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短編集68(過去作品)

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 子供の頃に聞いた、夕凪の時間になってから影踏みをしてはいけないという話を思い出した。人の影を踏むと、その人が動けなくなるのは聞いたことがあるが、もしそれが夕凪の時間であれば、相手に魂と吸い取られてしまうというのだ。あるいは、入れ替わってしまうという話も聞いた気がする。同じような話で結末が違っているのだから、聞いた相手はそれぞれ違う相手だったに違いない。それが同じ時期ではなかったことは、頭の中が混乱していないことからも想像がつく。ただ、どちらが先に聞いた話だったかは、定かではない。
 いつ頃から影を意識しなくなったのであろうか。私の中では意識していないことが意識していることに繋がっているつもりだったので、気が付いた時には我ながらハッとしてしまった。意識してしまったことが、まるで悪いことのように思えてきたからだった。
 閃光を見たというよりも「浴びた」という方が正確である。身体にしばしの痺れを感じ、思わず立ち止まった。目の前のものがすべて影に見えてしまい、巨大な黒いクモの巣が目の前に張り巡らされたような気がしてきた。耳鳴りが聞こえ、すべての物音が遮断されたかのようだった。
 風が通り過ぎる音だけがなぜか聞こえてきた。通り過ぎる風が何かを語っているようだが、それは何なのか分からない。立ち止まって思わず頭を抱えていると、そんなことはお構いなしに、横を行き交う人の靴音が、足元に響いているのを感じた。やはり、天下の大通り、苦しんでいても誰も助けてはくれないようだ。
「大丈夫ですか?」
 どれくらい時間が経ったのだろうか。後ろから女性の声が聞こえた。
「ええ、大丈夫です」
 とは、言いながら激しい頭痛のため、立ち上がるのが少しきつかった。それでも交差点の真ん中でいつまでも蹲ってわけにもいかず、何とか立ち上がろうとしたが、そのたびに腰砕けのようになってしまったそんな私を、後ろから抱えるようにして、何とか向こう側まで連れていってくれた。
「はぁはぁ」
 彼女の息遣いが聞こえる。かなり疲れたのであろう。向こう側に渡りきると、今度は私が元気になった。
 すぐに話しかけてはきつそうだ。しかもせっかく苦労して渡してくれたのだから、もう少しきついふりをしてあげる方がいいのではないかという、おかしな感覚に陥っていたのだ。
 息遣いが次第に落ち着いてくると、彼女が顔を上げて、こちらを振り向きニッコリと笑った。額には汗が滲んでいて、無理して微笑んでいるのが分かった。私も微笑み返したが、彼女の笑顔に対し、素直に返せた笑顔だったように思う。お互いに声に出して笑ったのはそのすぐあとだった。
「私、声に出して笑ったのって、久しぶりだったんですよ」
「僕もそうかも知れないね」
「でも、目の前を歩いていた人が急に呻き声をあげて蹲ったのには、少しびっくりしましたわ」
 どうやら私は呻き声を上げたようだ。呻いた意識も呻き声を聞いたという意識も両方ともにない、息苦しくなって立っていられなくなった。額からは汗が噴き出して、何かに追いつめられた時のような感覚があった。
「仕事で疲れていたのかな?」
 そんな意識はないが、ストレスは本人が感じているよりも蓄積しているものなのかも知れない。
 彼女とは、そのまま別れる気にはなれなかった。交差点を渡って、少し行ったところに喫茶店があるのを思い出し、
「お時間があるのなら、お礼にコーヒーでもご一緒させてください」
「ふふ、それもいいわね」
 彼女もノリ気だった。
「私、今日は時間が空いてしまって、どうしようかって思ってたんです」
「デートの予定でもあったんですか?」
「デートなんかじゃないんだけど、友達との待ち合わせが急にドタキャンになっちゃって、それでどうしようかって、私も交差点を考え事しながら歩いていたんです。その前で倒れこまれて、これも何かの縁でしょうかね」
 彼女の話し方が次第に甘え口調になってきたのを感じていた。人によっては鬱陶しく感じるかも知れない。だが、私には可愛らしく感じられた。いとおしいと言ってもいいだろう。
 甘えん坊な口調は声のトーンを変えていく。最初は高めの口調だったが、今度はハスキーになっていく。
――どっちが本当の彼女なんだろう?
 と考えてみたが、どちらも本当の彼女に思えてくる。自分のことを話し始めると、声のトーンが上がり、そして、私に甘えたいと思っている時にハスキーになるような気がした。鼻に掛かったようなハスキーな声に、聞き覚えがあったからだが、それが誰なのか思い出せなかった。
 無理して思い出すこともない。今目の前にいる女性のことだけを考えていればいいと思ったからだ。彼女をエスコートしながら駅前の喫茶店に入った。そこはカフェ形式ではなく、昔からの喫茶店だった。前からあるビルの二階に上がっていくところで、窓際の席から、駅のロータリーが一望できる。待ち合わせに使っている人が多いことだろう。
 私が先に立って店の中に入る。ここの店に入るのは久しぶりだった。まだ学生時代だった頃のことだった。本当はあまりいい思い出はない。彼女と待ち合わせに使ったのだが、結局彼女は現れず、そのまま破局してしまったからだ。あまりいい思い出のない場所だけに、知り合ったばかりとはいえ、女性と入ることで気持ちが少し上向きになってきた。この店に対しての悪しきイメージが一掃されそうなのはいいことに思えた。なるべくなら嫌な思い出を持ったままにしておきたくはなかったからだ。
「私、羽原香織っていうの。よろしくね」
 彼女は不思議な魅力を持った女性だった。表情や雰囲気は大人しく、清楚な感じが「大人の女性」を思わせるが、実際には明るい雰囲気の積極的な性格の持ち主のようである。
「僕は、三崎雄介と言います。こちらこそ、宜しくお願いします」
「いきなり自己紹介したので、ビックリされたでしょう? 私は知り合った人でこれからも仲良くしていけそうだと思った人には、なるべく隠し事のないようにしていこうと思っているんですよ」
「会ったばかりなのに、そこまで思うんですか?」
「そうですね。でも第一印象って大切ですよね。私は自分の第一印象を信じるようにしているんですよ」
 確かに第一印象は大切なのだが、そういえば、私は一目ぼれというのが今までに一度もないことに気が付いた。
 少なくとも二、三度会って、話をしないと相手を好きになることはなかった。私の人を好きになる基準は、まず相手があって、相手が自分を少しでも好きな感情を持ってくれていないと自分から好きになることはなかった。相手次第というのもおかしな感覚であるが、これも性格的に積極的になれないことが起因しているようだ。
 それなのに、いつも出会いを求めている。今回香織と知り合ったような出会いを日々夢見ているのだ。あまりにも自分にとっての理想的な出会いに、戸惑いを隠せずにいる。だからこそ、香織のような積極的な女性から見れば、こちらの考えていることが手に取るように分かっているのかも知れない。そう思うと、少し気持ち悪い気がした。
 香織の言った
「仲良くしていけそうだと思った人」
作品名:短編集68(過去作品) 作家名:森本晃次