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短編集68(過去作品)

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光影鏡…



                 光影鏡…

 風薫る
  朝日に向かいて微笑めば
   面にあらわる爽快さかな

 朝日が夕日に見えることがあっても、夕日が朝日に見えることはなかった。何が違うのかと考えてみたが、夕日はほぼ毎日見ているのに、朝日を見るのは毎日というわけではない。ゆっくりとではあるが、唐突に私に襲いかかる世界が、光と影を伴っているのを感じたきっかけではないだろうか。
 夕日の場合、日が落ちてしまう寸前に明るさを保つ時間がある。完全に沈んでしまった時間は夕凪と呼ばれる時間となり、薄気味悪いが、神秘的な時間でもある。私は嫌いな時間ではない。
 しかし、事故が多い時間帯でもあり、危険な時間である。昔から「逢魔が時」と言われ、魔物に出会う時間として恐れられているが、時間的にはそれほど長くはなく、夜のとばりが下りるまでのほんの短い時間である。
 夕凪の時間帯とは、風が止み、生暖かい空気に支配された時間である。湿気を十分に含んだ空気は息苦しさすら感じさせる。それは、夕日が眩しい時間までに身体に蓄積した疲れを呼び起こすかのようである。
 私が朝日をどのように定義しているかというと、夕凪が訪れる前に身体に疲れを埋め込ませる時間帯の夕日と同じ高さの太陽のことを、私は「朝日」と呼ぶのだった。
 そんな朝日が夕日に見える時、目が覚めても疲れが残っている時のことをいう。朝日とは目覚めが爽快な時のみ見ることができるものだと思っている。目覚めに爽快さを感じないと、朝日が目に入ってこないのだ。
 夕日は逆に疲れを感じさせるもの、嫌でも目に入ってきて、一日の疲れを感じさせる。感じるからと言って本当に自分が疲れているのだと自覚させるだけであった。ただ、足が浮腫んでくるのだけはどうしようもなく、足に疲れがすべて集中しているのではないかと思うくらいだった。足に疲れを感じていない時は、自分の疲れはないのだと言ってもいいだろう。
 本当に疲れを感じたのは子供の頃だった。今よりも子供の頃の方が疲れやすかったと思うくらいで、知り合いの中には、
「もう一度子供の頃からやり直したいな」 
 という人もいるが、私はそうは思わない。もしやり直すのなら、
「生まれてくるとことからやり直すんだろうな」
 と、まるで他人事のように感じるくらいである。記憶の中にある子供の頃に対してやり直したいとは思わないのだ。
 朝早くから目を覚ますなどいつ以来だろう。先週まで忙しくて目を覚ませばすぐに会社に行かなければならない毎日、やっと仕事が一段落し落ち着いた気分になった。
 夢を見たのも久しぶりだ。忙しい時は、夢と言っても中途半端な夢だった。ちょうどいいところで目が覚めてしまい、
「見なければよかった」
 と思うくらいだ。いい夢に限ってちょうどいいところで目が覚めてしまうのは、どういう現象なのだろうか。
「夢を見ている夢って見たことがあるかい?」
 と言われて、ドキッとしたことがあった。
 あれはいつのことだっただろう。会社の帰りにフラッと立ち寄ったスナックで私に話しかけてきた男が言っていたことだった。私もちょうどその頃、同じような夢を見たことがあって、話しかけられたことが、ただの偶然ではないように思えたからだ。
「それはどういう意味ですか?」
「俺はよく見るんだよ。夢を見ているっていう意識がある夢をな」
 男は相当酔っているように見えたが、この話を始めると、酔いが冷めてくるようだった。今までに何度も同じような話を他の人にしてきたのだろう。酒に酔っているとはいえ、実に楽しそうだ。
 人をからかって楽しんでいる顔ではない。同じ夢を見たことのある人を探しているのか、それとも自分の話で他人がどれだけ感動してくれるかが見たいのか。私も彼と同じような夢を見たことがあるが、果たしてこの男に、
「俺も同じ夢を見るよ」
 と言ってもいいのだろうか。さらに有頂天にさせて、エンドレスで話し込まれても困るというものだ。
 その日の夢は、出会いを感じさせる夢だった。夢としてはおぼろげだっただけに、
「ひょっとして」
 という予感があった。
 その日、表に出れば濃霧だった。白い霧が立ち込めて、視界はほとんどなかった。べったりとした空気が肌に纏わりつく。そんな時、空気に匂いを感じる。今にも雨が降りそうな匂いなのだが、今日はそれほどでもなかった。霧はまもなく晴れそうな気がしたのは、霧の向こうに黄色く光った朝日が見えるからだ。
 朝日は霧に光って膨張しているので、実態は分からない。それでも霧の小さな粒が見えるのではないかと思うくらい、朝日は眩しかった。ここまで眩しい朝日であれば、今までの経験から、霧が晴れるまでには一時間とかからないだろう。
 目が覚めたのが六時過ぎだった。朝日が顔を出してすぐの時間だが、霧が出ているのは分かっていた気がする。出勤時間にはまだ少し時間があったので、ゆっくりコーヒーを飲む時間すらあったくらいだ。テレビをつけると朝のワイドショーをやっていたが、目には入ってきても頭には入ってこない。
 私は一つのことを考えると、他のことは頭から消えてしまうタイプで、仕事のことが朝から引っかかっていた。早く目が覚めたのもそのせいであろう。
 コーヒーを飲んでいる間に次第に目が覚めていき、気が付けば、霧はほとんど晴れていた。
 さっきまでの霧の残り香を感じることができたのは、晴れたとはいえ、湿気は若干残っていた。身体に纏わりつく湿気に、身体の重たさを若干感じながら、目が覚めたとはいえ、すっきりとしたものではなかった。コーヒーの味が濃く感じられたのは、しっかりしない意識の中で、口の中がベタベタしているからなのかも知れない。
 朝、コーヒーを飲む時は、顔を洗う前だと決めている。顔を洗ってすっきりしてからがいいのであろうが、顔を洗うのは、完全に目を覚ますための最後の仕上げだと思っているので、そうしているのだ。他の人は違うのだろうが、これが私のリズムであった。
「朝が好きだっていう人の気が知れない」
 目を覚ますのも一仕事、通勤のためにラッシュの電車に乗り込んで、人に揉まれながら通勤する。しかも、誰もが疲れたような顔をしていて、
「俺もあんな顔になっているんだろうな」
 と思うのだ。
 誰もが死んだような顔をしているのを見た時はさすがに驚いた。学生時代も朝のラッシュの経験はあるが、サラリーマンを真剣に見ているわけでもなく、まだまだ自分には先の世界だという意識があったので、最初に死んだような顔だと感じたのは、就職活動を真剣に考え始めた頃からだったであろう。
 今日は先日お日曜日に休日出勤した分の、振替休日だった。いつもだったらゆっくりと寝ているのに早く目が覚めたのは、昨夜疲れていたことで早く寝たからかも知れない。
 朝六時過ぎくらいに起きてくるなど、久しぶりのことだった。朝もさほど寒くない時期になり、気が付けば衣替えの季節になっていた。朝の散歩には最適な時期になってきた。
 学生時代には、よく朝散歩をしたものだ。
「早起きは三文の得」
作品名:短編集68(過去作品) 作家名:森本晃次