悪循環の矛盾
「じゃあ、どうしてわかったんですか?」
と永遠がいうと、慎吾はにんまりとした表情を浮かべて、一歩間違うと永遠の逆鱗に触れるかのようだった。
「それはね。その人の存在を僕が自分で分かったわけではないんだよ。僕と一緒にいた人が教えてくれたんだ」
「それは誰だったんですか?」
「僕の母親です」
「お母さん?」
「ええ、母は昨年亡くなったんですが、亡くなる半年くらい前のことで、その時病院に入院していたので、病院の庭を車いすの母と散歩している時、『あれ、あなたの子供の頃にソックリだわ』と言われたんです。その時に母が示したその子供は、まだ小学生の低学年くらいの子だったんですが、僕には小さい頃の自分とは似ていないと思ったんですが、母は似ていると言い張ったんです」
「じゃあ、もう一人の自分というのは、子供の頃の自分だというんですか?」
「ええ、そうです」
この期に及んでは、永遠も彼が何を言いたいのか、意地でも知りたくなっていた。
「ただの他人の空似なんじゃないですか?」
わざとまるで相手が冗談でも言っているかのように言い捨てるような言い方をしたが、本心では、彼の思いを推し量っていたのだった。
「僕もそう思ったんですが、じっと見ているうちに相手の子供が友達にこう言ったんです。
『もう一人の僕がいるんだよ』ってですね」
永遠はその言葉を聞いて、背筋に寒気が走った。
まるで電流でも流されたかのような衝撃を感じたが、よくよく考えてみると、永遠は彼の返事を分かっていて聞いているかのようにも感じられた。
あたかも当たり前のような質問に対して、彼はことごとく違うという回答をする。最初はいら立ちを感じたが、それでも話を逸らそうとせず、次第に話の中に引き込まれていく感覚は、最初から答えを予期していたように思わせる何かがあったに違いない。
永遠は黙り込んでしまったが、彼はさらに続けた。
「その子は友達に車いすを押してもらって散歩していたんだけど、そのうちに母親らしき人が現れて、その子たちと一緒に歩き始めたんだ。その母親に見覚えがあり、よく見ると僕の母さんの若かった頃によく似ていたんだよ」
永遠は、
――それこそ、錯覚なんじゃないか――
と思ったが、否定はできなかった。
ひょっとすると否定してほしいのかも知れないと思ったが、慎吾が自分で否定してしまうと、自分が押している車いすに乗った母親が目の前から消えてしまうのではないかと思ったに違いないと感じた。その時の慎吾の心境を思い図ると、永遠には否定する言葉を投げかけることは失礼に当たると感じた。
「それからその二人はどうなったんですか?」
「僕が気にしているというのが分かったのか、母親の方が僕の方を見返して、ニッコリと笑ったんです。僕は金縛りに逢ったかのように動けなくなり、それをいいことに、二人は僕の目の前から離れていきました。角を曲がってからは完全に見えなくなり、結局その二人と二度と会うことはなかったんです」
「じゃあ、その子がもう一人の自分だということは、分からなかったということでもあるんですね」
「ええ、そうです。だからこの話は今まで誰にもしたことがなかったんですが、今日永遠さんと出会って、なぜかこの時のことを思い出したんです」
永遠はその話を聞いて、また黙り込んでしまった。彼も今度は何も言おうとはせず、永遠が話すのを待っているかのようだった。
永遠は慎吾の話を考えていたが、ふと何かに閃いた気がした。
「以前に読んだ小説で、『五分前の女』というのがあったんですが、今のお話を聞いて、その物語を思い出しました」
と永遠は話した。
慎吾は永遠が唐突に小説の話を始めたことに少し驚いているようだったが、その目は興味津々であった。
「それはどんなお話なんですか?」
「一人の女の人が主人公なんですが、彼女はいつも自分が行く先々で、『また来たの?』と言われることが多くなったらしいんです。それもいつもその人が帰った後の五分後に主人公が現れることからタイトルが五分前の女という話になっているんですが、どうやら五分前の女がもう一人の自分という設定になっていました」
「それで?」
「五分前の女は五分後の自分のことを知っているようで、ライバル心をむき出しにしているようなんです。そんな彼女と違って主人公の性格は控えめで、五分前のもう一人の自分の存在も、怖くて認めることができないという設定になっていました」
「なるほど、分かる気がします。五分前の女は自己顕示欲が強くて、五分後の女はまったく正反対の性格だということですね?」
「ええ、そうです。でも主人公とまったく正反対の性格だということは、主人公からすれば、非常に分かりやすい性格でもあるんですよ。自分が絶対に考えないようなことを彼女がするのだと思えば言い訳だからですね。主人公は小説では二十四歳の設定になっているんですが、五分前の女の存在を知ったのは、一年くらい前だということなんです。どうしてそれまで知らなかったのかということをずっと考えていたけど、二十四歳になってやっと分かったと書かれていました」
「どうして分かったんですか?」
「それは、もう一人の自分の性格が自分とは正反対だったからです。二十四歳になった彼女は、自分と正反対の性格の人を想像してみたらしいんですが、そう思うと、急にまわりが、五分前の女の存在を仄めかすようになったんですよ」
「まるで図ったかのようですね」
「そうですね。でもそれが小説の小説たるゆえんだと言えるのではないでしょうか。ストーリーとして描くには帳尻を合わせる必要もあるでしょうからね」
「フィクションというのは、そういうものなんでしょうね」
「でも、その小説を作者は、自分の経験を描いたというようなあとがきを書いていました。経験というのが、意識の中の経験である場合もあるので、一概にはノンフィクションだとは言えないとは思いますが」
永遠はそこまでいうと、再度言葉を途切った。
何かを考えているように見えたのは、ひょっとすると、小説をもう一度思い出しなおしているのかも知れない。
「永遠さん、それ本当に小説なんですか?」
慎吾は何を思ったのか、永遠に聞いた。
「どうしてそう思われるんですか?」
「実は、今永遠さんから小説のお話を聞く以前に、僕も同じような発想をしたことがあったんです。もちろん、似たような小説を見たわけではないんですが、普段から何かを考えることの多い僕なので、人と似たような発想をすることも多いと思っていたのですが、そう思って思い出してみると、似たような話を想像したのを思い出しました。だから、このお話は小説ではなく、永遠さんの創作なんじゃないかって感じたんです」
「どうしてですか?」
「どうしてなんでしょう? ひょっとすると僕の願望なのかも知れません。今のお話は似たような話というよりも、まったく同じ発想をしたというイメージがあったんです。それであれば、小説というより、せっかくであれば、永遠さんと同じ発想であったのなら嬉しいと感じたからだと思います」
永遠は慎吾の話を聞いて、不思議な気分になった。願望というよりも彼の勝手な都合と言った方がいいのに、永遠は彼に指摘されたことに驚愕した。