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悪循環の矛盾

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 注文したコーヒーが運ばれてくるまで彼は一言も言葉を発しなかった。
 永遠も彼の言葉を待っているだけで自分から話題を向ける気にはならなかった。誘ってきたのは相手なので、まずは相手から話をさせるのが礼儀だと思ったのだ。
「お待たせしました」
 思ったよりも早く運ばれてきたコーヒーに、彼はすぐ口をつけた。
「ここのコーヒーは豆から挽くんですが、注文してから運ばれてくるまでが結構早いでしょう? でも実際にはそれなりの時間が経っているんですよ」
 と彼は言った。
 永遠は彼の言葉の意味がよく分かっていなかった。
「どういうことなの?」
 と言いながら時計を見ると、
――なるほど、確かに自分が感じているよりも時間が掛かっているんだわ――
 と感じた。
 しかし、そのこと自体は別に不思議なことではない。時間の感覚など長く感じる時もあれば短く感じる時もある。それは当然のことなのだが、問題は彼がどうして永遠も自分と同じ感覚でいるかということである。
 まるでこの時間が、時間を短く感じさせる空間であるかのように決定的な言い方ができるのかということである。しかも、時間の感覚など人それぞれ、同じシチュエーションでもその人の感じ方で長くも感じたり短くも感じたりするはずなのに、決定的な言い方がどうしてできるのか、そこにどんな自信があるのかを知りたかった。
――相手が私だから?
 彼には人間観察に長けたところがあり、相手が感じる時間の感覚を分かる特殊な能力でもあるとすれば、不思議なことではない。
 では他の考え方として、永遠と一緒に話をしてきて、自分と同じような感性を持っていて、永遠なら同じようにこの空間のこの時間を短く感じると思ったのかも知れない。
 いや、さっきも思った、
「逆も真なり」
 という考えでは、永遠は自分とはまったく正反対の感性を持っていて、自分が長く感じるのであれば、永遠が短く感じるのではないかと思い、それを確かめたくて、
「カマをかけてきた」
 と言えるのではないだろうか。
 慎吾は口に含んだコーヒーをゴクリと音を立てて飲み込むと、
「永遠さんは自分の実年齢と、実際の性格とが、かけ離れていると感じたことはないですか?」
 いきなり彼は何を言っているのだろうか?
「どういうことですか? おっしゃっている意味がよく分からないんですが」
 慎吾はいきなり問題提起してくるタイプの男性であるということを初めて認識したのはその時だったのだが、なぜか前から知っていたような気がした。
 彼とは確かに今日初めて会ったはずなのに、以前から知っていて、彼の性格も分かっているつもりになっているのはどうしてなのだろう?
――今までに知り合った人に似たような人がいたのかな?
 といろいろ思い返してみたが、すぐに思いつく人はいなかった。
 逆にすぐに思い出せないということは、それだけ信憑性があるような気がして、
――もう少し考えていれば、必ず思い出せるような気がする――
 と感じ、思い出そうとするのをやめようとは思わなかった。
 実年齢と性格がかけ離れているということは、例えば実年齢が三十歳くらいなのに、精神年齢がまだ小学生だというようなことであろうか? 
 永遠の中の感覚では、少なくとも実年齢よりも精神年齢が上であるということは考えにくい。実際に生きてきているわけではない世代の性格がいくら他人を観察して人の性格が分かるようになったからと言って分かるはずもない。やはり性格というのは人それぞれだと思うからだ。
 人の性格というのは二種類あると思っている。もって生まれたものと、育ってきた環境によるものである。性格は最初から植え付けられているものと、培われたものの二種類。持って生まれたものの中には遺伝性のものもあるだろう。しかし培われたものは遺伝ではない。もし、精神年齢が実年齢よりも上だとするならば、それは遺伝した性格が顔を出しているからではないだろうか。永遠はそのことまでは理解できているつもりなのだが、遺伝してきた性格は自覚できるものではないと思っている。だから、実年齢以上の精神年齢を感じることはできないのだという理屈であった。
 どうして遺伝による性格を自覚できないのかという理屈を考えてみたが、人の中には自覚できていない性格というのがあると思っている。時々、
――私がこんなことをするはずもないのに――
 と思うことがたまにある。
 例えば、仲のいい友達と話をしていて、いきなりイラついてしまい、口論になってしまうこともしばしばあった。自分では穏やかに話しているつもりだったのに、相手にいら立ちを与えてしまったらしく、いきなり相手から、
「どうしてそんな言い方するの?」
 と言われ、ギクッとしてしまうことがあった。
 戸惑いはあったが、言い訳をするつもりはなく、思わず売り言葉に買い言葉、挑戦的な言葉を発してしまう。その中に戸惑いが見え隠れすることで相手にイラ立ちが募ってくるのだろう。しなくてもいい喧嘩になってしまう。
 まるで他人のような性格がどうして自分の中に潜んでいるのか、ずっと分からずにいたが、これが遺伝によるものであると感じたのは、ある日、昔の夢を見たからだった。
 その夢というのは怖い夢で、夢で相手をしている人というのは、自分そのものだった。
 いら立ちの中に二人はいて、相手の自分が理不尽なことを言っているのに、なぜか許そうとしている自分がいる。だが相手はこちらを許してくれない。まるで自分の意見を聞いていないかのように感じたからだ。それも当然のことで、夢の中の相手が自分と会話をしていると思ったのは間違いで、自分の後ろにもう一人いて、その人と会話をしていたのだ。
 つまり相手は自分を認識していない。夢を見ている自分は夢の中で存在しているわけではなかった。
「ただの傍観者」
 それが、この夢の主旨だったのだ。
 その時、夢を見ている自分が本当の自分ではなく、母親になったかのような意識で夢の中の自分を見つめているように思えた。
――あなたのことは何でも分かっている――
 と言いたげだったのだ。
 夢はすぐに覚めたのだが、実際には明け方前だった。
「夢というのは、目が覚める前の数秒だけですべてを見るものらしいわよ」
 という話を聞いたことがあり、その時は納得したはずだったのだが、実際に目が覚めてからそのことを感じようとした時、
――そんなこと信じられないわ――
 と感じるのだった。
 どうしても、夢の中の時系列が頭の中に残っていて、すぐに忘れてしまうはずなのに、その時だけは、
――忘れるなんて思えない――
 と感じているのだった。
 それだけまだ夢心地というのは、目が覚めてからもしばらくは続いているものなのだろう。
 目が覚めたと思ってはいるが、半分は夢心地という時間がかなり続く。その長短はその時によって違うが、長ければ長いほど、実際の睡眠に対して夢の長さが短かった時を意味していると永遠は思っていた。
 夢の中で、時々出てくる、
「もう一人の自分」
 は、夢を見ている自分の存在に気付いていないはずなのに、たまに目が合ってしまうことがあり、ビックリさせられる。
――やはり気付いていない――
作品名:悪循環の矛盾 作家名:森本晃次