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悪循環の矛盾

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 と、慎吾は答えた。
 おとぎ話の講義をしてくれるという講演会の日になった。その日慎吾は普段と雰囲気が違い、背広を着ていた。普段の待ち合わせの時はスーツなど着ないので、新鮮に感じられた。
――そういえば、お見合いパーティの日も普段着だったわね――
 と、永遠は今更ながらに思い出していた。
 慎吾を見ていて、彼は普段着がよく似合うと思っていた。考えてみたら、普段着しか見たことがないのだから、似合うも何もないものだ。
 実は最初に彼のスーツ姿を見た時、何とも言えない違和感があった。すぐに新鮮さを感じたが、あの時の違和感は何だったのだろう?
 永遠はその違和感のことをすぐに忘れてしまっていたが、いつの間にか気になってしまうようになるということを想像していたであろうか。
「慎吾さんの背広姿って初めて見るんだけど、今日の講演会のためなんですか?」
「ええ、教授はそういうことに神経質な性格なので、僕も気を遣って背広を着てきたんですよ」
 という慎吾に対して、
「じゃあ、私も正装してきた方がよかったかしら?」
「大丈夫だよ。僕がそう思っただけで、君は気にすることはない。もし、教授が連れまで気にする人であれば、僕は最初から話していたからね」
 と言った。
 それは当たり前のことだろう。一緒に行く相手に予備知識を与えておくのは最低限のマナーである。そんなことも分からないような慎吾であれば、永遠はお見合いパーティだけで終わっていたに違いないからだ。
 そう思っていると、慎吾は話を続けた。
「でもね、教授は僕の大学時代までには本当にズボラだったんですよ。着ている服も同じ服が多かったし、身だしなみについても、大雑把だったんです。本当は僕も大雑把なので、そんな先生と馬が合ったというか、何も言わなくても通じ合えるようなところがありましたね」
 と慎吾は言ったが、それを聞いて永遠は思わず笑ってしまった。
「馬が合うというのはいいことですよね。でもズボラ同士の気が合うというのは、どういう感じなんでしょうね。私には少し分からない気がするわ」
 と永遠は言った。
 永遠は神経質というところまではいかないが、人並みに几帳面なところがあると思っている。身だしなみなど当然のことで、意識するという方がおかしいと思うほど、几帳面な性格が自分では板についていると思っていた。
 人によってはそんな几帳面な性格を、
「神経質だ」
 と言って嫌っている人がいるということも分かっている。
 しかし、それは無神経な方が悪いだけであって、永遠はそんな連中とは付き合わなければいいと思っていた。
 次第に几帳面な自分でその行動範囲をいつの間にか狭めているということに気付かずにいると、気付いた時にはまわりに気の利いた人がほとんどいなくなっていたのだった。
 一人一人自分から離れていくことは分かっていた。それでも永遠は、
――離れていくんであれば、それでいいわ――
 と開き直っていた。
 永遠は開き直りを悪いことだとは思っていない。離れていくのは相手が悪いからだと思っているので、自分に非はない。つまり堂々としていればいいことであって、開き直りには正当性があると考えていた。
 意固地になっているという意識がなかったわけでもなかったが、それは自分の意地であって、
――意地を通すことは立派な自己主張だ――
 と感じていた永遠は、次第に協調性よりも自分の正当性を重んじるようになっていた。
 そんな女に男性が振り向いてくれるはずもない。相手が少しでも距離を感じれば、容赦なく離れていく。永遠も自分から近づこうとはしないので、お互いにぎこちなくもない。
 その理由は二人とも悪いと思っていないからであろう。意地を通しているわけではなく、自分なりの正当性に自信を持っている。相手に悪いという意識よりも自分の正当性を主張するのは当たり前のことだ。
「他人はいずれ離れていく。自分と一緒に墓に入ってくれるわけではないんだ」
 とまで友達に話したことがあった。
 その友達とは次から会うこともなくなり、きっと相手は、
「この人にはついていけない」
 と思ったことだろう。
 永遠にとっての本音だった。普通であれば、心に思っていることであっても、正直に話す必要はないと思うのであろうが、永遠の場合は、
「自分の本音を話せないような相手と、必要以上に付き合う必要はない」
 と感じていた。
 それは、自分の中に、人を利用してやろうというような邪心があるわけではなく、純粋に人との関係を考えていることから生まれた考えだ。自分に正直だということを長所だと思っている永遠は、それこそ自分の意地だと思い、意地を貫くことを選んだのだった。
 永遠は、そのうちに、
――自分はズボラな性格なのではないだろうか?
 と思うようになった。
 神経質ではあるが、必要以上なことは決して何もしない性格になっていた。いわゆる合理的というのだろうか、その考えが嵩じて、自分を綺麗にしようというような女性になら誰にでもあるような考えが薄れていくのを感じていた。
 特に親からよく言われていた。
「女の子なんだから、身だしなみくらいはしっかりしなさい」
 という言葉が嫌いだった。
 父親から言われていたことは特に嫌で、身だしなみに限ったことではなかった。
「世間一般の人に恥ずかしくないような行動や姿勢」
 というのを、よく言われていた。
 永遠は面と向かっては反発をしなかったが、心の中で、
「世間一般って何なのよ」
 と思っていた。
 永遠は子供の頃からよく言われてきたこの言葉で、
――世間一般とは、平均的に何でもできる人――
 という意識を持ち、決して人のしないようなことをする人ではないのが、世間一般なのだと思うようになっていた。
 平均的に何でもできる人というのは、永遠には違和感があった。それよりも一芸に秀でている人のことを尊敬するようになっていたのは、最初は親への反発だったのかも知れない。
 だが、そのうちに親への反発というよりも、親の言っていることの正反対の気持ちで世の中を見ると、
――意外と捨てたものではないわ――
 と感じるようになっていた。
 人のやらないことであっても、悪いことばかりではない。むしろ人の嫌がることをするのって人からはありがたがられるものだ。
 考えてみれば、親の言っていることには矛盾があった。人の嫌がることに対しては、
「大いにやらなければいけない」
 と、他人との会話の中で言っていたのだ。
――何言ってるのよ。そんなこと言ってるから皆混乱するんじゃない――
 と心の中で呟いた。
 親に対して尊敬も何もなくなってしまったのは、その頃からだったに違いない。
 永遠が親に対して反発していなかったと思っていたが、社会人になった頃から、
――反発心があったから、私はここまで成長してきたんだ――
 と考えた。
「人は一人では生きていけない」
 とよく言われるが、確かにその通りだ。
 しかし、それは人に頼るという意味だけではなく、人を反面教師として自分の生き方に反映させることで自分を鼓舞することができるという考えであった。
 これもまた自分の意地だということは分かっている。ほとんどの人が、
作品名:悪循環の矛盾 作家名:森本晃次