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異次元の辻褄合わせ

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 もっとも、細分化すれば果てしなく細かくできるのだろうが、大きく分けて考えると、バランス感覚と遠近感の二つになるのではないかと考えたのだ。
 決まった長さの少し横長、あるいは被写体によっては縦長の長方形をしたキャンバスに描くのだから、まずはバランス感覚が必須となるのではないかと思った。人の顔であれば、表情を顔のパーツのバランスで表すこともできるし、元々そのバランス自体が、他の人との違いをあらわすためのもので、まるで一人として同じものはないと言われる、指紋のようではないか。
 また遠近感としては、被写体である三次元の世界を、絵の中という二次元に収めようとするのだから、当然立体感をあらわすものは、遠近感に委ねられることになる、
 またバランス感覚に関しては、顔の輪郭だけではなく、風景画では、建物であったり、空や地表、海面に至るまでの配置をバランス感覚として描くことになるのだ、
 絵を描く時に、最初に難しく考えてしまった「明暗」に関しても、遠近感というイメージが立体感に結び付いていると考えれば、濃淡すら、遠近感で括ることができるかも知れない。
 ただ濃淡に関しては遠近感だけではなく、バランス感覚とも密接に結びついているような気がする。
 そう思えば、絵画というものを、最大の括りとしてバランス感覚と遠近感という二つに凝縮したともいえるのではないか。
 それは絵に限ったことではなく、芸術全般に言えることではないかとも考えてみたが、他の芸術にあまり興味を示したことのないあいりだったので、その時は、必要以上のことを考えないようにしようと思うのだった。
 またあいりは絵画に対して、別の発想を感じるようになったのを、最近になって感じていた。
 ひょっとすると、
「この感覚は以前からずっと持っていたものではないか」
 と思ったが、その理由は、最近夢を見ることで絵画への興味を湧きたてさせるからであった。
 夢に見ることで、自分でも絵が描けるという印象を持っていた。被写体が自分の描いた絵に変わってくるのも夢ならではの現象だと言えるのだろうが、この感覚もまさしく、
「夢ならでは」
 と言えるに違いない。
 その感覚とは、絵を自由に扱うという意味で、同じことであった。
 あいりは、以前テレビ番組で、プロの画家がインタビューを受けているのを見たことがあった。
 その時、自分の部屋にいて何もすることもなく、まったりとした時間の中で、ただ漠然と過ごしていたのだが、殺風景な状態だけは避けようと思い、テレビだけはつけていて、実際に見ているわけではないが、目だけはテレビ画面を見つめていた。
「私は絵を描きたいと以前から思っているんですが、なかなか思ったようにはいきませんね」
 と、インタビュアーの人がゲストのプロ作家に語り掛けた。
 プロ作家の人は、
「そうおっしゃる方は結構おられると思います。私も最初はそうでした。でも、私は絵を描く上で大切なことは、大胆さではないかと思うんですよ」
「大胆さ? ですか?」
 と、インタビュアーは、言葉の主旨を思い図るかのように問いただした。
「ええ、大胆さというのは当たり前のことですが、思い切ったこととも言い換えることができます。つまり、そこには覚悟が必要で、本来なら禁じ手だと思われるようなことでもやってしまうことが必要な時が必ずあると私は思っています」
 と言い返した。
 その言葉を聞いて、インタビュアーは理解不能だという顔になったが、その番組を見ていたあいりは、言葉の本質を分かりかねていたが、いつの間にか、自分の意志がテレビの画面に入り込んでしまって、集中していることに気が付いた。
――一体、私はこの作家のどこに集中した気持ちになったのだろう?
 と感じた。
 作家はニッコリと笑って、これから言葉にすることがテレビを見ている人、少なくともあいり一人は巻き込んでいるということに気付いているかのように思えたのだった。
「大胆さという言葉には、人の考えていることと違う発想を持つという意味合いがあり、いわゆる『度肝を抜く』という言葉に代表されるものではないかと思うんです」
 と作家が言うと、
「先生はそんな大胆さを絵に求めているんですか?」
 と、インタビュアーが聞くと、
「私が求めているわけではなく、絵が求めているのを感じるんです。私は絵を描いている時、自分が描いているはずなのに、時々、何かに突き動かされているんじゃないかって思うことがあるんです。複雑な気持ちになりますよ」
 と言って作家は軽くため息をついた。
 そのため息を気付いた人はどれだけいるだろう。あいりはそれほど多くなかったのではないかと感じた。インタビュアーはそのことに気付いていたのか、気付いていて敢えて知らんぷりをしたのか、話を進めるわけではなかったが、すぐに何かを詮索するというわけでもなかった。
 少し沈黙の時間が続き、緊張が張り詰めたような雰囲気がスタジオ内に広がり、
――このままでは、放送事故に思われるのではないか?
 と感じるほどであったが、そこはさすがプロのインタビュアー、痺れが切れかかる前にしっかりと緊張の糸を切った。
「複雑な気持ちと言われますと?」
 というインタビュアーの質問に、あいりは、
――この人、ひょっとして作家のことを考えて、敢えて時間を置いたんじゃないかしら?
 と思った。
 返した質問には、答え方に困るような要素が多分に含まれているものだと感じたあいりは、インタビュアーの気転に関心させられた。しかし、それはあいりの考えすぎであり、それよりも、この二人の意思の疎通が「阿吽の呼吸」であることから、二人だけの空気がスタジオ内を支配していて。あいりが考えたほどの緊張感は実際にはなかったのではないかと思った。
 作家の先生は、そのあたりを熟知しているようで、インタビュアーからの質問に落ち着いて答えていた。
「複雑というのはですね。僕の場合は、いや、僕以外の作家の人にも言えるのではないかと思うのですが、自己顕示欲の強い人が多いんですよ。何かに操られているなどということは自分の中にあるプライドが許さない。もし、そう感じているとしても、本当は口に出すことを自分の中で許さないものなんですよね。それを思うと、僕は今自分で描かされていると言ったのは、作家としてのプライドが許さないはずのことなのに、それでも口にしたという意識を複雑な心境と表現したんです」
 本当であれば、苦虫を噛み潰したような表情になりそうな話なのに、意外とサバサバした表情になっているのが不思議だった。
 やはり、作家とインタビュアーの間には、目に見えない、まるで「同志」のような感覚が芽生えているのではないかと感じるのだ。
「自分が描かされているという感覚は、私には難しくて理解できるものではありませんが、ただ一つ考えられることとすれば、自分の力には限界があると思っていて、それ以上の力を発揮させてくれる何かを探しているのだとすれば、描かされているという目に見えない力もありではないかと思っているのではないかと感じました」
 作家は、その話を微動だにせずに聞いていた。
作品名:異次元の辻褄合わせ 作家名:森本晃次