短編集68(過去作品)
鏡の世界のことは、以前からいろいろ想像したりしていたが、絵の世界、写真の世界といろいろ考えてみると、同じ二次元でも、絵は完全にオリジナル、写真は動きはないが、こちらの世界の映し出したいわゆるコピー。鏡は、動きを加えたもの。それぞれに段階があるが、同じ世界ではないのだ。
実季の目指す絵の世界が、私にとっては造詣が深い。
「何もないところから作り上げる」
という個性豊かな考え方が好きなので、絵に対する造詣が一番深いのも当たり前だ。
中学時代、小説に憧れたのも、絵を描く感覚と似ているのかも知れない。芸術という意味では絵画と写真は似ているが、クリエイティブな感覚は小説と絵画である。小説も文の芸術という意味で、文芸と呼ばれるではないか。私にとって実季が妹に見えたのは、二人が絵を描いているという偶然が結びつけたものなのかも知れない。
あれから公園で何度か実季を見かけた。相変わらず朝日に向かって絵筆を動かしていたが、真剣そのものの雰囲気にちょっと近づくことができなかった。喫茶店でそれからも見かけて話をするようになったが。絵の話はあまりしたがらない。
「人によっては、自分の領域を荒らされたくないという人も多いから、話しかけられるのを嫌う人もいる」
と私は思っていた。だが実際には絵の話をしたがらないのは私にだけであって、他の人とはざっくばらんに話している。それは私との絵の話が特別な発想になってしまうことを嫌ってのことなのか、それとも白熱しすぎて枠を外れてしまうと思っているのかではないかと思う。なぜなら、私も同じことを考えているからだ。
実季が私のことを男として気に掛けてくれているのに気付いたのは、しばらくしてからだった。私が気付いたというよりも、マスターが気付いて、それとなく私に気配で教えてくれたのだった。
私は正直驚いた、実季を妹のように思っているということもその一つだが、自分が気付かずに、マスターが先に気付いたということである。
私はそれほどすぐに気付く方ではないが、鈍感でもないと思っている。それなのに、先にマスターが気付いたというのは、私がそれだけ妹と実季をかぶって見ていたからかも知れない。
妹が連れてきた彼氏のことを思い出していた。私とは似ても似つかない雰囲気に、最初ビックリしたが、ひょっとして妹は私のイメージと違う男性で、私のことを忘れようと思ったのかも知れない。
妹はその男性と別れて、今は彼氏はいないようだ。無理に作ることはやめて、自分の気持ちに正直になろうとしているのかも知れない。
自分の気持ちに正直になることで、絵を描くことにも集中できるようになったという。一度送ってくれた手紙に、
「絵を描くというのは、自分を見つめることなのよ」
というセリフが書かれていた。
そのセリフを見てから、私は実季と絵の話をしたいと思うようになっていたのに、実季は一向に私とは絵の話をする気配がない。絵に関して、私を避けているように思えるのだった。
実季とは他の話で花が咲いた。他愛もない話がほとんどだったが、その中でもふとした弾みで絵の話が出てくることがあった。無意識なのだろうが、避けていた分、他の話しでも盛り上がってくると、勝手に考えていることが口から出てくる。
「絵の中にもう一人の私がいて、その人がこちらを見ているのが分かるんです。その時に絵を描き続けると、時間も忘れるし、贅沢な時間を過ごしているんですよ」
実季の贅沢な時間というのは、至福の時間なのかも知れない。
実季にとって絵の中の自分が本当の自分のように錯覚できる時間。それが絵を描いていることを自覚できる時間。他の時間は絵を描いているという意識があっても、自覚ではない。自覚は、絵を描いている自分を表から見ることができるようになることから始まるのだった。
実季の描いている絵が気になって、一度池のほとりで描いている実季の後ろに回り込んだことがあった。一生懸命に木の後ろに隠れながら見ようとしたが、微妙な距離があるために見えなかった。ただ、オレンジ色が眩しく感じられたのは印象的だった。
「朝日がオレンジ色に見えるのかな?」
黄色っぽいオレンジ色だった。それは私のいつも感じている夕日へ思いに似ていて。朝日の白い閃光を思わせる色ではなかった。
他の色はまったく感じない不思議な絵に思えた。実季が描いているのは朝日だけではないかという疑問にもぶち当たっていた。一度喫茶店で
「私の絵、絶対に見ないでね。今まで人に見せたことがないの」
と、本気とも冗談とも取れる言葉を発した実季だったが、その表情は冗談だとは思えなかった。
「コンクールに応募とかしないの?」
「ええ、私はしたことはないわ。私の自己満足の絵だって思ってほしいのよ。他の人も決して私の絵に興味を持ったことはないみたい」
絵の話をしているように思っていたが、趣味の話の中の一環として、絵の話が出てきているだけのようだ。実季の絵の話題は、それ以上でもそれ以下でもない。趣味の話として絵の話をする時の実季は本当に楽しそうにしているが、それは自分が話題の中心にいるわけではないからできるのであった。もし話題の中心にいるとすれば、彼女にはもっと緊張があるに違いないからだ。
私は自分が小説を書いていた時期を思い出していた。実季を見ていると、また小説を書いてみたいと思うようになっていた。
「僕も最近、小説を書き始めたんだ」
実季には、中学の頃に小説を書いていたことを話した。なかなかうまくいかずに止めた経緯も話したが、
「今ならまた書けるんじゃないかしら?」
と話してくれた。根拠があるのかないのかは分からないが、意欲だけでは書けるものではないことはお互いに分かっている。それに一度やめたものをもう一度書き始めるということに関してはきっかけがいるはずだ。今は実季が絵を描いているということで自分に刺激を与えてくれたということだと思っている。
「私中学時代には、ポエムを書いていたりしたんですよ」
「ポエムというのもいいですよね」
「ポエムはね。感情を文字数に抑えるのが微妙なんですよね。短い文章にいかに感情を盛り込むかですね。私が絵画を始めたのは、ポエムの影響もあったからかも知れないわ」
「絵画にポエムの影響が?」
「ええ、表現というのはそれぞれでしょう? ポエムも小説も情景を思い浮かべながら書いていくものですよね。ポエムの情景を思い浮かべながら、もっとポエムをうまく書きたいと思っているうちに、絵を描いたら少しは上達するんじゃないかと思ってデッサンから始めたんですが、そのうちにポエムよりも絵画に熱中してしまって、今では油絵を描くようになったんですよ」
「絵って難しいですよね。まったく動かないものを描くわけじゃなく、動いているものも描くことになる」
「ええ、時間が掛かる作業なので、それは仕方がないことですよね。でも、それだけに準備も必要なんです。色を塗り始める頃には、ほとんど終わったような気がするくらいなんですよ」
「でも、『百里を行く者は九十をすぎて半ばとす』ということわざもありますけど、そんな感じなんでしょうか?」
「少し違っているように思うんですが、他の人から見ればそう映るんでしょうね」
作品名:短編集68(過去作品) 作家名:森本晃次