短編集68(過去作品)
という基準はどこにあるのだろう。直感するものがあるのだろうか。それとも彼女の中に「法則」のようなものがあって、それに適う相手であるという確信があるからだろうか。前者と後者とではまったく逆の感覚であるが、表に出ている雰囲気からすると、後者であるように思うし、彼女の積極的な性格を考えると、前者の直感を信じる女性であるという気がした。
どちらにしても、彼女にとって、私は眼鏡に適ったということになる。そうなると、気になるのが彼女の精神状態である。明るく振る舞っているが、これが本当の性格なのかと疑いたくなるのは、それだけ表情や雰囲気がかけ離れてアンバランスに見えてくるからだった。
以前に付き合ったことのある女性の中で、積極的な女性がいた。大学時代に知り合った女性だったが、すべてにおいて主導権は彼女が握っていた。
私は楽だったのだが、その時は男としてのプライドなど、あまり関係ないと思っていた。楽をしたいと思えばいくらでも楽ができるという感覚が強く、次第に甘えが生まれてきた。彼女には母性本能があったのだろう。しばらくはそんな関係が続いたが、そのうち、私の怠慢が表に出るようになり、失敗が多くなった。
「どうしてなんだ?」
私自身、理由が分からず、悩んでいたのだが、彼女には理由が分かったようで、彼女は私から離れていった。最初は離れていく彼女の気持ちが分からずに、後追いするという情けない行動を取ったりした。彼女はそれを咎めることもなく、悲しい顔をするだけだった。知り合った頃の明るい面影は完全に失せていた。
諦めがつくまでにかなりの時間が掛かったが、それも別れることになってから、初めて彼女の良さに気が付いたからに違いない。
「後のまつりというのが、こんなに辛く情けないものだったなんて気付かなかったな」
と、激しい後悔に襲われた。だから、もう後悔をしたくないという思いから、あまり積極的な女性とは知らず知らずに遠ざかっている自分がいたのだった。
大人しい性格の女性とは今までに付き合ったことはなかったが、小学生の頃、友達に大人しい女の子がいた。まだ女性を異性として意識する前だったので、付き合ったというわけではないが、今から思えば一種の初校だったのかも知れない。
一緒にいて楽しかった。私が主導で何でも進む。お互いの家族も公認で、小学生だという安心感もあってか、
「仲良くしてあげてくださいね」
と、彼女のお母さんからも頼まれていた。
「はい」
と言った言葉に重たさはなかったが、それは自分が感じているだけで、彼女のお母さんも彼女も頼もしいと思ってくれていたようだ。
私も小学生の頃は大人しかった。今も賑やかな方ではないが、
「今までの中で一番暗かった時代は?」
と言われれば、小学生の頃だったと自他ともに認めることになるに違いない。
一緒にいてもあまり会話はなかったように思うが、私のすることを黙って見ていてくれるのは嬉しかった。逆らうことは一切なく、
「これが自然なのだ」
と思っていた。
こんなに幸せな時間なのに、その時はこれが当たり前だと思っていたことで、幸せを感じなかったのは実に惜しいことだ。もし、あの時にこれが幸せだと思ったとすれば、もう少し今までの恋愛は違った様相を呈していたに違いない。
幸せな時間を私は自ら壊してしまった。
少し髪型を変えた彼女から、私は遠ざかって行ったのだ。
――私にとって違う人になってしまった気がしたんだろうな――
と、今思えばそう感じる。それに間違いはないだろう。だが、これもすべてが私が主導でいたことと、幸せな時間という自覚がなかったことが大きな原因になっている。せっかくの「皺背の青い鳥」を自らの手で逃がしてしまったのだ。
幸せな時間を当たり前だと思うことは、簡単なことである。幸せというのは、雲の彼方にあるもので、そう簡単に転がっているものではないという感覚が私にはあった。しかもそれが強かったのは小学生の頃だったというのは皮肉なことだ。
自分の性格は決して明るいわけではない。大学に入って友達をむやみやたらに増やしてみたりしたが、それも明るさをまわりに印象付けようと無理をしていた。しかし、あくまでもメッキなので剥げやすく、剥げてしまえば、まわりからは疑問の目で見られたりする。
大学時代にはそんな視線を気にすることはあまりなかったが、さすがに就職活動を始めると、そうもいかなくなってきた。まわりが皆真剣になり、会話も今までと違ってくる。皆が先を見始めると、視線が気にもなってきた。
悩んだ時期もあったが、まわりと同じように前を見ることで、視線を気にしないようにした。そのうちに、無理に虚勢を張ることはなくなってきたのだ。
「無理さえしなければいいんだ」
と、その時に気付いたはずなのに、就職が決まって落ち着いてくると、その思いが次第に薄くなってきた、
「喉元過ぎれば熱さを忘れる」
ということわざがあるが、今ではこれも私の悪しき性格の一つとなった。
自分の悪いところは見えてきたつもりなのだが、なかなか改善には至らない。どうしても、社会の中にいると、自分の性格を顧みたり、直したりするのは難しい。そのことを自覚しながら、今は少しでも悪しき性格を表に出さない努力を続けていくしかないと思うようになっていた。
香織を見ていると、昔の自分が思い出されてならないのだが、それぞれの時代の自分が思い出され、
「俺って二重人格なんじゃないかな?」
と思うようになった。ただ、根本的な性格が一本あって、そこからの枝葉にいくつかの表に見える性格が存在しているのではないかと思うと、果たしてそれを二重人格と言えるのかどうかが疑問であった。
完全な二重人格ではないのだろうと自分に問いを投げかけるが、返ってくるはずもなかった。自分の中のどの性格が答えるのかによって変わってくるからで、返答がないことに却って安心を覚えるくらいだった。
香織は初めて出会った私を信頼してくれたのか、いつもニコニコ微笑んでいて、私に安心感を与えてくれる。私もなるべく笑みを浮かべるが、果たして香織に安心感を与えられているかどうか疑問だった。
不安もあったが、香織の笑顔がそれを打ち消してくれる。
――香織となら、付き合ったとしても、長く続いていけそうな気がする――
あまりにも先のことは分からないが、今までに女性と付き合った人とは違う雰囲気を感じ、長く付き合っていけそうに思った。
「香織さんは、お付き合いしている人、おられるんですか?」
一瞬、黙った香織にドキっとしたが、
「いいえ、いませんよ」
相変わらずの笑顔で答えてくれたので安心した。それにしてもいきなり聞くことではないことで、今までならこんなことを聞くはずもない。相手が香織だから聞いたのだが、相手がいるいないどちらにしても、返答に笑顔が欠かせないというのは、想像していた通りだった。
時間もだいぶ経ったので、その日は別れたが、携帯の電話番号とメールアドレスはお互いに交換した。まるで夢のようなひと時があっという間に過ぎていったのだ。
作品名:短編集68(過去作品) 作家名:森本晃次