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短編集68(過去作品)

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 この時も妹は、私に彼を会わせた時には気持ちが固まっていたように思う。妹のそんな性格が表に見えてきたのは小学生の頃からだった。今から思えばまるで昨日のことのように思うのだが、妹の性格が形成されていった時期を思い出そうとすると、かなり昔のように思えてくる。
「生まれる前から知っていたような気がする」
 それが妹だったとは言わないが、小さい頃よりもずっと以前にも、妹のように私を慕ってくれる女性がいた。彼女が死を覚悟した後に知り合ったのだ。すでに彼女は余命を告げられていて、どこまで覚悟が決められるかという時期だった。何も知らない私は彼女と恋に落ち、いつの間にか、運命共同体になっていた。
 私に覚悟は必要なかった。最初から覚悟はあったのだ。彼女との別れの瞬間は覚えていないが、こみ上げてくる気持ちの重たさは、暗黒世界を呼び起こす。そのまま私の彼女への思いは、暗黒世界に吸い込まれていったのだが、その後、スーッと身体が軽くなってきた。
「次の世界で会いましょう」
 と言って息を引き取った彼女だが、その言葉に私は一気に軽くなった身体を制御できなくなってしまった。そこから先の記憶はなく、今に繋がっている。昨日のことのように思えるのはそのためで、ただ、思いは深いのだ。それが昔という感覚を思い起こさせ、「いにしえ」という表現がピッタリだ。
 女性が被写体の絵を見ると、ついつい見入ってしまうことが多いが、彼女を追い求めているからだった。
「次の世界で会いましょう」
 という言葉だけが頭に残っている。女性が被写体の絵を見ると、絵の中の女性にそう語られているように思うのだ。ひょっとすると、お互いに人間として出会うのではなく、彼女は絵になっているのかも知れない。
 逆に生まれ変わった彼女がこの世で出会う私は、同じように描かれたものなのかも知れない。お互いに人間であれば、きっと違う顔で生まれ変わっていると思う。決して出会うことがないように神様が与えた時間は意地悪なのだろう。
 絵が好きな実季、そして妹も学生時代には美術部で絵を描いていた。コンクールにも入選したことがあるほどで、自慢の妹だと思えるのも、才能を感じさせられるからだった……。

 表裏たる
  光と影にて写りけり
   出来上がりたる思いは放たれ

 妹はやはり彼と別れることにしたと連絡をくれた。私の部屋に遊びに来た後に、彼氏を連れてきて、今度は別れたと聞かされた。
「せわしいやつだ」
 と、苦笑いをしたのは安心感からだった。私の思いと妹の思いが一致したと思うだけで嬉しくなる。彼女と同じ考えでも嬉しいのだが、同じ嬉しさでもレベルに違いがあるのかも知れない。
 彼女ができても、
「私のものだ」
 という意識は持てない。持ってしまったら、相手に嫌われると思うからだ。同じ嫌われるとしても、気付かれたくない思いだ。もし知られたと思えば、恥かしさで顔が真っ赤になることだろう。独占欲が強いくせに相手に知られることを極端に嫌う、独占欲の強い男性は、気が弱く恥かしがり屋なのかも知れない。
 なるべく気付かれないようにしているが、相手にはすぐに分かってしまうようで、
「あなたって分かりやすい人ね」
 と今までに何度か言われて、その後すぐに判で押したように別れが訪れる。その思いが私の独占欲を戒める言葉であることになかなか気付かなかった。何か皮肉っぽい言い方だとは思っても、一番知られたくないことを知られたことへの皮肉だとは思いもしなかった。
 分かりやすい性格は隠し事のない、つまりは表裏のない男だと思っていた。最初は皮肉だなどと思っていなかったので、
「分かりやすいことはいいことだ」
 と感じるほどだった。
 分かりやすいと言われないように心がけようと思っているが難しいかも知れない。意識し始めたことで、さらに難しくなったのだ。
 妹のことが一段落すると、香織と会うことが多くなった。それまでは妹が気になることを隠さずに話していたので、分かってくれていたはずだ。隠し事のない間柄にしようというのは最初からの暗黙の了解で、お互いに気になることは相手に伝えていた。
 香織が今気になっているのは、母親のことらしい。あまり体調がよくないらしく、田舎に帰ってきてほしいという話をしているらしい。田舎の家は農家を営んでいるということだが、香織も農家が嫌で高校を出て、都会の短大を出たのは、都会への憧れというよりも田舎の生活が嫌だったからだ。
「ここは私のいる世界ではないわ」
 元々写真が好きで、高校では写真部だった。最初は学校行事などを撮っているだけだったが、次第に行動範囲を広め、景色を撮り始めると、風景写真のとりこになったのだ。
 静止しているものをそのまま撮る。動いているものを、いかに動きの臨場感を残したままファインダーに収めるかが、カメラの醍醐味だという。私は画家の気持ちは分かるがカメラマンの気持ちは分からない。
「実季の気持ちは分かるが、香織の気持ちは分かりかねる」
 と言っているようなものだが、ここに来て香織の気持ちを否定するなど私にはありえないことだった。
 私はカメラのことはよく分からないが、結構いいカメラらしい。それなりに値も張り、学生には贅沢なくらいだという。
「写真ってお金もかかるのよ」
 カメラを持っていろいろなところに顔を出す。
 私などはカメラと聞くと、アイドルを追いかけるカメラ小僧や、引退する列車を偲んで集まってくるカメラ小僧のイメージが強く、どうしても「オタク」という感覚が拭えない。
「いいんだ、言いたいやつには言わせていけば」
 いわゆる「アニメオタク」の友達は、まわりから何を言われても気にならないようだ、「オタクにはオタクの意地ってものもあるしね」
 一時期オタクをテーマにしたドラマがあったが、知らない人から見れば、分からない言葉を平気で口にし、気持ち悪いという言葉がピッタリの彼らの生きがいなどあるのかと言いたくなる。
 私にとってオタクの世界は分からないが、ある意味彼らを「芸術」だと考えればいいのかも知れない。「マンガ」と同じ感覚だ。
 お堅い大人から見ればマンガなど、オタクと同じに見えるかも知れないが、
「マンガは日本が世界に誇る文化なんだ」
 と、元首相の言葉ではないが、確かに芸術という文化である。
 友達はその言葉を首相が口にするずっと前から言っていた。さすがに声を大にしていうわけにはいかなかったが、それでも今から思えば説得力はあった。ただ小学生がいくら吠えても、大人に対しての説得力にはならない。特に親に対しては通じるものではなかったのだ。
「言いたいやつには言わせておけ」
 というセリフは負け惜しみにしか聞こえなかった。
 しかも私には偏見がなかったわけではない。マンガが好きな連中よりも小説や絵が好きな人には尊敬の念を持ち、その反動をマンガが好きなやつに向けていた。
 実は今でもそうである。絵画が好きな実季に出会ったのも、写真が好きな香織に出会ったのも、しかも時期的にかぶっている。これは偶然だと言えるだろうか。実季に出会った時、彼女が絵を描いている姿を見せてくれていなければ、私は二人と知り合うことはなかったかも知れない。
作品名:短編集68(過去作品) 作家名:森本晃次