短編集68(過去作品)
香織と次に会う約束をしたのは、翌週の水曜日だった。お互いに会社はノー残業デーになっているので、待ち合わせにはちょうどよかった。時間は日が暮れてからの時間になるが、場所は最初に入った喫茶店にした。
「あそこが一番分かりやすいですよね」
待ち合わせはあっという間に決まった。
私が先に行って待っているつもりで、仕事をテキパキ片づけて、
「お疲れ様です」
と、イソイソ会社を出てきた。今まではノー残業デーでも比較的ゆっくり会社を出る私だったので、他の社員の人も意外だったに違いない。
後ろを振り向くことなく会社を出て、待ち合わせの喫茶店に向かった。早めに会社を出たので、まだ日は落ちておらず、西日がかろうじてビルの谷間から見えていた。さすがに眩しさは通り越していたが、歩いていると汗が滲んでくる。駅前まで間もなくだった。
交差点を渡りきる時、この間のことを思い出した。
「このあたりだったかな?」
眩しさを覚え、蹲ってしまったのだが、なぜ眩しさをいきなり感じたのか分からなかった。疲れが溜まっていると目の前が光を見た後のような残像が残ることがある。残像はしばらく続く。三十分くらいは、元に戻らないこともあるくらいだ。そして視界から残像が消えてから少しして、今度は激しい頭痛に見舞われる。それが一番辛いのだ。
頭痛は吐き気を伴っている。頭痛薬を飲んでも、吐き気は収まらない。最初は病院にも行っていたが、結局薬をもらって飲むだけなので、定期的に襲ってくることがあった時は、もらった薬を携帯しておいて、それを飲むことにしていた。
会社に入社して二年目くらいが一番多かったのだが、職業病ということで、片づけられた。検査もしてもらったが、別に問題はないということだった。
「オペレーター関係のお仕事をされている女性の方に多いみたいですね」
と先生から聞かされたが、オペレーションをしているわけではないが、
「肩の力を抜くことが大切ですね」
と言われて、やはり職業病の一種なのかも知れないと思うのだった。
その日は交差点を通り過ぎても眩しさは感じなかった。あの日が特別に疲れていたのかも知れないと思ったが、疲れも蓄積するもの。その時がピークだったのかも知れない。それでも、あの後に香織に出会い、精神的に新鮮な気分になれたことで、疲れが癒されたのかも知れない。体調としてはさほどきついと感じることもなく、毎日が過ごせた。気分転換というよりも、楽しさが毎日の生活のリズムを活性化させてくれる。やはり心身ともにリズムが大切なのだと思うようになっていった。
交差点を無事に通り抜けると、駅前のロータリーに入り込み、そこからは、待ち合わせの喫茶店を見ることができる。展望になっている席を下から見ることは久しぶりだった。学生時代に待ち合わせをしていた時、彼女が先に来ていないかどうかを下から見てみたことがあったが、見えているようでハッキリと分からなかった。上から見るとハッキリと見えるだけに、下から見上げた時に目が合うかも知れない。見えていないので目が合ったのは分からないことで、相手に不快な思いをさせることになるので、なるべく長い間見ないようにしていた。
その日もチラッと見るだけのつもりだった。見上げる時も、前を見ている視線から、ゆっくりと視線を上げていく。一気に上げてしまうとすぐに目を逸らした時、却って相手が私の視線に疑問を抱くと思えるからだ。
ゆっくりと上げていった視線の先に、喫茶店の窓が見えてくる。真剣に見ているつもりはない。遠いとはいえ、真剣に見ていると、相手がその視線に気づくかも知れないからだ。
すると、言上げた窓のその一か所から、私の目に飛び込んできた光があった。一瞬だっただけにまたしても残像が残ったのだ。頭がくらくらして、そのまま少ししゃがみこんだ。先週の交差点の時と同じではないか。
違っているのは光の種類であった。以前見た光は黄色掛かっていて、夕日を彷彿させる光だったのに対し、今日の光は真っ白い蛍光灯のような光だった。
もっというと、カメラのフラッシュではないかと思われた。誰かが喫茶店の窓から駅前ロータリーを写真で撮ったのだ。別に悪いことではない。撮った写真を悪いことに使うのでなければ何ら問題のないことである。私は白い閃光を勝手にカメラのフラッシュだと思い込んだ。光に対してまともに目を向けた私が悪いのかも知れない。とりあえず目を瞬かせて、何とか普通の状態に近づけるよう努力してみた。
待ち合わせの時間までには、まだ少し間があった。とりあえず駅のロータリーから駅ビルに入ってみた。駅ビルはちょっとしたショッピングモールのようになっていて、まずはトイレに入ったのだ。
催してきたというよりも、鏡で自分の顔が見てみたかった。
トイレに入った時には、だいぶ視界がハッキリしていたが、さすがに鏡で自分の顔を見るとシルエットのように表情がハッキリとしなかった。それでも雰囲気的に分かるのは自分の顔だからであって、精神状態をイメージすれば容易なことだった。
目が真っ赤になっているように見えた。今度は自分でイメージしていたこととは違うことだったので、本当に目が赤くなっているのかも知れない。瞼の周りがまるで熱を持っているかのように熱くなっていて、脈を打っているかのように頭の芯を響かせた。この痛みはいつもの激しい頭痛とは違い、じくじくした痛みであった。しつこい感じの痛みであった。
トイレを出ると薬局があった。目薬を探してみたが、何がいいのか分からない。とりあえずは、店員さんに聞いてみることにした。
「目薬がほしいんですが、どれがいいですかね?」
片膝をついて棚に商品を並べていた女性店員が後ろを振り向き私の方を見上げると、
「ああ、それならこれがいいですよ」
と、症状も聞かずにすぐに商品のところまでやってきて差し出してくれた。
「これは?」
「寝不足などにはちょうどいい目薬で、スッキリする成分が入っているんですけど、決して目に刺激を与えないタイプの薬ですね」
と言って薦めてくれたのだ。
「刺激を与えない方がいい?」
「ええ、それだけ目が充血していますと、刺激を与えるものはかなりきついと思いますよ」
と言って、私の目を見つめていた。
――やはりさっきトイレで見た自分の目は真っ赤になっていることに間違いはないんだ――
と感じた。
目薬を買って点してみた。スーッとして気持ちがよかったが、次の瞬間、強い刺激を感じた。目が脈打っていて、目薬を点したのを後悔した。
だが、それは一瞬で、すぐに楽になった。目をしばらく瞬かせると、今度は頭痛も消えていた。頭痛が消えるまでに数分は掛かったが、それでも即効性があるのかも知れない。
「それにしてもあの光は何だったんだろう?」
この間から色の違いこそあれ、閃光に悩まされている。しかも、場所はいつもこの近辺である。ただの偶然なのだろうか。
目の痛みが引いてくると、時計を確認してみた。
「そろそろだ」
作品名:短編集68(過去作品) 作家名:森本晃次