悪循環の矛盾
「その気持ちは私も分かります。でも、それって思春期と重なってしまったことで、二重人格とは違うんじゃないですか?」
と永遠がいうと、
「そうなんですが、もし鬱状態に陥ったりしなければ、二重人格だなんて思わなかったと思うんです。しかも一日一日がとても長かったのに、一週間経ってみると、あっという間だったという意識が残ったんです。それで自分が二重人格なんじゃないかって思うようになったんです」
と慎吾が言った。
「そういうことなら分かります。私も時間は日付の単位で、感覚が違うことって往々にしてありますからね。私はいつぃも自覚しています」
「というと?」
慎吾は興味深げに聞いた。
「私の場合は、一日一日がとても長く感じられで一週間があっと馬だったと思っているのは、小学生の頃でした。中学に入ってから高校を卒業するまでは、一日一日があっという間だったのに、一週間だったり一年だったりが、かなりの長さに感じられたんです。それ以降はまた一日一日がかなり長く感じるようになったんですけど、どうやら節目節目で違う人間になったような気がしているんです」
「そのことに気付いたのは?」
と慎吾が聞くと、
「最近だったように思います。何かきっかけがあったわけではないんですが、しいて言うと、結婚を意識するようになってからかも知れませんね」
「じゃあ、永遠さんが自分の中の二重人格性を意識し始めたのは、最近ということになりますね」
「私もそう思います。ただ、それまで二重人格ということを意識していなかったわけではないんですが、自分は違うと思っていて、否定している自分がいたんですよ」
「意識していたというより、興味があったということかも知れませんね。興味があるから他人事のように思えるんですよ」
「どうしてですか?」
「興味を持つということは、意識していなかった証拠であり、しかも自分に関係のないという目線で入り込むことを前提として考えているんだって思います」
と慎吾は言った。
「時間というのは不思議なものですね」
永遠はしんみりと言った。
そのあくまでも漠然とした言葉の意味を噛みしめるかのように慎吾はしばらく考えていたが、
「時間という感覚と空間という感覚を一緒に考えないから難しくなるんじゃないかって考えたことがありました」
慎吾は意味不明な投げかけをした。
「どういう意味ですか?」
「少し難しいお話になりますが、空間という考えと時間という考えを結び付ける発想を、僕は次元の発想だと思うんです。一次元というのはいわゆる『点や線』になりますよね。そして二次元というのは、平面になる。そして自分たちが把握している三次元の世界は『立体』、そしてまだ解明されていない四次元の世界という発想は、それに『時間』という感覚が加わることになりますよね」
「ええ、確かにそうですね。一次元と二次元、三次元は三次元にいる私たちには理解できることが多いですが、四次元は未知の世界であり、解明されていないことがほとんどだと理解しています」
「でも、知っていると思っている一次元、二次元の世界でも、あらたまって考えたことってないでしょう?」
「確かにおっしゃるとおりです」
「僕たちが見ている絵画や写真は平面ですから、二次元の世界になりますよね。でもその世界に入り込むことはできないし、二次元の世界からこちらの世界に入ってくることもできない。唯一平面に自分を写し出すことができるのが鏡の中ということになりますが、ご承知の通り、鏡の中というのは正反対に写し出されるものです。しかも、鏡の中の世界はこちらの行動に忠実に写し出されます。決してそれ以上でもそれ以下でもありません。そういう意味では二次元の世界にとって、三次元の世界は絶対的だと言えるんじゃないでしょうか?」
慎吾のいうことは確かに難しかったが、聞いていると、次第に理解できるような気がしてきた。
「ということは、解明されてはいまぜんが、四次元の世界が存在するとすれば、その四次元の世界は我々三次元の世界から見れば絶対的だということでしょうか?」
「それはすべてという意味で言っているのでありません。たとえば、二次元と三次元の中で『絶対的だ』と言えるものは、鏡の世界だけだって思うんですよ。それ以外は違っていてもいい。そういう意味では鏡の世界というのは、確証はないけれども、ひょっとすると二次元の世界への今の時点で分かっているだけの入り口だと言えるのではないでしょうか?」
「なるほど、そういう意味では四次元の世界への入り口がどこかにあって、それを立証できたとすれば、それは同時に四次元の絶対的な支配に通じるものではないかという考え方ですね?」
「ええ、そう言えると思います」
永遠は、彼のその話を聞いて、また少し考え込んだ。
慎吾は永遠が考えている時間、決してそれを邪魔しようとはしない。それどころか、永遠が考え込んでしまうと、それをじっと見つめているのではなく、自分も何かをさらに考えようとしている。それを思うと永遠は、
――この人に話しかけてよかった――
と思ったのだ。
永遠が我に返ってくるのを察したのか、それを待っていたかのように彼が話しかけた。
「それでですね。僕は写真を撮っていますが、それ以前は絵を描いていた時期があったと言いましたけど、絵を描いていたんですが、さっきの永遠さんと話をした時、その時のことを思い出したんです。それで、今の次元の話をしたんじゃないかって思うんですが、実際には思い付きでお話をしたわけなんですが、それがさっきの話に繋がっていたと思うと僕も少し不思議な感じがしてくるんです」
「私の話?」
「ええ、さっき永遠さんはデッサンをしている時のお話をしてくれましたよね。その時にデッサンをする時には目の前にあるものを忠実に描くのではなく、時には大胆に省略することも必要だって言ってましたよね。僕も絵を描いている時に同じようなことを感じたんですが、永遠さんに言われるまでその感じたということをすっかり忘れていました。感じた時というのは、明らかに衝撃を持って感じたはずなのに、どうして忘れてしまったのか不思議なんです。本当に完全に忘れていましたからね」
「私がそう思ったのは、人の受け売りもあったんです。もちろん、自分でも感じたんですが、まだ油絵を描こうと思っていた時、デッサンをしている人を見かけたことがあったんですが、その人は絵を飛び飛びに描いていたんです」
「飛び飛び?」
「ええ、絵を描く時というのは、どこから描き始めるかは別にして、いったん描き始めると、そこから筆を離れたところに置くことはないものだって思っていたんです。もちろん、中にはところどころ別々の場所から描き始める人はいると思うんですが、少なくとも私の近くにはそんな人はいないんですよ。で、その時にその人に聞いてみたんです。『どうして離して描くんですか?』ってですね」
「それで?」