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短編集68(過去作品)

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 桜井は女性のナルシズムについては、否定的だった。だが、好きだった女性もナルシズムを持っていたのだが、彼女に対しては許せたという。好きになったから許せたというわけではなく、彼女のナルシズムな部分もひっくるめて、好きになったのだ。人を好きになる時のきっかけは、出会いがしらのようなものなのかも知れないと、佑哉も話を聞きながら感じていた。
「彼女のことが天真爛漫に見えたんだけど、いつも虚空を見つめていたんだね。その見つめる先に俺の姿が見えないと知った時、俺も急に冷めた気分になった。本来ならそこで彼女に対して免疫を作っておけばよかったんだろうが、好かれているという驕りが自分を増長させてしまった。逆にそんな相手から別れを告げられると、気持ちとしては、裏切られたように思うのも仕方のないことなのかも知れないね」
「でも、悩みがあったのでは?」
「彼女が見つめているのが、自分だと思った時、彼女の中にナルシズムを感じたんだ。でも、自分に自信を持っているわけではない。むしろ自分を恐れているってね。自分を恐れるナルシズムというのもあるというのを、その時に初めて知ったんだ」
「俺も、自分ではナルシストだと思っているんだけど、時々、誰かの敷いたレールの上を歩いているんじゃないかって思うんだ。自分の道を進もうと思っても、レールの上だけしか走れない電車ではしょうがないよね」
「暗示にかかりやすいんじゃないのかい?」
「そうかも知れない。時々、何かに操られているように思うんだ。でも、自分は人の影響を受けないようにしているだろう。気持ちとしては矛盾を感じてしまうんだ」
「それはきっと、ナルシストな人間は他人に与える影響を気にしているからじゃないかな? 気を遣うことが心の余裕だと思っている人がいるけど、自分の身を削っていることには気づいていないものだからね」
 桜井との会話を聞きながら、佑哉は目の前に見えない鏡があるように思えた。
――鏡は真実を写しだすものだとは限らない――
 これは佑哉の考え方だが、これは決して特殊な考え方ではなく、同じように考えている人は、他にもたくさんいるだろう。そう思いながら、桜井の話を聞いていると、自分が次にする返答が話を聞き終わる前にはできあがっていて、さらにはそれに対しての桜井の返事まで想像がつきそうだ。きっと目の前にある鏡に向かって話しかけていると、回答としてのこだまが返ってくるかのようだった。

 恵はしばらくして一人の男性を紹介された。名前は佐々木佑哉。
 恵は小学校の頃に好きな人がいたのだが、告白できずにいたことを気にしていた。今でもその笑顔を覚えている。
 その日、佑哉は朝から熱っぽいと話をしていたが、確かに怠そうにしている。時々、気に入らない相手を紹介されて、急に体調を崩す人がいるというが、それは、無意識ではないため、見た目に分かる露骨さがある。
 しかし、その日の佑哉は確かにきつそうで、そのことを言い訳とする様子もなかった。
 佑哉には愛想笑いの似合わない男性だと直感した。笑顔を見せず、ほとんど無表情なのは、彼の持って生まれた性格であり、恵にとっても悪い気はしなかった。引っ込み思案の自分が、人の紹介で男性と会う気持ちになったのは、どこから来た心境の変化であろうか。最初からどんな男性なのか想像がついていたかのように、恵も普段と変わらず大人しかった。
 紹介してくれた人は、見た目大人しい者同士の男女と同席するのは居たたまれない。実際の二人の間に流れている空気は、紹介者には分からなかった。凍り付いたような雰囲気の場所から、一刻も早く離れたかったのだ。佑哉も恵も二人きりになることを心の中で望んでいた。紹介者の離席は、願ってもないことだったのだ。
 恵が近い将来誰か心を通じ合える男性に出会えることを予測していたのは伸子だった。伸子には恵の将来が見えている気がした。伸子のナルシズムは、自分に対してではなく、恵に対してのものだということに気づいたのは、恵の将来を予測できるようになってからだ。
 予測は確定ではない。あくまで予測のはずなのに、伸子には確信めいたものがある。それはいつも恵が鏡を絶えず見ていることを知っているからで、鏡の先に見えているものは、恵本人ではなく、自分だと思っている。伸子が見つめる鏡の先に、時々写る恵の姿。伸子にも恵の先を進んでいる意識はあったのだ。
 同じようなことを伸子が感じているのを、恵は知らない。また、目の前にいる佐々木も同じようなことを考えたことがあったのも知らない。今日、佑哉が熱っぽいと朝から考えていたのがなぜなのか、今、恵を目の前にしてわかった気がした。
――この人の後ろに誰かがのしかかっているのが見えるようだ――
 熱っぽさが身体のうちから滲み出てくるものではなく、表からの圧力によるものだということは、朝から分かっていたような気がする。何かにのしかかられていると思えば、それも分からなくなかった。
 のしかかっているものが何なのか、どうやら見えない人のように思う。見えないのは、光を自らが放つものではなく、却って光を吸収し、そこに存在していることを打ち消すことが存在意義になっているという、まるで禅問答になるような話である。ひょっとして佑哉は恵を見ているつもりで、その奥に潜んでいる伸子を見ているのかも知れない。
――まるで二人羽織だ――
 服で隠れているが、背後で誰かに操られる姿、しかも、背後の人間の意志は確実に働いているのだが、いかんせん、その人は本人の目になることはできない。本人は操られているだけだ。
 ナルシズムという感覚が佑哉の目をして、桜井を背後に感じる。いつも見られている感覚は、ナルシストとしての気持ちを超越し、見られていないと不安に感じるのが、ナルシストの本音なのかも知れない。
 目立ちたいという気持ちは、不安を払拭するために、不特定多数の人やものから見られたいという気持ちも含まれている。自分が目立ちたい、個性に溢れた人間だと思われたい。そう感じるのも、不安を払拭したいところから始まっているのかも知れない。
 研修で一緒になった時の桜井がしていた話を思い出していた。
 桜井は小学生の頃に、気になる女の子がいて、それは彼女に見つめられて意識するのが恥ずかしかったという。それを今でも覚えているのだが、彼女のことを本当に好きだったかどうか分からないが、実際に会えば、最高の笑顔をしたいと話してくれた。
 さらに桜井は佑哉に向かって、こう言った。
「お前と付き合う女性は、きっと素晴らしい女性なんだろうな」
 それを聞いて、素直に喜んでいる自分と、なぜか訝しい気持ちになった自分とが、同時に現れた。たまに、もう一人の自分の存在を感じることがあるが、すぐに意識から消えてしまう。だが、その時はすぐに消えることはなく、一瞬にして、二つの発想が浮かんだことを感じた。
 もう一人の自分を感じる時は、きっと二つの両極端な発想が浮かんだ時で、すぐに忘れてしまうから、複雑な心境という言葉で片づけてしまうことになるのだろう。
 佑哉は自分のわだかまりとトラウマを漏れなく話したつもりだったが、桜井はすべてを鵜呑みにしていないようだ。
作品名:短編集68(過去作品) 作家名:森本晃次