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異次元の辻褄合わせ

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 離れたところでも意識したと感じたのは間違いなかった。それなのに、相手が合わせてきたと思ったのは、相思相愛というイメージを自分の中で作り出したかったからに違いない。
 実は頼子の方とすれば、自分から相手を意識したという感覚はなかった。
「相手が意識したから、こちらも意識したんだ」
 と感じたのだ。
 これは相手が意識したということで、自分の魅力を強調したいわけではなく、逆に自分に自信がないので、自分が他人を意識したくわけではないと感じたからではなかった。
 頼子は基本的に人と協調できるタイプではなかった。人と目が合うと目を逸らすタイプで、それは意識的にではなく、反射的なことだった。
 そんな頼子に、あいりは暗黒星のイメージを抱いたのかも知れない。
 頼子のような人と目が合えば目を逸らすという女の子は結構いるはずだと思うが、だからと言って、そんな女の子皆に暗黒星をイメージするわけではなかった。
 暗黒星をイメージする相手にはイメージするだけの印象があるはずなのだが、それがどういうインパクトなのかまではハッキリしない。
「人によって違うのではないか?」
 と思っているのも事実ではあるが、頼子のようにすぐに暗黒星を感じた相手は、それまでにはいなかった。
――暗黒星というのは、そばにいても気づくことのない危険な星――
 という定義があって、そばにいても気づかないということと、危険な存在ということを切り離して考えることのできるものだとして認識していた。
――彼女の場合はどっちなんだろう?
 そばにいても気づかないということは、目が合ったことで考えにくい、しかし、危険な雰囲気というのも感じさせることはない。ただ、そばにいて気付かないから危険な星だというイメージはあっても、危険だからそばにいても気づかないとは限らないだろう。そう考えると、
「危険な香りを感じたのかも知れない」
 という結論を迎えたのだった。
 最初に話しかけたのは、やはりあいりの方からだった。わざわざ席を立って、料理の乗ったお盆を胸の前に抱えて、彼女の席に近づいた。
 近づいてきたことは分かっていたはずだ。頼子の肩が震えていたような気がする。
「檻の中で怯えているハツカネズミ」
 というイメージがあった。
 どうしてハツカネズミを思い浮かべたのかというと、ペットショップで見かけた光景を思い出すからだった。
「真ん中にある回る檻のような物体を、果てしなく走りまわる様子を思い浮かべたから」
 というのが本音であるが、いつ果てるとも知れずに、永遠に走り続ける姿を見て、哀れを誘っていたからだ。
 小さい頃は、そんなハツカネズミを見ていて、ずっと飽きることなどなく見つめていたのを思い出す。
「飽きもせずに、どうしてそんなに見つめられるのかしら?」
 と、親からはもちろん、他の人からも呆れられていた。
 あいりはそんなことで意識するような女の子ではなかった。ただ、心の底ではどう思っていたのか、自分でも分かっていないようだ。そのためか、余計に人から何を言われても何も感じないような態度を取っていたのだ。
 ハツカネズミに虚しさは間違いなく感じていたはずだ。
 そのことを最近思い出すと、虚しさを感じるのには、二種類があると思うようになっていた。
 一つはじっと見つめることで自分の中で感情を押し込めてしまおうという意識があるからだという思いである。感情を押し込めるということは、好きな人に告白できない思いに似ている。恥ずかしいという感覚よりも、人に気付かれたくないという思いが強い気がして、似ているようだが似ているわけではない。それは同じ瞬間に感じるものではなく、一つの感情を抱いたことで段階的に感じていくその時々の感情による違いに過ぎないからである。
 もう一つは、見つめることで次第に金縛りに逢ったような感覚になり、目が離せなくなる自分を感じた時だ。これは完全に意識してしまったことで自分の中でハツカネズミと同化してしまった感覚になるからだろう。
――もし自分がハツカネズミになって、果てしないマラソンを続けているとすれば――
 という思いを抱くからである。
 そんなハツカネズミと自分の関係に、あいりは、自分と頼子の関係を当て嵌めていた。しかし、どちらがどっちなのかはハッキリとしない。自分がハツカネズミなのか、それを見ている自分なのかのイメージである。
 それを考えていると、あいりは自分がハツカネズミになって、見つめている自分の視線を感じているのを思い浮かべた。
 ただ、その時のハツカネズミは完全に人間を意識して委縮している。そんなハツカネズミなど、表から見ている自分が興味を示すはずもないことに気が付くと、今度は自分がハツカネズミではないと思うようになった。
 そういう意味で、
――人間という動物は、逆立ちしても檻の中のハツカネズミにはなれるわけはない――
 と思った。
 それは、何も考えていないことへの下等動物として、本能のみで動いていることへの哀れみと、また何も考えないでも生きられることへの羨ましさという矛盾した二つの印象を持ったことに通じている。
 さらに人間にだけ存在する理性というものが、どれほど狭い範囲のものであるかということをも思い知らされた気がする。
――理性というのは人間だけが持つ特徴であり、それを高等動物である人間だけが持てるものだ――
 という発想に繋がる。
 要するに人間には、
「自分たちだけが」
 というエゴがあるのだ。
 例えば、昔の特撮などでよく聞いた、
「宇宙人」
 という言葉への発想である。
 宇宙人というと、
「地球人以外の他の星に存在する人類」
 という発想である。
 しかし、考えてみれば地球人と言っても宇宙人の中の一種類であって、別に特殊なものではないはずだ。つまりは、地球人だけが特別という意識がなければできない八増ではないかという思いである。
 もう一つは、地球人に対しては個人という発想があるのに、宇宙人(いわゆる一つの星の人)という発想では、その星の名前の下に「人」をつけて、
「○○星人」
 という言い方しかしない。
 しかも、存在している宇宙人は、ほとんどが一匹で、数人いたとしても、それは個性もなにもないものえdしかなかったりする。それは完全に、
「地球人だけは特別だ」
 という発想から来ているに違いない。
 頼子という女の子は引っ込み思案なところがある。あいりはそのことに結構早い段階から気付いていたが、実際には難しい話を自分からなかなかする方ではなかったのだ。そのことにはなかなか気づかなかったが、人の話を黙って聞いていられることから、聞き上手であることは分かった。
 その思いが引っ込み思案というイメージに繋がったのだが、さらに仲良くなってみると自分から難しい話をすることはないが、相手の始めた難しい話に乗ることは可能なようだった。
 それも聞き上手なところから来ているのだろうが、聞き上手な性格の人と知り合いになったことのなかったあいりは、最初どう付き合っていいのか戸惑っていた。
 しかし、そんな戸惑いは考えすぎに過ぎなかった。
作品名:異次元の辻褄合わせ 作家名:森本晃次