短編集68(過去作品)
待ち合わせの時間がそろそろであることに気付く。余裕を持って待ち合わせの時間を決めておいてよかった。お互いに本当ならもう三十分くらい早く来れるのだが、待ち合わせの時間は一応の基準としておいて、遅れそうな時だけ連絡を取るようにしておけば、別に問題はない。
約束の時間の一時間近く早く来ていてよかった。いや、早く来たからこんな目に遭ったのかも知れないと思うと複雑な気分になった。だが、やはり私の性格としては早く来れるのなら早く到着するというのがモットーなのだ。今日のことはある意味仕方がないと思ってあきらめるしかないだろう。
余計なことばかりを気にしてしまうと、せっかくのデートに水を差してしまう。今日の予定は元々決めているわけではないので、話の成り行きで先を決めようと思っていることから、頭をリセットしておかないと、せっかくのデートが水の泡になってしまう恐れがある。それだけは避けたかった。
店に入るとすでに香織は来ていた。
「こっちです」
と言って、相変わらずの元気な笑顔を私に向けながら、手を振っている。香織の座っている席からはロータリーが一望できる場所で、たぶん彼女ならここにいるだろうと最初から思っていた場所でもあった。
店内を見渡すとほとんど客はおらず、展望できる席には彼女だけだった。
「だいぶ待たれました?」
「少しですね」
と言いながら、親指と人差し指で小さな丸を作って見せた。まるで女子高生のような仕草に可愛らしさを感じながら、
――本当は結構待ったんだろうな――
と思うのだった。
根拠は灰皿にあった。
香織は以前一緒に来た時はタバコを吸うような話はしていなかったが、今見ると、吸い殻はないが、灰が灰皿に残っている。私が来る頃だと思って、吸い殻だけを捨てたのだろう。
私は別にタバコを吸う女性が嫌いだというわけではない。もし吸っているとしても自分の前で吸わなければそれでいいと思っている。香織は、彼女なりに気を遣ってくれているのだろう。吸い殻は捨てたが、灰を綺麗にしておかないのは、ひょっとすると、私に自分が喫煙者であるということを暗黙で知ってほしいという気持ちの表れなのかも知れない。
それともう一つの理由として、香織が先に来ていたとすれば、香織は私が眩しさのため少し駅の方に入っていったことを知っているはずだ。それを知っていてわざと聞かないようにする代わりに、灰だけを残しておいたと考えるのは勘ぐりすぎだろうか。
香織の手元にはポシェットが置かれている。大きなカバンは、荷物入れのカゴの中に入っている。ポシェットは淡いピンクで、少し煌びやかな感じである。明るい香織にはお似合いではあるが、淡いピンクが豪華な色に感じるのは、香織の雰囲気を重ねて見ているからなのかも知れない。
少しファンデーションの匂いもする。やはりここで香織は私が来るのを待ちながら、化粧直しをしたに違いない。
何とも微笑ましい気がした。時間があるのだから、ゆっくり化粧をしてくればいいものを、きっと私の性格からすれば私の方が早く来ているかも知れないと思ったのだろう。私がいないのを確認してここで化粧をしたのだろうが、もし私がいたら、化粧室でも使うつもりだったのだろうか。
きらきら光る淡いピンクを見ていると、さっきの閃光を思い出してしまった。あまり見ないようにしないといけない。せっかく治ったものを、また頭を追いつめるようなことはできない。
「実は、今ここで少しお化粧しちゃった」
「えっ?」
私は気付いていることが分かったのか、隠すこともなく香織は自分から暴露した。
「本当はお仕事が少し遅くなっちゃって、お化粧する暇なかったのよ。急いで来てみたら、今度は少し早かったみたいで、どうも私は時間の計算をするのが苦手なようね」
と言ってニコニコ笑った。私も彼女の笑顔につられて笑ったが、この場面は私が笑ってもいいものなのだろうか。どうにも不可解な香織のリアクションは返答に戸惑いを覚えながら、少しずつ香織のことを分かっていけばいいと感じたのだ。
それにしてもここで化粧をするというのも大胆である。そのことを私に言うのも彼女が正直者だというだけで片づけられるのだろうか。
――ひょっとして?
今この店には他に客もいない。そしてさっき私が交差点を抜けてから店を見上げた時に最初に目が行ったところ、閃光に当たってしまったことで間違いないとは言い難いが、どうにも今香織が据わっている席に思えて仕方がない。
「来た時からお客さんは他にいた?」
「ううん、ずっと私一人だったよ」
と、香織は答えた。
間違いない。香織は意識しているわけではないが、香織が見た鏡が何かに反射して私の目に放射されたのだ。これは本当に偶然なのだろうか。もちろん、香織に悪気があるわけではないだろうし、そんなことをする理由
ただ、香織と一緒にいると、閃光が目の前を走り抜けるということは偶然だとしても事実のようだ。
少し気持ち悪さを残しながら、却って香織に惹かれていく自分を感じていると、複雑な心境になってくるが、それでもいいと思った。夕日が沈むと同時に顔を出し、そして私に閃光という刺激で何かを訴えようとしているのではないかと思うのは突飛な考えだろうか?
このままどんどん私は香織を好きになっていく。その思いが閃光とともに襲ってくる影が晴れてくるのを見守る気持ちにさせるのだった……。
写りたる
思い馳せたるいにしえの
残り香ありて光り輝く
香織と何度か会っているうちに、本気で好きになっていく自分を感じていた。一緒にいればいるほど香織は従順になっていく。明るい性格を押し殺してでも私に従順になっていく香織を、私はいとおしく思うのだった。
こんな気持ちになることなど、今までにあったわけもない。これからもないのではないかと思うほど、至福の時間が訪れたようだ。
しかし、一緒にいる時にそこまで感じるわけではない。一緒にいる時間を思い出すことで自分が至福の時間を過ごしているんだという気持ちになるのだ。
だから今は一人でいる時も嫌ではない。考え続けられる人のいることがどれほど幸福なのかを今私は噛み締めているのだ。
香織を初めて抱いたのは、五回目のデートくらいだったか、あれから白い閃光を見ることもなく、交差点での出来事も記憶の奥にしまいこまれてしまいそうになっていた。
香織への疑惑は完全ではないが解けていた。偶然だと思えばそれでいいことなのだ。考えすぎるのがいいことではない。私にとって香織は夕日の影で今まで私の前に表れようとしてじっと待ち構えていた人に思える。相手は最初から意識をしていて、意識がなかったのは私の方。もちろん、そのことを訊ねて確かめるようなことはしない。してしまったら、せっかくの至福の時間が消えてしまいそうな気がするからだ。
――俺ってロマンチストなんだな――
男は意外とロマンチストであり、女性の方が現実的だと言われるが、二人の出会いはまさにそんな感じだった。明るい性格の中に現実的な要素が含まれていた香織に大人の雰囲気を感じたのは現実的な性格を見たからなのかも知れない。
作品名:短編集68(過去作品) 作家名:森本晃次