短編集68(過去作品)
恵は伸子のことをあまり羨ましいとは思っていないが、伸子の方は恵を羨ましいと思っている。本来なら逆であろう。高嶺の花ともいうべき伸子に恵が憧れる構図を誰もが想像するに違いない。だが、実際にはそうなっていないことを、相手を見ることで、お互いに分かっているようだった。
伸子は自分が人の影響を受けやすいということを知っていた。まわりには悟られないようになるべく個性を出そうとして奇抜なファッションをしてみたりするのだが、それが人に受け入れられることで人気も出たのだ。一つ生まれる次代が違えば、ひょっとしたら、誰からも受け入れられなかったかも知れない。それだけ個性的で、流行とは無関係のものだった。それも人の影響を受けやすいということをカモフラージュするための表に出している性格だったのだ。
人の影響を受けやすいといっても、人のことを細かく観察しているわけではない。むしろ人のことは関係ないという性格のくせにどうして影響を受けてしまうのか分からなかった。
伸子は恵が本当に存在しているのかということを考えることがあった。一緒にいて、たまに自分が口から出そうとしていたセリフを恵が口走ることがある。伸子にしてみれば、一生懸命に考えて出した言葉だったはずなのに、恵はいともあっさりと、しかも吐き出すような言い方をする。
伸子にとっては屈辱的だった。なるべく相手を平等に考えようとしている伸子だったが、この時ばかりは、恵に対して憎悪が芽生える。言葉一つのことでここまで思うのは、自分がしようとしていることを相手に先にされてしまうことが溜まらなくいやだったからだ。それも実にあっけらかんとである。
そんな時、本当に恵という女性をこの世から消してしまいたいと思う。しかし、
――待てよ。元々、目立たない性格の女じゃないか――
と感じることで、すぐに我に返って、気持ちに余裕を持つことを心がけている。
実際には、恵にはそんな伸子の考えが分かっていた。伸子の態度でそれと知ると、原因が自分の一言であることにも気づくのだった。
だから余計にまわりに自分の気配を消そうとしてしまうのだ。その思いは伸子には分からない。分からないから腹も立ってくる。それでも熱しやすく冷めやすい性格の伸子は、すぐに恵と仲良くなろうとする。恵にしても悪いのは自分だと思っているだけに、そんな自分に再度近づいてくる伸子に恐縮した気持ちと嬉しさで、簡単に受け入れてしまうのだった。
恵は自分が人に無愛想だとは思わない。まわりの人も決して恵が無愛想だとは思っていない。むしろたまに目が合って、一瞬だがはにかんだ表情を見せる恵に微笑返すが、その表情が引きつっているために、すぐに視線をそらすのだった。
まわりは、恵に対して意識がないのがどうしてなのか分かっていない。気配を消すなど、簡単に想像できることではないからだ。特に意識してもかなり気配を消すことに集中していないとできないことのように思う。それだけの労力があるのなら、人と会話している方が楽ではないかと思うのだった、
伸子は、本心のどこに恵に近づいているのか、分からなかった。しいていえば引き寄せられている気分であるが、ただ、一つ言えることが、自分にないものを持っている機がしたからだ。
気配を消されれば、余計に奥を見てみたいと思負うのが、伸子の本音かも知れない。それは誰もが思いそうなことだが、他の人は恵に近づこうとは思わない。そういう意味でも、恵が自分から気配を消そうとしていることに気づいていないのだ。
恵にしてみれば、してやったりと言ったところであろうか。しかし、そんな気持ちを表に出すこともなく、佇んでいる。恵自身にもその気持ちが分かっていないのかも知れない。
伸子も実は高校の頃は大人しい女の子だった。それでも彼氏ができて、その人に気に入られようという気持ちでいたのだが、今のようにファッションに興味があったわけではなく、どうしていいか分からない時は、友達に聞くしかなかったのだ。
友達は優しく教えてくれた。選んだ友達は化粧が上手でないといけないと思い、なるべく目立つタイプの女の子だった。選択に間違いはないと思うのだが、人の考え方は変わるものであることを計算に入れていなかった。
特に多感な高校時代、いろいろ考えることがたくさんありすぎて、どこか感情が薄くなってしまっていることに、なかなか気づかないでいた。そのためか、言葉で人を傷つけることもやむなしの時期があったのだ。
人からされると心に響くが同じことを自分がしてもなかなか気づかない。絶えず前ばかり見て歩いていると思っているからだ。足元など気にすることもなく、躓いても、
――青春時代ってこんなものよ――
と自分を納得させるのだった。
そんな気持ちが蓄積し、彼氏の前でも少しずつ変わっていく自分に気づいていなかったが、彼氏から、
「大人しい君が好きだったんだけど、本当に君って大人しいだけなんだね」
これが皮肉であり、別れの言葉だということもすぐには分からなかった。別れることになって気づいても後の祭りだった。
――私も皮肉の一つも言いたかったわ――
何かを言う機会を男は与えてくれたが、何も言えない自分に腹立たしい。きっと男の方も、
――どうせ、君には何もいうだけの言葉が見当たらないんだろう――
と言いたげに余裕の笑みを浮かべていた。完全に見下ろした言い方だった。
伸子と別れた男は、すぐに他の女性と付き合い始めた。今度は伸子とは似ても似つかぬケバい女性だった。化粧も素人の伸子が見て、お世辞にも綺麗には見えなかったことで、
――所詮、この程度の男なんだ――
と、失望よりも呆れたと言った方がいいだろう。
伸子にとって男は女性の美しさのバロメーターでも何でもない。修飾するだけのものだと思えば、変な男も寄ってこないだろう。そう思っていると、次第に気持ちが晴れ晴れしてきて、少し洒落た気分にもなった。
それは男のナルシズムに気が付いたからだ。本当のナルシズムと見せかけのナルシズム、世間一般に言われるナルシズムは、見せかけのものに違いない。本当のナルシストは自分を大切にする人で、自分を大切にできる人は自分に余裕を持つことで、相手に対して暖かい目で見ることができる。
たいていの男性はどちらかのナルシズムも持っている。ただ圧倒的に見せかけのナルシストが多い、自分でも悪いくせだと思っているから隠そうとする。本当は却って隠そうとすると目立つものなのだろうが、まわりも皆同じものを持っていることから、誰も気づこうとしない。気づかないのではない。気づくことを恐れているのだ。
伸子は、大人しかった時のことをあまり思い出したくない。もうあの頃のような閉鎖的な考えを持ちたくないのだ。それなのになぜ以前の自分のような大人しくて引っ込み思案な恵を相手にするのだろう。
確かに人が困っていたりすると、黙って見過ごせないタイプで、おせっかいなところがある伸子だったが、以前の自分をまるで鏡で見ているような相手にどうして執着するのだろう。伸子の中にはその思いは少なかった。その代わりに、終着された恵が抱いていたのである。
作品名:短編集68(過去作品) 作家名:森本晃次