小さな世界で些細な活動にハゲむ高校生たち
第五話 なんで生きてるかも分かんないのに
夜七時過ぎ。俺たちはまだ東浜美駅でガサガサ掃除していた。
「だああ! オレもう限界だわ! 草引き辛い!」
コオロギの鳴き声に混じる、五色の悲鳴。すっかり暗くなった外から聞こえた。
俺はなぜか待合室の掃除に専念するようにとレコミに命じられ、かれこれ二時間も掃除している。もうピカピカになりすぎて、これ以上掃除したら逆に汚れるレベルだ。三回も草引きに参加させてと要望したが、レコミ部長様《 さま》はお得意の甲高い声でノーを突きつけ、結果として俺は半ば待合室に収監された咎人《とがびと》みたいになっている。
「ふぅ、さすがにもう掃除するところは無い。雑誌でも見るかな」
雑誌は棚の、下のほうに置いてあった。当然そこに目を向ける。
(やっぱ可愛いな二次元の女の子)
表紙を見ただけでメロメロになるなんて。これは表紙の可愛すぎる美少女が悪い。存在だけでも可愛いのに、オプションで最高の笑顔を向けているのだ。大罪である。
ふと、思った。この弾けるような笑顔を見ているときの俺って、どんな顔なんだろう、と。
表紙を見た瞬間、俺は確かに感じていた。「生きてて良かった」と。一ページ一ページに「展示」された女の子たちを、極上《ごくじょう》に旨い食べ物をじっくりと味わうかのように、じっくりと目に焼き付ける。言葉にすると気持ち悪い行為を「生きてて幸せなこと」だと感じてしまった。俺がこの雑誌に求めていたのは「生きている実感」と「幸福実現《こうふくじつげん》」で、醜くも、ハゲタカのようにそれらをを貪《むさぼ》ろうとしていた。
「見ないでおこう……」
目を逸らし、どかっとベンチに座る。
窓ガラスの外には、電灯の白っぽい明かりと暗闇しかない。
一人だけの、静かな時間。
(生きてて良かった、とか。なんで生きてるかも分かんないのに)
また、思い浮かんだ。忘れた頃に思い浮かぶ、このどうしようもない疑問。
ネガティブになっているわけではない。
ずっと昔、まだ幼かったころから、「なんで生きてるのかな」などと頭の中で喋っていた。ふいに浮かぶこの疑問は、純粋な疑問の形をしたまま、気づいた時にはフッと消える。気づいた時とは、とりもなおさず「なんで生きてるんだろう」と思う瞬間。エンドレスである。
それと、「なんで生きてるのか」という疑問がずっと疑問であることに、根拠の無い安心を抱いている。幼かったころに「なんか生きてる」という、問いを無視した解答を頭の中で喋って以来、いまだにそれを疑問の解と見なしている自分がいる。
「また思っちまった」
鼻から生温かい溜息を漏らす。
少しアゴを上げ、目を細めて窓の外を見る。
電灯は、相変わらず無機質に白っぽく光り続けている。
そんな、夜。
「……」
うっすらとホームのコンクリートが見えてきた。目が慣れたようだ。
「……」
何という変化も無い。
俺の見渡す世界が、あまりにも無味乾燥としている。
二次元美少女から少し目を離すと、もうこんな面白くない景色だなんて。
結局何もすることが見つからなくて、目を閉じることに決める。
一分くらい経過した。自分でも信じがたいことに、目を開けるのが面倒臭い。特段目の病気ってわけでもないのに。ここまできたら、もう余命一桁なんじゃないだろうか。
(誰か。このダメダメな目を開けさせてくれぇ)
外では部員たちが草を引きまくっているはずなのに、音が一つも聞こえない。この待合室の防音能力、高過ぎだ。
(……)
今思い出すべきじゃないことを思い出してしまった。英語の宿題をやってなかったのだ。どうしよう。ノート五ページまるまる英単語やら英文を書かせるという重労働的な宿題だ。一日じゃ終わらないぞあれは……
(……)
あ、待て、提出は来週か。よかった~。
(……)
日本人である俺。にもかかわらず日本語が怪しい。学校は、日本語が怪しい人にも英語を勉強しなきゃいけないと迫ってくる。俺はそこら辺のスーパーの店員になるから英語いらねーっての。ふ×っく。
ガラガラガラガラ
ガラガラガラガラぴしゃっ
すたすた。 とすんっ
(あ、誰か座った。……何も言わない? ……ということは)
ケース1 五色:何寝てんだお前……、と呆れ気味に言う
ケース2 レコミ:癇癪《かんしゃく》を起こす
ケース3 杏子さん:独特の声音《こわね》で尊敬語を並べる
ケース4 三智:カラオケにいるから不適
以上により、全員しゃべる。これは部員全員が不適であることに等しい。
アンサー:その辺にいた野良猫が座布団の上に座りに来た
(ってバカか俺。電車待ちの人に決まってんだろうが)
無臭だから、性別が分からない。いい匂いなら女の人、それ以外なら男かお年寄り。ということは女の人じゃない。良かった~。密室で女の人と一緒なんて気まずいからな。
すたすた……ガラガラガラガラ。ガラガラガラガラぴしゃっ
(いなくなった)
さすがに目を開けないといけない。目を閉ざしすぎたせいか、瞼の筋肉が上がりたがっている。
「……誰もいない」
ベンチには俺一人。雑誌の位置も変わっていない。
前を見ると、やっぱり電灯と暗闇。ホームはまた見えなくなった。
「……」
↺(生きてて良かった、とか。なんで生きてるかも分かんないのに)
↺……
↺……
「んん⁉」
コンクリートじゃないものが、もぞもぞ動いている!
「おいおいおい、もしかして線路内に落ちたのか⁉」
あまりにも静かだ。今すぐ列車が来る気配はない。
でも、線路内に落ちてしまった人が這い上がろうとしているのなら、救助しないわけにもいかない。
「大丈夫ですか⁉」
叫ぶと同時に引き戸を開ける。
「の、上れませんンンンッ」
やっぱり人だった。暗くて姿は見えないが、声が完全にJKだ。
「腕を掴んでください」
彼女はガシッと俺の腕を掴む。人生で初めての、JKとの接触。三智やレコミや杏子さんに触られたことが何回かあったものの、彼女らはJKという感じじゃない。俺はついに、JKに触ってしまったのか。
「引き上げますよ!」「はいいっ」「せー、のッ」
ザッ!
「ええっ」
光……
彼女の全身が黄緑色の光で包まれている! 何億匹もの蛍の光を一か所に凝縮したような、眩い光。輝線が四方八方へ強烈にまき散らされ、俺の目に飛び込んで来た光は眼球を焼き焦がすほど熱い。ホームの下のすすけた線路が、黄緑色に照らされて命を得た大蛇のように光を反射している。金属大蛇の肌は夜の中へ鋭い輝きを呈し、周囲一帯を黄緑色の光の海へと変貌させている。もはや昼だ。
腕の力が抜けた。
「どわっ」「キャッ」
作品名:小さな世界で些細な活動にハゲむ高校生たち 作家名:島尾