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短編集68(過去作品)

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 伸子としては、まさか自分の嫌な思いを相手に背負わせているなど思ってもいなかった。それはきっと以前自分が大人しい頃にもおせっかいな人が寄ってきたことを思い出したからだ。その人は天真爛漫で、おせっかいなくせに憎めないところがある。一人になりたいと思っても寄ってくるのを半分あきらめ気分でいると、自然と自分が開き直ってくるのに気付くのだった。
 その相手が自分から離れて行った時、自分が社交的になっていることに気づいた。これでいいのか分からなかったが、まるで母親のような気がしたのは、ちょうど母親に対して嫌悪を抱いていた時だったからだ。
 パート先の店長と不倫をしているという噂を聞いた。人の噂には戸は建てられないというが、まさしくその通り、隠そうとすればするほど尾ひれがついてくるものらしく、瞬く間に近所に広がっていた。
 母親はすでに開き直っていた。
「言いたい人には言わせておけばいいのよ」
 と、半ばヒステリックになっていることも分かっていた。振り上げた鉈の下ろしどころを誰もが模索しているようで、腹の探り合いという構図は、見ているだけで気持ち悪いものだった。
 伸子はよく鏡を見る。鏡を見て、今の自分が昔の自分と違うことを確認しているのだが、さらに母親に似てきていないことを確認している。それは、ナルシズムだけではなく、変わっていく自分への戒めのようなものを自分に感じさせるためでもあった。
 実は恵もよく鏡を見ている。回数からすれば、伸子よりも多いかも知れない。だが、そのうちの半分は無意識にである。無意識なだけに独り言を言っている。その独り言も声が小さすぎて誰も分からないだろう。もっとも、恵が鏡を見ているなど、誰も知らないはずではあるが。
 恵が鏡を見るのも、ナルシズムに浸っているからである。大人しくなるべく目立たないようにしているのは、自分の世界を侵されたくないからで、鏡を見ている時だけは、自分の世界に浸れるのである。自分の世界に浸るということは、誰にも邪魔されずに自分を顧みることができるということで、ぶつぶつ呟くのもそのためだった。
 いつも違うことを呟いている。話しかけているのは、自分のことを聞いているわけではない。よく聞くと、伸子に向かって話しかけているようだ。
 ということは、鏡を見ているという意識がないのではないか。感覚としては夢を見ているようで、きっと自分という人間の感覚がないから、鏡に写ったものが同じ行動をしていれば分かるはずなのに分からない。鏡の中が伸子だと思ったとしてもそこに本人としては不思議はないのだ。
 確かに自分のことが一番よく分からない。姿かたち、顔までもが鏡を見なければ分からないのだが、恵は鏡に写る自分すら信じられないのだ。
 だが、恵は鏡という存在を知らないわけではない。鏡を鏡として見ないだけで、鏡を見つめてしまったら、
――もし、鏡に写った自分が違う動きをしたらどうしよう――
 という気持ちがあり、鏡を極端に恐れている。恐れは嫌悪に変わり、それが鏡を信じさせない気持ちにさせている。鏡の中の相手に洗脳されてしまいそうな気分に陥るのだった。
 こんな考えは実に子供じみていると思っている。決して人に悟られたくない。恥ずかしいというよりも、誰もが抱いている鏡に対してのイメージがあり、それを刺激することが鏡への冒涜になってしまい、どんな報復が待っているか分からない。教具を感じてしまうと、何もかもが負い目になってしまうのだった。
 引っ込み思案で大人しい性格というのも、仮の姿だと本人は思っている。いつかほとぼりが醒めて、本来の自分の性格を表に出せるようになると思っているが、そんな気持ちをひょっとしたら伸子に悟られているのではないかと思っていた。恵に寄ってくる人を毛嫌いしないのは、本当に人と一線を画したいわけではなく、本心を見抜かれるのが怖いからだ。
――ひょっとして、本心を見抜いてほしいと思っているのかも知れない――
 恵は自分を顧みて、そう感じている。本心を見抜かれるなら、伸子であればいいとも思っている、伸子は自分と同じところを持った女性である。同じ道を自分の何歩か先を歩んでいて、恵は後ろからついていっているのかも知れない。
 そういえば、すぐ前は見えるのだが、少し前から先は何かの障害物があって見えない気がしていた。その障害物こそ伸子の背中であり、いつも伸子の背中ばかり見ているのだろう。だが、それも嫌ではない。風当たりの強さを防いでくれているのも伸子の存在があってこそのこと、ありがたいと思うべきではないか。
 最近の恵は、自分が何かに拘束されているように思えてきた。ただ、それは束縛ではない。自由のある拘束である。ただ、今の恵は自由という言葉を履き違えているのではないかと思っている。実際の自由はもっと広いところに存在し、自分の考えている自由の範囲でしか、ものを考えることができないでいる。
――それこそが私の中でのナルシズム――
 その思いを感じさせてくれたのが、伸子の背中であった。
 時々、自分が石ころのような存在だと思うことがある。気配をわざと消しているわけではなく、まわりから気にもされない時がある。それは自分がナルシズムに浸っている時ではないだろうか。そう、鏡を見ている時、その時に誰からも気にされることなく集中している。集中がまるで夢のように思われ、集中が解けると、その時のことを忘れている。夢とはまさしく忘れるために見るものだと思っている恵には、夢から覚めようとする時に感じる背筋が寒くなる感覚があった。
――誰かに後ろから見られている――
 その感覚は、前と後ろに鏡を置いて、そこに写っているのは、鏡の中の自分が果てしなく続いている姿だった。鏡の本当の恐ろしさは、無限に続くものを写しだすところにあるのかも知れない。

 桜井が佑哉に話したことは、失恋の話だった。好きな女性がいて付き合っていたのだが、いきなり別れを告げられたことが、トラウマになってしまったという。謂れのない別れに納得いくはずもなく悩んでいた。
 桜井とすれば、いつまでも付き合っていく相手ではないのではないかと思ってはいたらしい。結婚願望が強そうに見えたというのだが、別れの原因もそのあたりにあったのではないかと思ったという。
 それだけ相手の女性は現実的な女性なのだろう。女性というものは元来男性の理想主義とは違い現実主義的な人が多いと言われるが、結婚願望のある女性であれば、特に序実かも知れない。
 佑哉も以前失恋したことがあったが、その時の教訓として、女性はある程度まで我慢すると、ある一線から切れてしまうと、そこからは現実的にしか見れなくなるらしい。いつまでも思い出に浸って、イジイジしているのはむしろ男の方で、男があっさりしているというイメージは、ドラマの恋愛モノにはつきものの、不倫関係にある男性を頭に描いているからかも知れない。
作品名:短編集68(過去作品) 作家名:森本晃次