異次元の辻褄合わせ
元々あまり人と接することのなかったあいりは、人付き合いがうまいはずもなく、静香と話をしている時は、話の主導権は絶えず静香にあり、自分はその流れに乗っていればいいだけだった。
そのことを自覚していたわけではないあいりは、主導権を自分が握っていたわけではないとは思っていたが、相手が誰であっても、うまく対応できると思っていたのだ。
それが間違いであると気付いたのは、一人になってからだ。
最初は誰か話し相手がいないと寂しいという思いが強かったが、その状況に慣れてくると、今度は、
――一人の方が気が楽だわ――
と思うようになった。
一人でいる時のあいりは、絶えずまわりに対して意味不明の対抗意識のようなものがあったのだが、その正体が何なのか、そして気持ちのどこから来るものなのかがまったく分かっていなかった。
そんなあいりが引っ込み思案の相手に対しても話ができるようになったのは、彼氏ができたからだった。
彼氏と言っても、時期的には一瞬で、相手もどう考えていたのか分からない状態で、しかも最後は自然消滅だった。
そんな相手を彼氏だとして自分の中の彼氏歴に入れてしまっていいのか迷うところだが、あいりは敢えて入れるようにした。
どんな相手であっても、自分に何かの影響を与えた相手であれば、男性であれば、それを彼氏と呼ぶことにしようとあいりは思っていた。
彼氏の名前は敢えて言わないが、彼と知り合ったのもただの偶然だった。
塾からの帰りの電車の中で、時間的には夜の八時過ぎくらいだっただろうか。電車はそれなりに混んでいた。
もちろん座る席があるわけでもなく、扉から中途半端に離れた位置に立っていた。その位置は自分で望んだわけではなく、人の波に押される形でいわゆる、
「まわりから与えられた場所」
だったのだ。
それも、あいりの当時の性格をよく表していたのかも知れない。静香と離れてから一人になって、一人が慣れかかっていた頃ではなかったが。あいりにはその頃、
――ひょっとすると誰かと知り合えるかも知れない――
という何ら根拠のない意識があった。
知り合うことができなければ忘れてしまえばいいだけで、もし知り合うことができれば、これ幸いに感じればいいという程度のものだった。
その男性もあいりと同じように、自分で望んだ場所に位置していたわけではない。つまりはあいりがいた周辺のスペースは、流れに任された人がいる格好の場所だったに違いない。
あいりも彼もそんな意識はまったくなく、ただ立っているだけだった。少なくともあいりは窓の外を眺めてはいたが、何かを考えていたわけでもなく、ただ漠然としていただけだった。
いや、本当は何かを考えていたのかも知れないが、少しでも何かアクションを起こしたり、状況が変われば、それまでの意識は完全に飛んでしまうに違いない。しかも、記憶として残るものでもなく、その場で切り捨てられるものだったことだろう。
あいりも彼も、お互いの存在にまったく気づいているわけではなかった。お互いに表を見ていたのだが、視線は違うところを捉えていて、
――ひょっとすると、この時視線が合っていれば、お互いにその瞬間から意識できていたのかも知れない――
と、後からふと感じたことがあったが、その時にはまったくそんな意識のかけらすらなかったのだ。
季節的には、暑くもなく寒くもない比較的過ごしやすい時期だった。しかし、電車内は想像以上にムシムシしていて、湿気よりも人の体臭が気持ち悪く感じられるくらいだった。
あいりはそれまで人の体臭が気になったことはあったが、気分が悪くなるほどではなかった。
その日も漠然と表を眺めていて、別に自分に異変が起ころうなどと想像もしていなかったのだ。
そんな状況で、あいりが一人気になった人がいた。年齢的には中年というよりも老人に近いくらいの五十代くらいの女性が扉の近くの手すりにもたれかかるようにしていた。
その人は見るからに具合が悪そうに感じられたが、まわりの人たちはそんな婦人の様子に誰も気づくことはなかった。
いや、気付いていたが何もないことをいいことに無視していたのかも知れない。自分から何か行動しようと思ってもいないあいりに、彼らを非難する資格はなかったが、心の中でまわりの人の非情さに気付いてしまったことだけは打ち消すことはできなかった。
老婦人は、何とか持ちこたえているようだったが、その様子を見ていると、今度はあいりが自分に何か異変を感じてくるように思えた。
――どうしたのかしら?
立っている足の感覚がマヒしてくるのを感じた。
感覚はマヒしてくるという言い方は性格ではない。どちらかというと凍り付いてくるような気がしたのだ。小学生の時、遠足で登山があったが、下山の時、足の感覚がマヒしてしまい、足が棒のようになった記憶はあったが、あの時の感覚とは明らかに違っていた。
電車の中で立っていると言っても、数十分くらいのものであり、何よりもいつも通い慣れた電車ではないか。いきなり足の感覚がマヒしているのだとすれば、それは違ったところに原因があるのではないかと思えた。
――あのおばさんを見ているから、こんな感じになってしまったのかしら?
どう考えてもそれしか理由は思い浮かばない。
むしろ、どうしてすぐにそのことを結論付けなかったのか、自分でも不思議なくらいだった。
老婦人の方は、気分が悪そうにしていた様子から、今度は顔色がよくなり、体長は回復したかのように見えた。
――何かの峠を超えたのかしら?
と思えたが、今は人のことを構っている場合ではなかった。自分のことで精いっぱいで、自分の顔色がみるみる悪くなってしまっているように思えてならかった。
――どうせ誰も気づいてくれないんだわ――
最初から諦めの境地だった。
自分がさっき他人事ではあるが、老婦人の気分が悪そうな状況に、誰も気づいていない様子、いや気付いているのかも知れないが、わざと無視している様子を目の当たりにしてしまったことで、自分に対しても誰も気にするはずはないと思ったのだ。
諦めというよりも、さっき自分も見て見ぬふりをしてしまったことで、自分に対しての自己嫌悪も若干であるがあった。
ただ、あいりは自己嫌悪を感じるほど、自分は善人ではないと思っている。むしろここで自己嫌悪を感じるということは、偽善者になったかのようで、それが自分で嫌だったのだ。
あいりは自分がこのまま気分が悪くなるということを、かなりの確率で感じていた。
「倒れてしまうのではないか?」
とまでは思っていなかったが、立ち眩みは起こしそうな気がしていた。
あいりは今まで立ち眩みらしきことを起こしたことはあったように思う。
「あったように思う」
という不確実な表現は、記憶の中にはあるが、意識として残っているものではないということだ。
感じたことであれば、記憶の中に残っているものを引き出すことができれば、意識としても感じることができるものだとあいりは思っていた。この感覚はあいりだけではなく、まわりの人誰もが感じることだと思えてならない気持ちでもあった。