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異次元の辻褄合わせ

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 それだけに、彼女にも友達がおらず、あいりも友達は少なかったが、どちらかというと友達になってあげようと思ったのはあいりの方だった。
 だが、そんな感情は相手にそれとなく伝わるもので、
「変な同情なんかいらないわよ」
 と、こっちの気持ちが筒抜けになっているのか、お見通しとばかりに、彼女は言い捨てるように言った。
 あいりはそんな相手に少し怒りを覚えた。
 これはあいりではなくとも誰もが同じ感覚になるのではないか、
――せっかくお友達になってあげようというのに――
 と、完全に上から目線である。
 上から目線の場合、見られた人はまず間違いなく、相手から目下として見られていることは分かるものだ。それをどう解釈するかは、浴びせられた本人の意識だけであって、見下ろした方で、そのことが分かっている人は、
――どっちに転んでもいいわ――
 と思っているのかも知れない。
 なかなか相手を見下ろして見る人は、自分がそんな感情を持っていることに気付かない。同情だとは思っているかも知れないが、見下ろされた人がどう感じるのか、意外と分かっているものだ。それでいて、相手に何かを求めるのは図々しいと言えるのだろうが、相手を見下ろした時点で、図々しさは百も承知、見下ろした時点でその人も後には戻れない状況を作り出しているのだ。
 あいりは、自分が相手を見下ろしていることは分かっていた。それでいて、相手に何かを求めているということには気づかない。だから同情だと思っていたのだが、相手にそのことを指摘されて、顔から火が出るほど恥ずかしい思いをしたのだが、それは今まで感じたこともない思いだった。
 その思いを、
――これが屈辱というのもなんだわ――
 いじめられっ子だった頃に、散々感じたはずの屈辱感、それとは違った別の意味での屈辱感を味わうことになってしまったあいりは、
――友達になってあげたい――
 と思った感情を、屈辱感を味わっている間、自らが噛みしめることになった。
――この感覚を忘れられれば、どれほど気が楽なんだろうか?
 とあいりは感じた。
 屈辱感など、一時たりとも早く忘れてしまいたいはずなのに、屈辱感から逃げようとは思わなかった。むしろ、相手があいりから逃げたいと思っているのを感じると、
――逃がしたくない――
 という思いが強くなった。
 それは、今その人を逃がしてしまうと、自分がこのままずっと後悔してしまうということを分かっているからだった。
 あいりは彼女のことをずっと見ているつもりでいたが、実際には、
「友達ができない人なんだ」
 という意識だけしか持っていなかった。
 彼女の本当の姿を見ようとはせず、自分にとって必要な部分しか見ていなかった。そのことをあいりはずっと気付かないでいた。いや、気付いていたのかも知れないが、見て見ぬふりをしていたのかも知れない。
――これって、いじめっ子ではないまわりのその他大勢に感じたことだわ――
 と感じたあいりは、ハッとした。
 自分がいじめられっ子だった頃、なるほど苛めていた連中が嫌いだったし、憎んだりもしたが、それ以上に、まわりの見て見ぬふりをしている連中の視線の方が憎らしかった。
 彼女たちは、見て見ぬふりをしながら、あいりのことを蔑んだ目で見ていたのだ。その視線を感じた時、
――その他大勢もいじめっ子と同類、いや、それ以上に汚い連中なんだわ――
 と感じた。
 自分が苛められなくなったのは、自分が変わったからではなく、いじめっ子たちが自分を苛めることに飽きたからだった。
 つまりは、苛めの対象が他の人に移ったというだけで、苛めている側にすれば、何も変わったわけではない。ただ、あいりは自分が苛められなくなっただけで、ホッとした気分になり、憔悴状態になっていたのは事実だろう。
「助かった」
 という思いが一番強く、そして、
「これで苛められることはない」
 と感じたことで、あいりは今度は自分がその他大勢になったことを自覚した。
 しかし、同じその他大勢でも、他の人たちとは明らかに違う。それは、
「自分にはいじめられっ子の気持ちが分かるその他大勢なんだわ」
 という意識があったからだ。
 だから、誰かが苛められていても、それを見て見ぬふりをする権利があると思っていた。実際に自分の後に苛められるようになった人を見ることもあったが、あいりはその時、自分の気配と意志を何とか打ち消そうとしたものだった。
 打ち消そうとしなければ、打ち消すことはできない。それだけいじめられっ子だった時に受けた傷は、消えることはなかったということであろう。
 いじめられっ子はあいりを見て、
「助けて」
 という視線を浴びせる。
 あいりはその熱い視線に気づいていたが、見て見ぬふりをした。気持ちは痛いほど分かるはずなのに、
「私をそんなに見ないで」
 と訴えていたが、その視線を相手が気付いたかどうかわからない。
 それは自分がいじめられっ子だった時、その他大勢に視線を向けても、誰もその視線に答えてくれる人がいなかったからだ。
――なるほど、ひょっとするとその他大勢の中には私に視線を向けている人もいるかも知れないけど、その人たちは、見ないでほしいといいう気持ちから、自分の哀願とは交わることのないまったく違うところを通り過ぎて行ったのかも知れないわ――
 と感じたのだ。
 いじめっ子の気持ちも、いじめられっ子の気持ちも、今のあいりは分かっていない。そう思うと自分がいじめられっ子だった頃が、遠い昔のように思えたが、実際にはごく最近にも思えるのは、いまだに夢に見ることがあったからなのかも知れない。
 夢に出てくるいじめられっ子の自分は不思議とまったくお無表情だ。自分の顔を意識したことがないあいりは、夢に出てくる自分の顔がのっぺらぼうに見えているのは、逆光の位置でしか自分を見ることができないという夢ならではではないかと思えていたのだ。
 陰湿な苛めとは程遠い感覚に、
「まだよかった」
 と思うのか、それとも、
「どうして私だったのか」
 と思うかの違いが、他人事に思う自分が微妙に立場を変えている感覚を思い知っていたような気がした。
「喉元過ぎれば熱さも忘れる」
 と言われるが、自分が苛められなくンると、いじめられっ子の気持ちが全く分からなくなってしまったのだ。
 そう思うと、
「いじめっ子の中には、以前苛められていた子もいるのかも知れない」
 と感じるようになった、
「ミイラ取りがミイラになる」
 という言葉とはまた違った感覚である。
 苛められていた時期を忘れるはずはないのだが、いじめられっ子が転じていじめっ子になるのは、自分で思っているよりも多いような気がする。逆にいじめられっ子がいじめっ子にならない場合はあるパターンがあるからではないかと思っていた。
 そのパターンというのは、
「苛められていた時のことを夢に見たからではないか」
 と思うようになった。
 夢を見ていて覚えているのが、怖い夢を見た時だというのを意識したのも、怖い夢というのが、
「苛められていた時の生々しい記憶」
 だったからである。
作品名:異次元の辻褄合わせ 作家名:森本晃次