悪循環の矛盾
と、声を出してみたが、確かに聞こえない。
その代わり、声を出したと思っている時、キーンという音が耳鳴りのように聞こえてきた。
――どういうことなのかしら?
と感じたが、自分の中で想定内のことであった。
アリの行進が進む中、集団は途中でつり橋に差し掛かった。すでに断崖絶壁の海の近く、荒れ狂う海を見ていれば、どれほど風が強いものなのか、想像がつく。
想像がつくというのは、風を受けていながら、その恐怖が感じられなかった。まるで他人事のように、
――風が吹いているわ――
とは分かっているが、恐怖には繋がることはなかった。
そんな強風の中、つり橋を渡るなどというのは、自殺行為に思えるほどだったが、行進はスピードが緩むことなく、かといって、急ぐこともなく、最初と同じようにダラダラと進んでいくのだった。
「ヒューヒュー」
と、明らかに風の音は耳鳴りのように響いている。
耳鳴りのような風の音を感じたその時、呟いている声も大きく感じられた。声が大きくないと耳鳴りに掻き消されてしまうだろうから、声も大きく聞こえたように感じたのだろう。
この思いは、永遠が夢を見ていても冷静であることを示している。逆に夢の中だから冷静になれるともいえるのではないだろうか。ただ。その時の永遠は自分が夢を見ているという感覚はなかったはずだ。それなのにやたらと冷静な自分に永遠は無意識の中で、
――これは夢なんじゃないか――
と感じていたとも思える。
永遠はつり橋を渡っていると、自分の想定外の動きをしていることを感じた。橋を渡っているのが自分だけではないのでそれは当たり前のことなのだが、半分くらいまで進むと、それまで感じていなかったはずの恐怖が急に頭をもたげてきた。
目の前の人を見ると、恐怖に身体全体が震えていた。さっきまであんなに何の感情もなかったはずの人から、恐怖という意識を感じたことで、永遠自身も恐怖におののいているのではないかという思いに捉われるようになった。
――さっきの皆が呟いていた声、あれって「怖い」って言っていたんじゃないかしら?
と感じた。
そう思って耳を澄ましてみると、確かに、
「怖い」
と皆が呟いていた。
声のトーンが皆違っているので、別の言葉を呟いているように感じたのかも知れない。なぜなら、聞こえてきた声のトーンは皆同じだったからだ。声のトーンが同じだったということが錯覚を呼び起こし、皆同じ言葉を口にしているのに、それぞれ違った言葉を発しているように思えたのだろう。
すると、永遠も自分がさっきから、
「怖い」
と口ずさんでいるのを感じた。
永遠の目の前の人が急に風に煽られたかと思うと、つり橋がグラグラと揺れて、目の前の人は橋から落っこちてしまった。
「危ない」
と永遠が声に出すことができたのかどうか、途中までは意識があったような気がしていたが、永遠もバランスを崩して、そのまま断崖絶壁の谷へ、真っ逆さまに落ちていくのを頭が描いていた。
だが、それは他人事であった。
目の前の自分が谷底に落ちていくのを、橋から少し離れたところで見ている自分の目に映り替わった。
――このまま死んじゃうのかしら?
と思うと、目を瞑った。
次の瞬間にどこかに現れるということが最初から分かっていたように、まるで目が覚めたかのように永遠は気が付いていた。
そこは、自分の部屋の寝床の上でもなければ、知っている光景でもなかった。まだ夢の続きを見ていたのだ。
「ここはどこなのかしら?」
とまわりを見渡すと、目が覚めた瞬間、真っ暗になっていた目の前が少しずつ光が戻ってくると、そこは洞窟であることが分かった。
洞窟には川が流れていて、その先は海に続いているのだろう。確証はないが、海に繋がっていなければ、説明がつかないと思えた。
――夢を見ているのに、説明もなにもないものだ――
と感じたが、目の前にもう一人誰かがいるのを見つけると、なぜかホッとした気分になった。
集団意識が尊いものだということを初めて知ったような気がした。だが、それは普段の周田錦とは違っているもので、ホッとしたというのも、助かったという感覚とは程遠いものであった。
目が慣れてくると、正面が明るくなってきていることに気が付いた。耳を澄ませるとさっきまで耳鳴りがしていたようにシーンとしていたにも関わらず、ザワザワとした雰囲気に感じられてきたのは、そこが波の音であることに気が付いたからだ。
波の音というと、ザルの上に穀物を入れて、左右に揺らしているという音響効果の映像が頭に浮かんだのは、中学時代にテレビ関係の仕事に興味を持っていたからだった。
テレビ関係に興味を持っていた時、怖いものが嫌いだったくせに、奇妙なお話にはなぜか興味を持っていた。
鏡や時間や影などの媒体やアイテムというものに深層心理を織り交ぜる形のお話に興味を持っていた。さらにそんなお話の気に入った部分は、
「ラストの展開にぼかしを持たせる」
ということであった。
そういう意味で、よく夢も奇妙な話を見るようになったような気がする。
しかも、話のほとんどは似たようなパターンのシチュエーションになっていて、豊富ではない発想の中でバリエーションをいかに発揮するかという無意識な思いが意識となって現れるのかも知れない。
光が見えてくると、永遠はその先に鏡を思い浮かべた。思わず後ろを振り向いてみたが、そこにあるのは暗闇だけだった。
――気のせいだわ――
と感じ、再度正面を向きなおすと、さっきまで見えていた光がどこかに行ってしまっていた。
――振り返るんじゃなかった――
と感じたが、それは振り返って再度、元の位置に顔を戻した気がしていたのが、間違いではないかと思ったことで、自分の感覚が信じられなくなったことが永遠にさらなる恐怖を呼んだ。
それでも前に進もうと思った以上、諦める気にはならなかった。前に進むことで永遠は怖いと思っている夢から覚めることを意識していた。一番最初、
「これは夢だ」
と思ったはずなのに、夢が進行していくうちに次第に夢であることを意識しないようになっていた。
それが、また夢だと思うようになったのは、つり橋の上から洞窟にシチュエーションが変わったからだ。
場面が変わったこと自体は夢だと思わせる最大の要因ではなかった。出てきたシチュエーションがつり橋と洞窟という、永遠の中にある、
「頭の中の妄想のアイテム」
に合致したからであった。
永遠は見えない道を歩いていたが、不思議と足元を踏み外す気にはならなかった。これだけ真っ暗闇なので、本当であれば足を踏み外しそうで怖いと思うのが当然なのに、恐怖を感じないのは、最初に見た明かりの光景が脳裏に残っているからなのかも知れない。
そう思っていると、またしても波の音が近づいてくるのだった。波の音はさざ波のような静かではなく、明らかに波打ち際に打ち付ける轟音であった。
ただ、轟音から想像する波打ち際は、永遠を助けるようなものではないことはハッキリしている。波打ち際から、どこか上に上がる道があるとは思えない。勝手な想像なのだが、信憑性を感じるのは、明らかにそれが夢であるという証明でもあったのだ。