悪循環の矛盾
「そんな考えではダメだ」
というだろう。
しかし、それを誰が証明してくれるというのか、永遠にはそれが分からない。多数決で決まるのであれば、世の中紛争も何もなく、極楽浄土のような世界ができあがっているはずだ。少なくともどこかに小さな溝があり、その溝が少しずつ見つかっていき、それが一つになっていくと、歯車など役に立たなくなる。そう思った永遠は親への反発を正当化できるのであった。
「私ね。最初は謙虚なんだけど、慣れてくるとすぐにため口になるの」
と永遠が恥ずかしそうに言った。
「それは僕だって同じだよ。却ってため口になってくれた方が相手も気が楽になることだってあるんじゃないかな?」
「確かにそうだと思うんだけど、これって親への反発から来ていると自分では思っているのよ。本当はもう少し改めなければいけないと思ってはいるんだけど、どうしてもそれができないのは、それだけ親に対しての反発心が強いからなのかも知れないわ」
と思い出したように永遠は親への反発を口にした。
元々はズボラな性格に対して感じていたことだったはずなのに、どうしてため口を聞くことに話題を変えたのか、永遠には不思議だった。しかし慎吾を見ていると、ため口になってしまう自分のことを分かってもらいたいという気持ちから口にしたことだった。
「ため口というのは、相手をフィフティフィフティに感じるからため口になると思っていたんだけど、僕は少し違った考えなんだ」
「どういうことなの?」
「フィフティフィフティというのは、相手と自分が同等であるということから来ているんだって思うんだけど、会話において同等って本当にありえるのかって僕は時々考えていたんだよ」
「でも、話を成立させるためには会話がなければいけないでしょう? 自分の意見も相手の意見もそれぞれに納得のいくように説明しないと、会話というのは成立しないんじゃないかしら?」
「確かにそうだよ。でもね、自分が考えていることを相手に分かってもらおうとすると、どうしても相手と同等ではいけないでしょう? 説得するためには自分の意見を分からせるという力がいる。相手に自分の意見を分からせようとすると、力を相手に押し付けることも仕方のないことだと思うんだ。ただ、その力をいかに相手に意識させずに納得させるかというのが大きなテクニックですよね」
「ということは、相手が自分で考えて納得しているわけではなく、納得させようとしている人の力が働いているから、納得できるというの?」
「僕はそう思っている。相手の力がなければ、自分だけで納得するなんていうことはできないんじゃないかって考えるんだ。その力は誰にでも持っているものなんだけど、その力を自分で理解していないと、相手と対等に会話なんかできないんじゃないかな?」
「少し難しい話になってきたわね。そういう意味でいくと、会話において、お互いに意見を戦わせる時間がないと会話は成立しないということにもなるんじゃない?」
「ああ、その通りだよ。でも、それを相手に意識させないようにしようという意識が、納得させようという意識の中で、いつの間にか自分もその力のことを忘れてしまっていることがある。そんな時、自分の意見を相手が納得してくれたということで、自分が納得するんじゃないかって感じるんだ。要するに辻褄合わせのような感じなんじゃないかな?」
「辻褄合わせというと、私も意識したことがあるのは、デジャブという心理現象についてなんだけどね」
「デジャブって、あの以前にどこかで見たり聞いたりしたことがあるという心理の中の意識のような状態のこと?」
慎吾は不思議な言い回しをした。
「ええ、そう、そのデジャブのことが前に気になったことがあって、私なりに調べたことがあったのよ。どこかで見たのかというのは忘れてしまったんだけど、デジャブというのは、自分の意識の中にある何かの辻褄を合わせようとする心理現象だって載っていたのを見たことがあったの。そういう意味で『心理の中の意識』という表現に共鳴しているような気がするわ」
「意識の中の辻褄合わせということになると、デジャブも理解できないわけではない気がするな。僕もよくデジャブを感じることがあるんだけど、決まってすぐにどういう意識のデジャブなのかを忘れてしまうんだ。だから時々相手に合わせてしまっているように感じるんだけど、そんな時、急に我に返って、相手に対してため口になってしまうことがあるんだ」
「相手に合わせてしまっていると感じた時、ため口になってしまうというのは、何か照れ隠しのような感じなのかしらね?」
「照れ隠しというよりも我に返ることに対して、相手に悟られたくないという思いが働いているからなのかも知れないな」
と慎吾は答えた。
「私はどうしても人の顔を覚えられないっていつも思っているんだけど、その意識がどこから来るのかっていつも考えているのよ」
「僕も同じように感じることが時々あるんだけど、そんな時、いつも感じるのは、もう一人の自分の存在だったんだ。覚えているつもりで忘れているのは、覚えているのが自分ではなく、もう一人の自分の意識の中にあるからなんじゃないかって感じるんだ」
「私も今慎吾さんとお話していて、その意識が私にもあるんじゃないかって感じるのよ。でも、人の顔を覚えられないのは、集中している意識と、別の集中とが間に入ることで、覚えられないと感じることが、一番自分を納得させるような気がしているのよ」
「集中して覚えようとすることで、却って意識してしまって、その間に別の集中が入ってしまうと覚えていたことに自信が持てなくなる。そういうことかな?」
と慎吾がいうと、永遠は少し考えて、
「相手の顔が覚えられないのであれば、写真を撮っておけばいいと前に思って、なるべく友達になった人とはツーショットで写るようにしていたことがあったの。相手が男性だとなかなかそうもいかないけど、女の子同士だったら、別に意識することもなく、普通に写真に納まってくれるものね」
「それは僕も同じことを考えたことがあった。でもね、写真を撮ると、却って覚えられないという呪縛に嵌りこんでしまうことがあったんだよ」
「ひょっとすると、慎吾さんも私と同じ呪縛を感じているのかも知れないわね」
と永遠は、初めて慎吾に対して安心したようなホッとした様子を表情にして表したのだった。
「そうだね。呪縛というのは大げさなことなのかも知れないけど、僕の場合は、写真に撮ってしまうと、相手の表情を写真の中の固まった表情でしか覚えられない。つまりは、本当に覚えておきたいその人の性格がそのまま写真に現れているわけではない。まったく違ったイメージが表情に現れていたりすると、その人の顔を覚えておくなんてことできるはずもないですよね」
「まさしくその通りだと思います。私も今慎吾さんとお話をしていて、目からうろこが落ちたような気がするくらいですよ」