも情けない状況を作り出しているのではないだろうか。
私にとって聖子さんの存在が大きくなっていくと、聖子さんの中でも私への気持ちをあらわにしてくれるようになった。
恥かしく
広げたるは心根の
快楽貪る本能いずこへ
ホテルに最初に誘ったのは聖子さんの方だった。デートの真似ごとのようなことを何度か重ねていたが、その日はそのまま聖子さんは出勤し、時間を置いて私が店に現れるという予定だった。表で会っているのはママさんなどには公然の秘密になっていたが、せめてものマナーとして、同伴での出勤だけはやめておこうと二人で話したのだ。
最近ではデートをした日に私が店に行かないこともあった。照れ臭さもあるのか、逆に店で会うと変な意識をしてしまうからだった。だからと言って店に寄り付かなくなったわけではない。違う日に立ち寄ればいいことだし、聖子さんとばかり話をするのも照れ臭く、他の女の子とも普通に話せるようにもなっていた。
ホテルに誘われたのは、そんな時であった。
「私、乾さんをもっと知りたいの」
この言葉が私の気持ちを決定的にした。
「僕もですよ」
作品名:短編集69(過去作品) 作家名:森本晃次