短編集67(過去作品)
だが、さやかは祖母の言うことを忠実に守ってきた。それで、今の二面性を持った人間になった原因だと思っている。本当は元々自らが持ち合わせていた性格なのかも知れないが、そう思うことで自分の中で言い訳になる。
薬は朝と晩の二回、食後に服用している。その頃にはサプリメントなどという健康補助食品があるなどということは知らなかったので、恐々飲んでいた。今ならサプリメントだと思って飲めるので、精神的に違っているかも知れない。それが本当は精神的に大きなものだったのだ。
薬を飲みながら、
――これは身体にも精神にもいいんだ――
と心に言い聞かせながら飲んだものだ。飲んでしまうと喉を通る時にスッとした気分になった。子供の頃から飲むはずのない胃薬のような感覚なので、スッとする感覚が精神を癒してくれるものだと信じていた。
一度さやかは、高校生の頃、自分の悩みを友達に話したことがあった。その友達は初めてできた親友で、どうして自分で親友だと思ったかというと、彼女があからさまにさやかとのことを、
「私たちは親友よね」
と言い続けていることで、親友だと思うようになったからだ。その頃のさやかは、自分が一番人に影響を受けやすい時期だと思っていた。話してはいけないと思いながらも口にしたのは、親友という言葉に敏感に反応したからに違いない。
親友に話をすると、彼女は最初、驚いたような顔をしていた。さやかがここまで饒舌だとは思っていなかったのだろう。だが、そのうちに安心したような表情に変わってきた。今度は、さやかも自分たちと同じ人間だと思ったからに違いない。
さやかのまわりには、なぜか饒舌な人が集まってきた。その中でもさやかは特別静かで、それだけにまわりの中心にいた。無口でも頼られると、的確な助言ができたからで、助言をもらってうまく行った人は饒舌に任せて、さやかの宣伝をまわりに振りまいていた。悪いことではないので、責めることはない。むしろ嬉しいのだが、照れ臭さもある。祖母の教えとも、どこか違っているところもあり、そのあたりがストレスとなって気づかないうちに溜まっていったようだ。
親友とは、お互いに助け合うことのできる人のことを言うのだと、さやかは思った。友達よりも親密なのは、一方通行ではないというところ、それこそが親友としての最大の魅力だと思っている。
「さやかも、私に相談があったら聞いてあげるね。いつも私ばかりじゃ不公平だもんね」
と言ってくれた。
その言葉の裏には若干の皮肉も含まれているのかも知れない。だが、皮肉が悪いというわけではない。皮肉が言える相手というのが親友であり、ただの友達では決して感じることのできない感覚を与えてくれるはずである。
――甘えていいのかな?
甘えこそ、最大の逃げだと思っていた。それは癒しという言葉は知っていても、感覚を知らなかったからだ。では、癒しとは何だろう? それは、触れるか触れないかの微妙な距離で、敏感なところを撫でられる気分である。そのことを教えてくれたのは親友という存在であり、どこかむず痒い感覚が、癒しなのだ。
さやかは、あまり身体の強い方ではない。医者に行くことはなく、ほとんどが、市販の薬で治していた。風邪を引くにしても、頭痛があるにしても、市販の薬で十分に治るからだった。
実際に祖母からも、
「あなたは、あまり身体が強い方ではないので、ちょくちょく身体を壊すこともあるでしょう。でもね、ちょくちょく身体を壊している方が、大きな病気にかかることもないのよ。ほとんどが市販の薬で治るので、市販の薬を飲みなさい。毎日飲んでいるあの薬と一緒に呑んでも副作用はありませんから安心していいわよ」
と言われていた。さやかは、その言葉を全面的に信じている。それは今も同じことであった。
それでも、最近になって、あの薬が一体何なのか、気になってきた。短大を卒業するまではあまり気にしていなかった。やはり、短大までの生活と、就職して仕事をするようになってからでは、自分を顧みる態度が違ってきた証拠であろう。
それともう一つ。彼氏ができてから薬を飲むのをやめるようにと言った言葉も気になる。社会人一年目に彼氏ができた時も薬をやめた。だが、その時は身体に変調はなく、副作用有無も分からないままだ。
――嫌なことをかんじなくなったな。でも、副作用って言えるのかしら?
などと、考えたりもした。
そういえば、祖母はさやかにもう一つの薬を授けてくれた。
その薬は、特効薬だと祖母から教えられた。何の特効薬なのかは、説明書を見れば分かるということだったが、別に特効薬を飲む必要もないので、説明書を読むこともなく、引き出しの奥深くに眠っている。
――きっと、副作用に対しての特効薬なのだろう――
と、さやかは思った。
特効薬というのは、毒消しだったり、伝染病などの免疫を作るものだったり、抗生剤のようなものだったりという漠然としたイメージしか持っていない。少なくとも平時に飲むものではないことは分かっている。引き出しの奥深くに眠らせておくのも、当然というものだ。
薬をやめて、嫌なことを感じなくなったことが副作用ではないかと思った時期があったが、嫌なことを感じなくなったのがどうしてなのか、その頃は分からなかった。分からないから副作用ではないかと考えていただけで、副作用でもなんでもないのかも知れない。
嫌なことを感じなくなったのは、自分を他人事のように見ていたからに他ならない。なるほど、自分を他人事のように見ることができれば、嫌なことを感じなくもなるだろう。そこに逃げの姿勢があったのかも知れない。ただ、何からいったい逃げようとしたのであろうか?
彼氏ができれば、それまでの世界と、見えている世界が一変した気がした。下から目線だったものが、正面から見ることができるようになったものもあるし、逆に下から目線に変わったものもある。
知らなかった世界に対して、どうしても下から目線で見てしまうくせがあったが、それを堂々と見ることができるようになったのと、人と関わることで正面から見ていたことを、謙虚さが加わったことが、その原因であった。
人の真似をするのが嫌いなさやかだった。人と同じことをしていては、人を追い越すことができないというのは、祖母からの教えではない。自分が今まで生きてきた中で、自分で経験したことを生かして感じたことだった。だが、それは微妙に違った感じ方を往々にしてするということに気づいていなかった。モノマネはサルマネにしかすぎず、いいことを吸収することにあらずということだった。
真似をすること自体が悪いわけではない。無意識に真似をしてしまっていることもある。それはいいところを吸収しようとする姿勢の表れであろう。意識して真似をしようとさえ思わなければ、自然といいところを吸収する力は、身についているはずである。
今の彼氏である中村聡は、さやかの会社の同僚である。入社はさやかの方が一年早いが、聡は大学を卒業して入社しているので、年齢的には聡が一つ上だった。それでも会社での先輩ということもあり、会社でもプライベートでも、聡はさやかにいつも頭が上がらないと思っている。
作品名:短編集67(過去作品) 作家名:森本晃次