悪循環の矛盾
常連とまではいかないが、何度も参加して数回とはいえカップルになったことのある永遠は感動というほどのことはなかったが、それでもやっぱりカップルとなれたことは素直に嬉しかった。自分を認めてくれた人がいるということである。
それぞれのカップルはアドバイスという名の注意事項を受けた後、神妙な顔でそれぞれ会場を後にした。お互いに何かを語るわけでもなく、エレベータから降りてきた時、無言でそれぞれの方向に去っていった。
「あっ、ごめんなさい。私忘れものしちゃたみたい」
と、永遠は忘れものに気が付いた。
そのまま慎吾を下に待たせておいて、再度エレベータに乗って会場のあった階まで戻ったのだが、そこで一人男の人が受付に何かを話しているのが聞こえてきた。永遠は聞くつもりはなかったのだが聞こえてきたものは仕方がない。というよりも、聞こえてきた言葉が気になっていたのだ。
「あのですね」
男はもじもじしているようだった。
「なんでしょう?」
受付の女性はあたかも事務的な話し方だった。
その声を聞いておじけづいたのか、男はなかなか話せないでいた。
それでも痺れを切らされた相手に再度さらにきつい調子で、
「なんでしょう」
と言われたことで、腹が決まったのか、ゆっくりと話し始めた。
「私は七番の男性だったんですが、八番の女性と意気投合して、フリータイムなどもずっとお話していたんで、てっきり私のことを選んでくれるんじゃないかと思っていたんですが、カップルになることはなかったんですよ。私は第一希望に名前を書いたんですが、相手も第三希望まであるんですから、私の名前を書いてくれていると思うんです。でもカップルになることはなかったじゃないですか? それが不思議だったんですよ」
と男は言った。
なるほど、男の言い分も分からなくもない。自分が第一希望であれば、相手が第三希望までに名前を書いていれば名前を呼ばれても不思議はない。彼女が他の男性とカップルになったのでれば、自分以外の誰かを第一か第二に押しているのだから、それは仕方のないことだとあきらめもつく。しかし、そのどれもないということは、彼女が自分の名前を書いていないということである。
――少なくとも三人の中に入っていなかったということか――
と思うと、男としても納得がいかないのも分からなくもない。
それで問いただしてみたのだろうが、女々しいとも見られるだろう。
いや、普通であれば女々しいと思われても仕方がない。この男性がそこまで分かっているとすれば、それでも聞いておきたいと思ったのは、冷静に考えて今後のための材料にしようと思ったのかも知れない。
「それならそれで納得がいく」
と、彼はそう思ったのだろう。
しばらく係の人は迷っているようだった。永遠の方とすれば、
――しょせん終わったこと、そんなことを聞いたからって教えてくれるはずないわ。未練がましいと思われているだけに決まっている――
と思い、係の人が口を開くことはないと思っていた。
だが、意外なことに係の人は申し込みカードを確認に行き、その中から一枚を取り出して、相手に見せないように自分だけが確認し、その目を次に彼に向けた。
見上げるようにした彼女の目が彼を捉えた時、彼は一瞬動揺したかのように思えた。
――言わなければよかった――
と感じたかも知れないが、それは一瞬のことで、すぐに背筋を伸ばして、彼女の方を向き直った。
「このお申込みカードを見れば、誰のお名前も書かれていません」
と形式的な言い方で言い捨てた。
男はきょとんとしたが、その表情をはかり知ることはできなかった。
――ひょっとすると無表情なんじゃないかしら?
と永遠は思ったが、その思い以外にそのあとも感じることはなかった。
「そうですか。よく分かりました」
と、彼はそう言って、頭を下げた。
「お気持ちは分かりますが、再度確認するということは今後おやめください」
と釘を刺された。
「ええ、分かりました」
男は恐縮しながらそう言ったが、今度は恐縮したような様子はなかった。
とりあえず分かったことをよかったと思ったのだろう。
だが、永遠とすれば少し考えてしまった。それは彼の行動というよりも、お申し出カードに誰の名前も書かれていなかったということがである。
確かに無記名も悪いことではない。自分の気に入った人が一人もいない場合、誰の名前を書かないというのも当然であり、敢えて名前を書かないのは、今後の混乱を考えると無難な態度だった。
しかし、永遠はフリータイムの時間帯に彼と彼の正面にいた彼が気に入っていたという相手の様子を見ていた。隣というわけではなかったが、たまにまわりを気にするタイミングがあり、気になったカップルはチェックしていたのだ。
彼の言う通り、カップルになっても不思議のないくらい仲良かったのは分かっていた。これは永遠だけではなく他の人も感じていたことかも知れない。フリータイムの時間帯で一番いい雰囲気だった二人なのは間違いのないことだった。
永遠も今まで無記名だったことがなかったわけではない。だがその時はフリータイムも自分だけが浮いてしまい、会話をする相手がいなかった時だけであって、その時は当然といえば当然だったのだ。
永遠はその男が踵を返してエレベーターに乗り込んだのを見た。その横顔を見た時、
――おや?
と感じた。
最初の三分の自己紹介タイムにも、そのあとのフリータイムで気になっている時にも気づかなかったが、
――前に見たことがあったような気がする――
と感じたのだった。
何度か参加するお見合いパーティで見かけたおは間違いないはずだが、どうして思い出せなかったのか、今の横顔を見た時、明らかに記憶がよみがえってきた。
いや、永遠としてみれば、思い出す方が稀なことだったはずだ。
――私は致命的に人の顔を覚えられない――
と思っていたからだ。
そんな永遠が後になってからハッキリと思い出すということはまずなかった。思い出すとすれば最初に思い出すはずである。本当であれば何度も気にして見ていれば思い出すというのが普通なのだろうが、永遠の場合、最初に思い出さなければ思い出すことはできなかった。
それは最初から分かっていたことで、
――私は最初に思い出せないと、人の顔を思い出すことはできない――
と、そう感じることが、人の顔を覚えられないことに一層の拍車をかけているのだと思った。
ただ今回思い出せたのは横顔からだったというのも一つのミソだった。今まで思い出せなかったのは、いつも正面から人の顔を見ていたからではないかと思ったが、それも分からないわけではない。
「初対面の人とは、正面から相手の顔を見るようにしなさい」
というのは、永遠が成長してくるうえで教えられたことであった。
その教えは親からはもちろんのこと、学校の先生、そして先輩と、いわゆる、
「人生の先輩」
からの教訓だったのだ。