悪循環の矛盾
「永遠さんは、何か自分で経験したわけではないと思えることは、信憑性のないものだと思う性格なんだって僕は感じましたが、そんな中で僕と話をしていて、実際に経験したわけではないことでも、信憑性を感じられるようになってきたんじゃないですか? ただ、そのことに絶対的な自信が持てないことで、どうしても抽象的な言い回しになってしまう。それがお話していて読み取れるんですが、どうでしょう?」
慎吾の話は永遠にとって、いちいちもっともなことに聞こえていた。ハッキリと言葉にしようと思うと、今度は言葉に詰まってしまい、何か言いたいけれど、口出しできない時というのは、慎吾の話に同意して、信憑性を感じていることなのかも知れない。
永遠はそのことを分かっていた。
「ひょっとすると、人の顔を覚えられないというのは、夢を忘れてしまっているということと何か関係があるのかも知れないわ」
と永遠がいうと、
「永遠さんは小説を書こうと思ったけど、書けなかったといった時、経験からしか書けないと自分で思ったからだって言ってましたよね?」
「ええ」
「それは永遠さんが、小説というものは創作物であって、言い方は悪いですが、ノンフィクションなどは邪道だと思っているからなんじゃないですか?」
確かに言い方は悪く、それを認めてしまうのには抵抗があったが、慎吾の言うことはもっともだった。
永遠は、黙って頷くしかなかったが、それは気持ちを表現することができなかったからだ。言葉にしてしまうと、どう言ったとしても、それは言い訳にしかならないと思ったからだ。
その言い訳は相手に対してではなく、他ならぬ自分に対してのことであって、そのことを慎吾に知られたくないと思っていた。
「私、自分がやりたいと思っていることに対して、最初にこだわりを持つようにしているんです。逆に言えば、こだわりが持てないものに対して、やりたいという気持ちにはなれないんだって思っています」
と永遠がいうと、
「それは僕にも分かります。きっと僕以外の人にも分かってくれる人はたくさんいると思います。考えてみれば、小説を読む時だって、主人公になったような気持ちになって読むものじゃないですか。いろいろな性格の人が、文章という縛りの中で形成されている性格を読み取ることになる。でも皆同じ人物を頭に描くんですよね。好き嫌いはあるでしょうが、決して別の人格を思い描くわけではない。そう誘導する文章というのは、すごい力があるんじゃないかって思いますよ」
と、慎吾は言った。
「書き手の気持ちを読み手が忖度する必要なんかないと思います。文章を読んで感じたままのイメージが、どれだけ覚えられるかと思えば、覚えておくことと、忘れないこととは違うんじゃないかって思えてきます」
「どういうことですか?」
「覚えているから忘れないようにしようと思うのであって、覚えられないのはそれ以前のことだって切り離して考えるんですよ。最初は誰でも切り離して考えているはずなのに、いつの間にか、覚えられないことと忘れないようにしようと思うこととを混同してしまうんでしょうが、最後には切り離して考えるようになる。それは絶対であって、その場面で違っているとすれば、途中の混同して考える部分の長い短いに凝縮されるんじゃないでしょうか?」
永遠の意見は、慎吾を少し考えさせた。
「以前、僕も似たようなことを考えていたことがあったように思えるんですが、その記憶が今永遠さんと話をしていてよみがえってきたような気がします」
と慎吾がいうと、
「それは私も同じです、話をしていて次第にハッキリと見えてくることがあって、だから途切れずに言葉が続いているんじゃないかって思うんですよ」
と永遠が言った。
「僕は夢を創作だって考えたことが今までに何度かあったんですが、永遠さんはあくまでも潜在意識の見せるものだって思いますか?」
「よくは分かりませんが、潜在意識自体が創作なんじゃないかって考えるのは、暴走でしょうか?」
「その考えは、自分否定に繋がるんじゃないかって僕は思うんだけど、永遠さんは思いませんか?」
「私はそこまでは思いません」
と、即答だった。
「そういえば永遠さんはどうしてお見合いパーティに参加したんですか?」
慎吾は聞いてきた。
「深い意味はないです。そろそろ適齢期なのかなって思っただけです」
自分の考えをオブラートに包んだが、改まって聞かれると、どうしてお見合いパーティなどに参加したのか、今さらながら自分でもよく分からなくなっていた。
すると慎吾は話した。
「僕も最初は大した意味があったわけではないんです。お友達になれそうな人がいればいいというくらいだったんですが、どうも僕の話は難しいらしく、相手の人はすぐに引いてしまう。それでも軽い話など僕にはできなかったので、話ができそうな人が現れるのを待っていたんですよ」
「それが私だったということですか?」
「そういうことになりますね」
永遠は慎吾の話を聞いた時、
――本当かしら?
と感じた。
自分もオブラートに包んでいるのだから、相手も同じようにありきたりな返答しかしていないようにしか思えなかったのだ。
「私でよかったのかしら?」
「よかったんじゃないですか? 少なくともお友達としての会話は成り立つと思っています」
と慎吾は言った。
「じゃあ、慎吾さんはお友達から始めた恋って、そのままゴールインすれば幸せになれると思いますか?」
という永遠の質問に、
「それは人それぞれだと思いますよ。ただ、これは差し障りのない回答なので、これでは面白くないですよね。私は一捻りして考えると、お見合いパーティで知り合ってお友達から始めた恋に、ゴールはないと思っています」
それは、暗に、
「あなたとはゴールインすることはありません」
と言っているようなものだった。
だが、永遠はそれでもよかった。慎吾と話をしていると、まるで自分を見透かされているかのような怖さを感じていた。その怖さは短い期間であれば問題はなく、むしろいい刺激を与えてくれると思えるが、半永久的と考えると、先が見えてこないことへの底知れぬ恐怖を感じる。
先が見えないことへの恐怖というと、永遠は最近見た夢を思い出した。
あれは数日前だったと思ったが、目の前には断崖絶壁が広がっていた。
一列になって、まるでアリの行進のようにひたすら前を目指している。誰も上を向くことも振り返ることもなく、ただダラダラと前に向かって歩いているだけだった。皆頭からフードを被っていて、衣服は白装束だった。まるで何かの宗教団体であるかのような様子で、永遠は自分がそこにいることに対して、不思議と違和感がなかった。
「……」
人々は口々にモゾモゾと何かを口ずさんでいるようだが、何を言っているのか分からない。
お経のように聞こえるが、お経ではないことだけは分かった。人それぞれに言っている言葉が違ったからだ。
永遠は何も口ずさむことはなかったが、口だけは動いていた。何かを喋る意思もなければ喋っているという意識もない。
――ひょっとすると、自分で何か声を出しても、自分では聞こえないんじゃないか?
と永遠は感じた。
「あ〜」