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異次元の辻褄合わせ

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 しかし、不特定多数の人間が見ているテレビで、そんなことがあるわけもなく、
――何てバカバカしいことを感じたのかしら?
 と考えた自分が恥ずかしくもあった。
 だが次の瞬間に感じたのは、さらに恐ろしい感覚だったことに、あいりは背筋が寒くなるのを感じた。
――この作家の先生は、ひょっとして、テレビを見ている人たちが、同じように自分の世界に入り込み一人で考え、そして同じタイミングで我に返ることをしっていたんじゃないかしら? そしてそのタイミングを見計らうかのように語り始めたとすれば、すごいことだわ――
 と感じた。
 またさらに発展した考えがあって、
――彼が苦慮したような表情になったのは、本当はまわりをその気にさせるための計算された演技だったのではないか?
 とも感じてくると、自分の発想が末恐ろしいものに感じられた。
 しかも、その発想が人によっての計算だなどと思っている自分が恐ろしくなってきたのだ。
 そう思えてくると、彼にとって質問されたことの内容よりも、その質問から派生する何かを予感していることの方が重要に感じられているように思えてならなかった。
「大胆な省略という言葉で、大胆なという部分と、省略という部分とでは、あなたにとってどっちを重要視しますか?」
 と聞かれ、少しインタビュアーは戸惑っていた。
 あいりもまさかそんな質問返しが待っているなどと思ってもいなかったので、テレビを見ていて戸惑ってしまった自分を感じていた。
 インタビュアーは少し考えてから、
「私は大胆さというところに興味を惹かれます。省略というのは確かに意表をついた発想ではありますが、大胆にという言葉が頭につかなかったら、意表をついただけで終わってしまうような気がするんですよ」
「じゃあ、あなたは理論よりもインパクトを強く持ったというわけですね?」
「そう言えるかも知れません」
「僕の場合は、大胆なという言葉が頭につかなければ、きっと省略するなんて意識は生まれてこなかったと思うんですよ。確かに省略は意表をつきますが、僕にとっては当たり前のことのように思えていたんです。だから逆に大胆なという言葉をつけないと、他の人の意識に残らないと真剣に思った時期がありました」
 という言葉を聞いて、
――やっぱりこの人は常人とは少し違った感性の持ち主に違いないんだわ――
 と、あいりは感じた。
「ということは、先生は省略するという意識は、画家なら誰でお持ち合わせている感覚だという風に感じていらしたんですか?」
「ええ、そうです。もっと言えば、画家だからというわけではなく、画家ではない他の人も絵を描こうと思った時、省略するという意識をタブーだとは思っていなかったと感じていました。言い換えれば、絵を描く時には、タブーというものは存在しないんだという発想になっていたと言っても過言ではありません」
 言われてみれば、一体誰が、絵を描く時、目の前のものを忠実に描かなければいけないということを当たり前のように感じるようになったのだろう。確かに目の前の光景を違う形に描いてしまうことは、まるで改ざんでもしているかのように思わせるのは、
――改ざんというものは悪いことだ――
 という常識に囚われているからなのかも知れない。
 人を欺く改ざんはいけないことなのかも知れないが、芸術という答えのないものに改ざんというものは、果たして悪い部類に入るのであろうか。創造した人が、
「これでいいんだ」
 と言えば、それは誰が何と言おうとも、その人のオリジナルになるのではないかと思うのは、発想が自由すぎるからであろうか。
 あいりは芸術家というものの発想が、どこまで許されるもので、どこからが許されないものなのかを考えていたが、結局は、芸術家である自分が、自分を許せるのか許せないのかのどちらになるかということになるのではないかと思うのだった。
 あいりが絵を描きたいと思うようになったのは、高校二年生になってからのことだった。中学の時に見た画家のインタビューがずっと気になっていたこともあったが、何か芸術的なことへ一歩踏み出してみたいという思い尾あったからだ。
 なかなか素人が簡単に描けるののではなかったが、それでも何となく描けるような気がしていたのは、あの時のインタビューを聞いたからだった。
「大胆に省略する」
 という言葉はあいりに衝撃を与えた。
 実際に自分で絵を描き始めた時、イメージだけは残しつつ、アレンジして描くということはもちろんのこと、インタビューで言っていた、
「大胆な省略」
 などありえるはずはないと思ったからだ。
 初めてできた彼氏とのデートの時、相手の話を聞き上手だということを理解はしていたあいりだったが、自分から話すなどできないことだと思っていた。
 しかし、彼が急に無口になり、その場の雰囲気が悪化の一途を辿った時、何も話すことのできない自分にいら立ちを覚え、相手に対してよりも自分に対しての方に憤りを感じたことは、今でも思い出せた。
 それからその彼氏とはそのまま疎遠になり、自然消滅したのだが、あいりは今までかかわってきた人とほとんど最後は疎遠になってから、自然消滅するパターンが多くなっていることに気が付いた。
 ただこの思いはかなり後になってから気付いたことで、高校生になってからしばらくは、自分にそんな特徴があったなど、思ってもいなかった。
 その原因は普通に考えれば、あいりにあるに違いない。ただ、他の人のパターンをよく知っているわけではないので、疎遠になってからの自然消滅というのが稀なパターンなのか、それとも結構あることなのかは分からなかった。こんなことを聞ける相手もおらず、それこそ聞いた相手の気分を害してしまうのではないかと思えることであるからだ。
 あいりは最初の彼と話が合わなかったことが、自然消滅の原因だと思っていた。実際には話が合わなかったわけではなく、合わないだけの話すらできていなかったのだ。あいりはしばらくの間、彼と会話のない時間を過ごしてはいたが、一言二言は言葉を交わし、その内容があまりにもお互いに隔たりがあったことで、話が続かなかったと思っていた。
 確かにそんな時間帯もあったが、それ以外のほとんどの時間は、お互いに無口を貫いていた時間だった。
 ただ、話のきっかけをずっと考えていた時間帯でもある。その時間をあいりはなぜか意識として薄くしか記憶していなかったのだろう。
 その時にふと思い出したのが、中学の時にテレビで見た画家へのインタビューだった。
 あの時に、きっかけについて自分で考えていたのを思い出したのだ。あの時に一瞬考えて、何かの結論のようなものを導き出し、それが自分の中で無意識に後から出てくるものになった瞬間から、きっかけを考えたという思いは、意識からも記憶からも消えてしまい、自分で封印してしまったのではないかと思っていた。
 それを今、あの時がついさっきのことのように思い出したのだ。
 あいりが意識の奥で深く考えている時というのは、まるで夢を見ているようなものだ。我に返ると、それまで考えていたことを忘れてしまう。ほんの少ししか時間が経っていないのに、まったく意識の中から消えていて、
作品名:異次元の辻褄合わせ 作家名:森本晃次