短編集67(過去作品)
というのも、近くには中高一貫の学校があり、さらに隣の駅には同系列の大学があることから、元々は学生アパートからの流れで、近くにアパートやマンションが多いのだ。
この駅も、この十年の間にできた新駅でもあった。したがって隣の駅との距離もそれほど遠くなく、インフラの整備が遅れたのもそのあたりに起因しているようだった。鉄道会社の暗しい事情は分からないが、このあたりの話はすべて、聡から聞いたことだった。聡はさすが営業、いろいろな話を知っていたのだ。
駅前のスーパーもここ五年の間にできたもので、まだ建物も新しい。さやかは、聡と知り合ってから初めてこの駅で降りたわけではない。以前にも何度かこの駅を利用したことがあった。この近くの学生アパートに友達が住んでいたからだ。
女性の一人暮らしなので、アパートというよりもマンションに近いもので、女性専用のアパートということで、建物の新しさと、サニタリーやキッチンに、女性専用のさまざまな工夫がされていたことで、これほど綺麗なものはなかった。
さやかにとってこの街は懐かしさという気持ちもあったが、以前とは駅に降り立つ気持ちがまったく違った。ひょっとして楽しかったのは学生時代の方だったのかも知れない。そう感じるのは、友達が屈託のない性格で、さやかの助言をいつも待ちわびているような女の子だった。
さやかとは同い年なのに、まるで自分をお姉さんのように慕ってくれる。さやかは一人っ子だったために妹か弟がほしいと思っていたこともあって、願ったり叶ったりの状況に満足していたのだった。
友達とは半年ほどの仲だった。もう少しで親友の一人になるのではないかと思っていたが、親友にはどうしてもなれなかった。親友という立場を彼女が望まなかったこともあったのだが、付き合っていくにしたがって、彼女の目の色が少しずつ変わってきたようだった。
さやかを見つめるその目の奥に、さやかのその後ろを見つめているのではないかと思えるようになっていた。後ろを見つめられていることで、さやかはゾッとしたものを感じた。それは気持ち悪さであって、背筋に一筋の汗を掻いたかと思うと、今度は額から流れ出る汗を拭うのを忘れるくらいに見つめられると、硬直してしまう。
冷や汗というのがどういうものであるかということをその時に身に染みて感じたのだが、人の視線によるものは、見えない恐怖を煽っている。言い知れぬ恐怖が身体を襲うが、それは吐き気を催すほどの気持ち悪さであった。ただ、この気持ちはそれまでにも感じたことがあった。それは高校時代だったが、直接被害があるわけではなかったので、すぐに忘れてしまったのだが、忘れていただけで、本当は心の奥に封印されていたのであった。
封印を解いた彼女とは、すぐに決裂することになった。後から聞いた話では、彼女はすぐに他の女性と仲良くなり、一緒に暮らし始めたという。その暮らしぶりは常軌を逸していて、聞いているだけで嘔吐を感じた。
――離れて正解だったわ――
別れて正解という言葉は使いたくない。それほど今でも彼女のことを毛嫌いしている。生理的に受け付けないといった方がいいかも知れない。
その時も、ずっと薬を飲み続けていた。ひょっとして薬を飲んでいなければ、さやかは彼女の正体に気づくことはなかったかも知れない。気づかないまま、彼女に洗脳されてしまって、身体も心も彼女に蹂躙されていたかも知れないと思うとゾッとしてしまう。そういう意味では本当はこの駅に来るのはあまり気持ちのいいものではなかったが、その時はまだここに駅ができて間がない時。急遽作られた駅なので、何も揃っていなかった。さやかにとっては、ある意味、新鮮だったのだ。
だが、さやかはその時を新鮮という言葉で片づけたくはなかった。できれば消し去ってしまいたいくらいの過去なのだが、消し去ってしまうと、また同じことを繰り返してしまいそうに思うので、いつでも引き出せる場所に記憶として、収納していた。ただ、思い出だけは、心の奥に封印したのだった。
聡がこの駅の近くに住んでいると聞いた時、最初は戸惑ったが、すぐに我に返った。あの時と駅の様子が一変していることを知っていたからだ。駅前のスーパーなどもなく、コンビニが一軒あっただけだった。
そのコンビニも今は改装され、綺麗になっている。さやかの記憶とはかなり違う街に変わっていたのだった。
聡の住んでいるマンションは、方向も反対だった。これも幸いしていた。駅前のスーパーでの買い物に費やす時間は約三十分、さやかが駅を降りる頃には、頭の中で献立はできあがっている。
料理に関しては、学生時代まではまったく自信がなかった。一人暮らしをすることを決心した時から料理の本で勉強したり、家で実際に作ってみたりと、けなげな自分が少し可愛いと思ったさやかだったが、まさかこんなに早く人のために作ることになるとは思ってもみなかった。もっとも、誰かのために料理を作るようになるほど自分がけなげな女であるとは思っていなかったくらいである。
料理にはそれなりに自信があった。
家にいる頃、それまで中学の頃まで話をしたこともなかった母親とは、高校二年生の時に祖母が死んでからというもの、話すようになった。それまでは完全なおばあちゃん子だったさやかだったが、祖母が亡くなる時に、
「この後はお母さんを頼りなさい」
という言葉を胸に、母親を頼って、思い切って話しかけてみたものだ。
すると、案ずるより産むがやすしとはこのことか、母親と普通に話ができたのである。母親もさやかが話しかけてくるのを待っていたようで、
「最初からわだかまりなんてなかったのよ。うちの家系はずっとこんな感じなのよね。お母さんもおばあちゃん子だったからね」
意外な言葉であったが、母親の若かったことが容易に想像できるので、意外な言葉として受け取らなかった。二人の間にはそれまであったわだかまりは瓦解し、ずっと以前から話をしていたように思えてきた。これも薬を飲んでいたからであろう。
だが、そう思うと、さらに疑問が浮かんできた。
――だったら、母親も薬の存在を知っているはずでは?
と思うのだった。薬の存在を分かっていて、敢えてそれを口にしないのは、口に出した時に、効力が落ちてしまうということであろうか。そもそも何のための薬なのかも分からず、効力自体どんなものなのかが分からない神秘の薬である。いろいろ先祖から信じられていることもたくさんあるのだろう。
さやかは、母親から教えてもらった料理を自分なりにアレンジしたりして、レパートリーを増やしていった。母親から教えられたのは、主に和食で、しかも数はそれほどのものではない。
「基本は教えてあげたから、後はあなたがいろいろと工夫すれば、それでいいのよ。料理なんて応用で何とでもなるってことを覚えておくといいわ」
母親オリジナルもたくさんあるということだろう。これからはそれがさやかオリジナルとなるのだった。
さやかがスーパーで買いこむものはあまりいつも変わらない。さやかオリジナルは、同じ材料で、いかにたくさんのレパートリーができるかというところに本質があるのだった。それは聡にも分かっているようで、
作品名:短編集67(過去作品) 作家名:森本晃次