悪循環の矛盾
「夢というのは、目が覚める寸前の数秒に見るものだ」
という話を聞いたことがあった。
その話に永遠は信憑性を感じている。
夢から覚めた時、覚えていないという現象を納得させようと思うと、この話に信憑性を与えることが一番だと思うからだった。
波の音だけに集中していると、目の前に見えてくるはずの外の光景がなかなか見えてこない。
――本当に出口ってあるのかしら?
と感じた。
そう思うと、出口だと思っているところが実際に見えてこないということは、逆の発想として、
「夢から覚める瞬間」
が目の前に広がっているという感覚を覚えた。
――夢から覚めるんだ――
と、永遠は感じたが、そう思ったかどうかすら分からない。なぜなら本当に目が覚めてしまったからだった。
目が覚めたという意識はあった。見ていた夢はやはり次第に忘れていき、完全に目が覚めてしまった時には、どんな夢を見ていたのかすら忘れてしまっていた。怖い夢は忘れないはずなのに忘れてしまったということは、見た夢が怖い夢ではないという意識があったに違いない。
それを慎吾と話をしている時に思い出したのは、どうしてなのか分からなかったが、永遠が思い出した夢に感じたものは、
「悪循環の矛盾」
というものであった。
自分とゴールするつもりはないと言った慎吾の顔を横目に、永遠は以前の夢を思いだしていたが、永遠は彼の横顔を見て、何となく自分に似ていると感じた。
自分に似ているという感覚は、普段から鏡をあまり見ることのない永遠にとっては不思議なものだった。自分の顔ほど一番認識していないものだと思っていた永遠は、自分の顔をまるで他人事のように思っていた。
ただ、顔を意識することはなくとも、表情は気になっていた。
――今、どんな表情をしているんだろう?
と思っても、人はそれを、
「今どんな顔をしているんだろう?」
という表現になる、
表情は顔に含まれると思っているからなのだろうが、永遠の場合は違った。永遠が考えるのは、顔が表情に含まれるという考えだ。
それぞれを重ねて考えると矛盾を感じる。その矛盾は悪循環を秘めている。夢の中で永遠の感じた、
「悪循環の矛盾」
という考えは、その一つなのではないだろうか。
悪循環の矛盾を考えていると、永遠は一つの発想に行きついた。
それは、
「タマゴが先かニワトリが先か」
という命題であった。
逆説という意味のパラドックスにふさわしい命題であるが、なかなかこのことを論議に挙げる人はいない。難しい話だというよりも、結論が出ないということを誰もが分かっていることで、論議をすること自体に無駄を感じているからではないかと永遠は考える。
さらに永遠は、五分前の自分と五分後の自分を重ねて考えてしまう。どっちの自分も自分なのだと思うと、左右の手で別々のことができている人間には、五分後や五分前の自分を確認することはできるのではないかと感じた。
しかし、実際に確認することはできても、信憑性が限りなくゼロに近いと思い込んでいることで、確認するに至らない。そう思うと、
「悪循環の矛盾というものは、結局自分だけの世界で作りあげられたものではないか」
と、永遠は考えるようになった。
目の前にいて微笑んでいる慎吾の顔を、限りなくゼロに近い信憑性で見つめながら、永遠は悪循環の矛盾について考えていた。
「この人は私の子孫なのかも知れない」
慎吾が永遠に向かって漆塗りの立派な箱をくれているのが目を瞑れば想像できた。
――これって玉手箱?
そう思うと、永遠は開けてみなければ気が済まない。
気持ちを新たに開けてみた。すると、白い煙が目の前に立ち上り、そこにはそれまで知らなかった世界が開けていた。
「私は元の世界に帰ってきたんだわ」
と思うと、今まで覚えられなかったすべてのことが、記憶の中に封印された気がした。
この時代がさっきまで永遠がいた世界から見て過去なのか未来なのか、それとも時代は変わっていないのか、
「これこそ夢であってほしい」
と感じた永遠であった。
( 完 )
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