小さな世界で些細な活動にハゲむ高校生たち
「俺は、なんとなく君が……いや、あなたが。そちら側が!」
「牧山《まきやま》茶波《さなみ》。私の名前……」
少し下を向いて、小さく言う。見ず知らずの上から目線な男に言いたくなかったのか、ちょっと目が泳いでいる。両手をこすり合わせながら。
「さなみちゃん、か」
どういう字なんだろう。
「ちゃん付け⁉」
あっ…… 顔を真っ赤にさせちゃった……りんごみたいだなぁ……
「ご、ごめんいきなり。キモかったよな。ハハハ」
三智は呼び捨て、レコミは部長(心の中では呼び捨て)、杏子さんはさん付け。残るはちゃん付けだけだったから、思わず選択してしまった。どうやら俺は致命的な間違いを犯したようだ。これは、わいせつ罪か……
「普通は苗字にさん付けだよ!」
初めて会った女の子に、常識を教えられてしまった。当たり前のことなのに、どうして俺はちゃん付けなんていうセクハラ選択肢を選んだんだろう。
なるほど、分かった。
「さなみ《《ちゃん》》が線路に飛び込むような非常識だから、思わず他人として
扱うことができなかったんだ。……そうだ、これも線路に飛び込んだ罰だっ」
ダメだ、苦しすぎる。
「それなら呼び捨てでいい。茶色の茶に、波。それで『さなみ』って読むの」
ちょっと拗ねてしまう茶波《《ちゃん》》。拗ねさせてしまった……
「へ、へっぇえー。き、綺麗な名前だなぁ」
なんとか機嫌を直さねば……とりあえず褒めてみたけど……
でも、本当に綺麗な名前だ。美化部として美的センスが刺激される。茶色だとう●こを連想してしまうから、緑茶の茶って表現がいい。緑茶の波。それは、湯飲みに入った緑茶の水面をふーふーした時にできる波。なんて美しい名前なんだ。心が穏やかな波のように揺れて、安らぐなぁ。
「あ、あなたの名前は? 答えてくれなくても別にいいよ、こんな私のために」
そっぽ向かれた! 全然機嫌が直ってない! もう答えるしかねえっ!
「俺は長石マサ樹。マサはカタカナで、きは樹木の樹」
――静寂。沈める待合室。
俺の名前なんて聞く価値なかったんだ。
まあ自分でもダサいって分かってたし。全然傷ついてないし、凹んでなんかないし、全然自殺したいとも思ってないし。そういや近くに海があったな。
「いい名前だねっ うふふっ」
確かによくよく考えたら俺の名前ってめっちゃいい名前じゃねえか。カタカナと樹木って、超クールっ! すっげえ嬉しいぜ!
「私もマサ樹くん、って呼んじゃうからっ。だって、ちゃん付けされたんだもん! うふふっ あはっ」
やたらと楽しそうに笑ってる。とても明るい笑顔。
不可解だ。
(待てよ?)
明るい笑顔の裏には、何かあるのかもしれない。少なくとも俺の見知った女子は、ここまで心からの笑顔をしない。三智も、レコミも、杏子さんも。
そこまで明るい笑顔を浮かべるのは、人の名前を知る程度の些細なことが、茶波ちゃんにとっては些細じゃないからなのか?
「茶波っっっ……は、本当に嬉しそうに笑うんだな。嬉しそう、っていうか、嬉し
く、って表現のほうが適切っていうか。名前が聞けてそんなに嬉しかったのか? 名前マニアだったり? なんてな……」
「……」
茶波ちゃんの顔が一瞬で曇る。
だああっ! なんか俺、「名前なんかで喜ぶとか友達いねーのかよダッセー」みたいな感じで言ってしまったのか? そんなつもりじゃなかったのに! ああ、俺は本当にダメな男だ!
「私、一人も友達がいなくて。毎日、孤独で」
ぎゃあああああ来たああああああ……ど、どうしよう。地雷踏んだあああっっっ
「もう耐えられないなって思って、勢いで、家を飛び出したの。それで電車に乗って仙台駅に向かってる時にね、なんか、このまますごく遠くに行ってしまいたいって思って。遠くに行ったら、孤独じゃなくなるかもなんて思って……」
だ、ダメだ、俺のせいで茶波ちゃんがネガティブ思考にまっしぐらだ。
「で、でもさ。今はほら、俺と話してるから孤独じゃないよな! 茶波ちゃんは可
愛いから、むしろ友達になってほしいぜ!」
ハッとした茶波ちゃん。俺のほうを見て、俺と目が合う。
数秒の、沈黙。
「……でも」
合った目はすぐに外される。……セクハラ→フラレタ→ウナバラ?
「マサ樹くんは理解者じゃないから。私のこと、多分何も分からないから」
急に立ち上がり、光る右手で拳を握って、引き戸に向かう。
「ちょ、どこ行くの?」
「この駅より北に行くと、海があるよね。海に、この光を捨てに行くの。私が遠くに来た理由だから」
「右手にホタルを持ってるのか? ホタルを捨てに行くのか? かわいそうだから思いとどまって」
「嫌」
右手の拳それ自体が光源に見える。中にデカいライトや無数のホタルがいるわけではなく、右手が一つのエネルギーを持って、黄緑色に輝いている。
「捨ててどうなるんだ?」
「どうなるかは分からないけど……でも、諦めがつくと思う。そういう光なの」
光る右手を見つめて言う。光の意味、俺にはさっぱり分からない。
引き戸に左手をかける。そして、ガラッと勢いよく開ける。
「さ、茶波ちゃん!」
風が吹き付けるのと、俺が叫ぶのは同時だった。
「なに?」
「その右手、めっちゃ綺麗だよな。捨てるのは勿体ないから、俺にくれ!」
言うと、みるみるうちに彼女の顔が真っ赤に染まる(蒼白じゃなくて本当に良かった!)。
「だ、ダメ! 無理! 右手を切り落とすなんて」
「シールみたいになってるのか? 古い皮膚とか? どうせゴミになるんなら俺がもらいたい。あまりにも綺麗だから。転売の心配なんか無いぞ? 俺は美的感覚が反応したから欲してるだけなんだ!」
「いやっ」「そこをなんとか!」「いやっ! ダメなの!」「そこを頼む!」
いつしか光る右手の奪い合いが勃発。狭い待合室でバタバタするから騒音ががちゃがちゃ響いて、かなりうるさい。
俺のほうがずっと力が強く、彼女をベンチの近くまで引き戻すことに成功した。
「本当に、ダメなの!」
茶波ちゃんは涙を流しながら泣いている。が、こんな綺麗なものを海に捨てるなんて許せない。
「ゴミを海に捨てちゃダメだろ? ましてこんな宝石みたいなの、絶対ダメだ!」
「冗談で、言ってるんじゃないの! 本当にっ! ぐすっ……ダメなの!」
「泣いてもダメだ! 俺はもう、この右手を愛してしまってる!」
「意味分かんないよ! マサ樹くん意味わかんない! バカ!」
「俺はバカでも茶波ちゃんはバカじゃないだろ? 綺麗なものを捨てるのはバカがやる行為だ。もし茶波ちゃんがこれを捨てるのなら、茶波ちゃんは俺よりバカだ!」
「ちゃん付けしないで! 初対面でちゃん付けなんて、変態っ!」
「うるせえ! 光り輝く右手のためなら!」「私のなの! 当たり前すぎることだよ!」「愛した以上もう俺のものだ!」
作品名:小さな世界で些細な活動にハゲむ高校生たち 作家名:島尾