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短編集68(過去作品)

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 香織は私のことを兄のように慕ってくれている。最初はそんな彼女を抱くなどということに罪悪感を感じたほどだったが、思ったよりも香織が寂しがり屋であるのが分かってくると、包み込んであげたくなったのだ。
 もちろん、香織が拒否すれば、無理なことはしないつもりだった。学生時代に無理を押し通し、痛い目に遭ったこともあったからだ。完全に嫌われてしまい、私を嫌悪するほどになった女性がいた。
 何よりも悪かったのは、その理由を私が分かっていなかったことだ。自分としては、それほど強く迫ったわけではないと思っていたが、彼女からすれば、ムードが大切だったのである。強弱の問題ではなく、迫ったことが問題なのだ。デリケートな女心を分からなかった私が全面的に悪かったのだが、それを自覚していない私は、なぜ彼女が自分から遠ざかるのか分からなかった。自分に非がないと思っている私は、まるでストーカー一歩手前の行動に出たりして、余計に相手の心証を悪くした。そのことに気付いたのは、失恋を自分で受けとめ、冷静になるまで掛かった。半年以上は掛かったことだろう。今の半年と違い学生時代の半年は私にとっては一年くらいの感覚である。かなりの長い間のことだったのだ。
 そんな自分を今でも嫌悪している。時々、また同じことを繰り返してしまうのではないかと思うことがあったが、社会人になって付き合った最初の人とはそんなことはなかった。別れの時は辛かったが、お互いに納得ずくで別れたはずだ。ちょっとした誤解からお互いにぎこちなくなってしまい、そのまま付き合っていれば、それこそ泥沼化していたかも知れない。
 それでもさすがに辛かった。この時は人に相談することもあったが、なかなか期待した応えは得られない。またこの時に感じたことは、以前であればたくさんの人にアドバイスを受けたくて、何人にも話したが、人それぞれ意見があり、同じような意見でも細かいところ(実はこれが核心部分だったりするのだが)、で微妙に違っていたりする。要するにたくさんの意見を受けすぎると自分の中で整理できずに、結局混乱を招くだけになってしまう。アドバイスを受けるなら、よほど信頼のおける相手で、しかも自分のことをよく分かってくれている人ではないといけない。私が相談の際に話すことが、本当の真実だとは限らないからだ。
 いくら自分がすべて真実だと思って話していても、結局は私の側からしか見ていないわけだから、的確なアドバイスができるわけもない。私のことを分かってくれている人なら、私の話すことをいちいち確認するだろう。だから時間もかかるし、根気よく話を聞いてくれる人でないとダメなのだ。
 果たして私にそんな相手がいたかどうか、疑問である。それでも話を聞いてくれるだけでもありがたい時期があり、話だけを聞いてくれて、余計なことは何も言わない本当にいいやつもいた。
「本当に悪いことをしたな」
 ひょっとしたら、私の相談を断り切れずに、嫌々聞いてくれただけのかも知れない。それは本当にありがたかった。それがないと、一人でストレスを溜めこむことになったはずだからである。
 社会人になってからの失恋は、人に話すことはなかった。どちらかというと、私に付き合っている女性がいることを知っている人は少なかったはずである。自分から話すことはなかったし、会う時も会社から離れていた。家の近くの人だったので、会社の人が知り由もなかったはずだ。
 それでも素振りで分かった人もいただろう。さすがに落ち込んでいる時は、雰囲気を隠し切れないからである。
 香織は何も言わないが、私は分かっていることがあった。
「香織は失恋してすぐなんじゃないかな?」
 元々明るい性格なのかということに疑問を感じるようになってきた。無理して明るさを保っているように思うからだ。
 香織から醸し出される優雅さは本物である。その雰囲気を私は夕日と重ねて見ていた。夕日には、朝日にない優雅さを感じるのは、疲れを感じるからだといって、ピンとくる人は少ないかも知れない。私の勝手な感覚なので説明するのは難しい。
 しかし、朝日を浴びることによって朝元気が出るのを分かっている人は多いだろう。実際に私も朝日を浴びることは少ないが、朝日を浴びた日はすっきりしている。朝から元気になった日も朝日を浴びずにゆっくりと出勤した日も、夕方の時間になれば疲れてくるのは同じである。
 疲れ方も変わりない。同じくらいに疲れていることだろう。ただ、それは肉体的な疲れで、精神的な疲れとはまた違っている。有意義さという意味で違うのだ。
 朝日を浴びた日は、ハッキリと有意義を感じることができるが、浴びていない日は、その日の実績によってしか判断できない。元々、これが本当の有意義さなのだろうが、朝日を浴びていれば、きっとその日は有意義に過ごせたに違いないというこれも勝手な思い込みであった。
 朝日を見る時も、夕日を見る時も、空腹に襲われている時が多い。
 朝日を見る時の空腹には耐えられるのだが、夕日を見た時の空腹には耐えられない気がしている。
 元々私は朝食を食べないことが多くなったが、子供の頃に、判で押したようなごはんに味噌汁というメニューが多かったからだ。朝からご飯を食べるのはどうにも辛かった。しかもそれが毎日となると、苦痛でしかない。文句を言うわけにもいかず、高校生になるまでは頑張って食べていた。
 大学に入り一人暮らしをするようになって見つけた喫茶店、そう、朝いつも通っていた喫茶店で食べるコーヒーにトースト、さらにはサラダにスクランブルエッグといった洋風の朝食が私には新鮮だった。
 毎日のように通った時期があり、何よりもコーヒーがおいしかったのを覚えている。
 私は高校生になるまでコーヒーが飲めなかった。あの苦さが苦手だったのだ。それでも飲めるようになったのは、大学の先輩から連れて行ってもらうようになってからで、さすがに、
「飲めません」
 とは言いにくかった。お金は先輩が払ってくれたからである。
 乳製品が苦手な私は砂糖を入れることになるが、それが味の違いを引き立てた・
 馴染みの喫茶店のコーヒーは濃いというよりまろやかだ。私が、
「高校の頃まで飲めなかった」
 と言えば、それなりの味で作ってくれたのだ。私オリジナルを作ってくれたおかげでコーヒーが飲めるようになり、他のお店で飲んでも違和感がなくなった。
 大学四年間のうちのほとんど、朝食はいつもここだった。もちろん、食べれない時もあったので、それを除いてのほとんどである。
 就職すると、朝の疲れは大学時代の比ではなかった。毎日が緊張の連続、朝はぎりぎりまで寝ていたいというのが人情というものではないだろうか。
 実際に朝日を浴びなくなったのはそのせいである。毎日遅くまで仕事をして帰ってくると、緊張感が抜けないせいか、なかなか眠りに就くことができない。そのせいで朝がギリギリまで寝ていることになる。いわゆる悪循環なのである。
 悪循環はいろいろなところに影響してくる。
作品名:短編集68(過去作品) 作家名:森本晃次