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悪循環の矛盾

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 分かっていた質問に答えるのは、結構ウンザリするものだが、絵画に関してはそこまでウンザリするものでもなかった、やはり趣味というのは、それだけ自分の考え方に幅を与えるものなのかも知れない。
「デッサンは私も学生時代にしたことがあります。もっとも、写真に興味を持ったのは、学生時代にデッサンをしていたことからだったんですけどね」
 デッサンから写真というのは、永遠の理解を超えた世界だった。写真からデッサンというのであれば分かる気がしたのだが、そこに別に根拠があったわけではないので、そのことをわざわざ口に出して言おうとも思わなかった。
「一度見てみたいですね」
 というと、彼はスマホを取り出して、
「カメラに収めたものを、スマホに転送して保存もしているんですよ。少し小さくなりますが、見てみてください」
 そう言って、彼はスマホの中からいくつかの写真を見せてくれた。
 どの絵も田舎を走る蒸気機関車の風景で、最初に彼が言った言葉の意味が、その写真からは確かに伝わってきた。
――こんな写真を撮れるんだから、私には平凡でありふれた人というイメージがこの人にはないわ――
 と感じた。
「これだけのものが撮れるんだったら、プロになろうという意識はなかったんですか?」
 と聞くと、
「プロというよりも、コンテストで入賞したいという思いの方が強かったですね。プロになってしまうと、自分のやりたいことができなくなるような気がしたんですが、自分に才能があるかどうかを考えた時、最初からプロはありえないと思いました」
 学生時代までの永遠であれば、
「そんなことないでしょう? やってみないと分からないじゃない」
 と、相手の背中を押すようなことを言っただろう。
 しかし、相手が自分を冷静に分析していることに対して、他人がとやかく言うことは失礼に当たるという考えを持ってから、余計なことは言わないようになった。
 趣味は夢や希望とは違って、
「やりたいことをやりたいようにする」
 ということで、その人のセカンドライフである。
 人がとやかく言うことではなく、立ち入ることのできない世界だ。同じ趣味を持っているとしても、それぞれに世界を持っていて、侵すことのできない領域は、その人にとって絶対のものに違いない。
「趣味はその人それぞれだけど、夢や希望は必ず持っていないといけない」
 と、永遠は中学時代から思っていたが、最近になって逆を感じるようになった。
「趣味はなるべく持つようにしたい。なぜなら趣味から夢や希望って生まれるんだから」
 と思うようになったからだ。
 永遠は彼の写真を見て、自分がどうしてデッサンを描こうと思ったのか、いろいろと思い出していた。
――確か最初は、油絵を志していたはずだったんだけど、汚れるのがどうしても嫌で、鉛筆画なら汚れることはないと思い、描き始めるようになったんだわ――
 それは、他の人に言わせれば、「逃げ」になるだろう。
 永遠も自分では逃げのように感じている。しかし、それでも絵画をやめずにデッサンだけでも続けていることを自分ではよかったと思っている。
 絵画というものを一生懸命に描こうと最初から思っていたわけではない。永遠の性格的なものが影響しているように思ったからだ。
 永遠は人の顔を覚えることが苦手だった。顔を覚えることができないのだから、風景など記憶に残しておきたいものを記憶していることはできないと思うようになっていた。
――どうしてなんだろう?
 子供の頃からずっと思ってきたことだったが、最近になって分かってきたような気がしていた。
 小学生の五年生のことだったか、友達と駅で待ち合わせをしたことがあったが、その時横顔が似ている人がいたので、
――友達だ――
 と思って声を掛けたが、実際には違う人だった。
 その時に相手が睨み返してきたわけではなかったが、明らかにキョトンとした表情で、その場にいる自分だけが取り残されたかのような錯覚に陥ったのだった。
――私って、そんなにおかしな顔をしているのかしら?
 と感じた。
 相手を間違えて、それで相手が気分を害したのであれば、そんなキョトンとしたような表情にはならないはずである。訝しそうに面倒くさいと言った表情をするに違いない。それを思うと、キョトンとされたことは一瞬ホッとすることであったが、よくよく考えてみると、不可思議な感覚を残すことになった。
 どうして相手がそんな顔になってしまったのかを少し考えていた。
 自分のことだけを考えていたのでは結論が出ない。その時、相手の身になって考えることを思いついたのだが、それは自分が考えることで思いついたわけではなく、ふいに思いついたことだったのだ。
――私って、こんなにも自分に自信がないのかしら?
 自分だったら、相手のどんな顔を見た時、キョトンとするだろうかと考えた時、
――自分が想像もしていなかった顔だったり、いかにも不安そうな表情をしている時に感じることだ――
 と思った。
 それは自分が相手の気持ちを推し量ろうとしても分かるものではないという時に感じることだった。
 そう思うと、それがどんな時なのかと思った時、自分が途方に暮れた時だと感じた。普通であれば相手に助けを求めるような顔になるのだろうが、永遠は相手に助けを求めるようなことはしなかった。それは人に頼りたくないという思いではなく、単純に他人が信用できないだけではないだろうか。
 他人が信用できないということを自分で認めたくないという思いから、自分のことを信用できなくなるというのは、えてしてあるものではないかと最近では感じているが、その頃には分からなかった。
 その思いがあるから、人を信用できないと表では思っていても、実際には内面で自分のことを信用できないと感じていた。
 友達に似ていたからと言って、軽はずみに声を掛けてしまい、相手にキョトンとされてしまったことは、
「藪をつついてヘビを出す」
 という言葉のごとく、余計なことをしてしまったという意識に繋がっていた。
 その時からである、自分に自信がないことには首を突っ込まないようになったのは。
 その影響があったからなのか、人の顔を覚えることができなくなった。その時には覚えているという意識はあるのだが、数分してしまうと忘れてしまう。その原因を最初は、
――他の人の顔を見てしまうと、その人の顔と、その前に覚えた顔とがシンクロしてしまって、前に見た人の顔を忘れてしまうんだわ――
 と感じた。
 確かに残像として残っていたものに違う残像が浮かんでくると、覚えられないのも不思議のないことではない。むしろそっちの方が普通のように思える。
 しかし、他の人は覚えていられるのはどういうことなのだろう? 自分だけが覚えられないということは、何か特別な意識が働いているからではないかと思えてきた。
 永遠は、決して自分を他の人と比較して見ているつもりはない。むしろ、自分だけは特別な意識で見ているつもりだった。
「他の人と一緒では嫌だわ」
 という意識が強く、その思いがあるはずなのに、いつの間にか人と比較していることは、自分に自信が持てないからだという意識に繋がっていた。
作品名:悪循環の矛盾 作家名:森本晃次