短編集67(過去作品)
「さやかがもう少し大人になれば分かってくるわよ。分かってくる頃が、本当に大人になったという証拠なのかも知れないわね」
大人になるという言葉を聞いてしまうと、それ以上詮索することができなくなってしまった。大人と子供の違いがどこにあるのか分からないが、絶対に越えられない線があって、それは年齢と密接に関係していると思っている。つまり、どんなに頑張ってもある程度の年齢にならないと大人にはなれないということだ。
大人になるためのステップを祖母から話としていろいろ聞いているが、ハッキリとは分からない。分からないのは当たり前で、どんなに頑張っても、ある程度の年齢にならないと大人になれないと思っているからだ。それを教えてくれているのは他ならぬ祖母であって、さやかも、その言葉を全幅の信頼で信じているのだった。
年齢というのは、誰にでも平等である。半年で年を取る人もいなければ、二年掛かる人もいない。それは当然のことで、時が誰にでも平等であるからだ。
平等であるからと言って、諦めていては何もできない。年齢相応にやらなければいけないことというのは必ずあるもので、それを教えてくれたのも祖母だった。
「大人になって気づいたって遅いこともあるものなのよ。理由が分からなくてもやっておかなければいけないことだって世の中にはあるのよ」
さやかは、疑り深い性格でもあった。
自分が理解していないことを人から言われても、絶対にしようとは思わない。理解できないことを理由が分からずにしたとして、もし失敗したとすれば大きな後悔に結びつく。そんな後悔などしたくはない。自分の信じた道を行けと教えてくれたのも祖母である、それだけにさやかの中で祖母に対して、時々矛盾した考えを抱くことがあったのだ。
矛盾していることでも、他の誰もさやかに何かを助言してくれはしない。話をしてくれるのが祖母だからこそ、
――偏った考えになりはしないか――
と、たまにだが思うことがあった。
薬のこともそうだった。先祖代々に伝わっているという話なのに、どうして父にも母にも話してはいけないというのだろう。それもさやかには矛盾の一つだった。さらに祖母が矛盾したことを言う時に限って、眉間にしわが寄り、いかにも厳格な表情になるのであった。
厳格な表情といっても、鬼の形相ではない、穏やかな中に、戒めの強さがにじみ出ているのだ。それは、さやかに対しての戒めだけではなく、まるで自分に対しても戒めているように思うからではないだろうか。子供の頃には分からなかった。大人になって思い返すと、分かってきたことだった。
後になって思い出す人の表情など、そうあるものではない。いくら強烈な印象をその時に与えたとしても、覚えていることというのはありえないことのように思える。それを覚えているというのは、何度も夢の中で、祖母のその時の表情を見ているからに違いない。一度だけ夢に出てきた記憶があるのだが、後は覚えていない。それでも見たと感じるのは、戒めの言葉の意味を夢の中で感じたからに他ならなかった。
夢の内容というのも覚えていない。だが、最近のさやかは、自分を戒める気持ちが強くなっていた。その時に、自分と同じように誰かが戒めているのを、肌で感じるからだった。それが祖母であると分かるのはただの感覚に過ぎなかったが、それも一度見た祖母の夢が鮮明だったからに違いない。
祖母がさやかに話しかける時に、優しさだけでなく厳しさがあることは分かっていた。さらに厳しさなくして優しさを感じることもないことも気づいていた。ただ、優しさは厳しさがなくても存在しえるが、厳しさは優しさなくしては存在しえないものだということも祖母に教えられたのだった。
さやかにとって夢に出てきた祖母は、優しさだけだった。優しさだけの祖母をあまり感じたことがなかったが、大人になって思い出すのは優しさなのだ。
優しさを求めているわけではない。今さら亡くなった祖母の優しさを求めても仕方がないことは分かっている。夢が何かを求めているから見るのだという考え自体が違っているのではないかと思うようになった。
夢は潜在意識が見せるもの。確かにそうだろう。だが、祖母を思い出すこともなくなったのに今夢に見るということは、祖母が話していた、
「大人になって気づいても遅いことがあるのよ」
という言葉が気になったからである。
子供の頃は意識していたが、最近では忘れがちになっていた。しかも、成長するにしたがって、自分の納得いかないことをしたくないという気持ちが強くなってきた。仕事においてもそのことで苦悩の日々を送っている。人間関係でもそうである。仕事のことでも突き詰めれば人間関係が影響してきている。子供の頃にやっておかなければならなかったことを見過ごしてしまったために、今こうして苦悩しているのではないかと思うようになった。
夢の内容まで覚えていない。祖母が夢に出てきたという事実だけが頭の中にあり、
――何が言いたかったのだろう?
子供の頃は黙って従っていた。洗脳されたみたいだと思ったのも、大人になってから感じたことで、決していいイメージではなかったが、言葉の一つ一つに重みがあり、逆らえなかった自分を責められないと思っている。おばあちゃん子は甘えん坊と言われるが、さやかに限っては違っている。誰にも甘えん坊などと言わせないと思うのは、いつも自分の意志で動いていると自負しているからだ。ただそのことが心の中に矛盾を生み、亡くなった後でもさやかに大きな影響を与えていることは間違いのないことだった。
不安に思っていること、ストレスとして抱え込んでいることを人に話すと気が楽になるという。さやかは、それを迷信だとずっと思っていた。それが祖母の教えであり、人に頼ることは弱い人間のすることだと言われてきた。
子供の頃に、男の子とばかり遊んでいたのもその気持ちの表れ、人に頼られる麺もあれば、自分勝手に何事も決めてしまったりする二面性を持っていることにその頃から気づいていたのかも知れない。
人に頼るのではなく頼られる人間になること、そして、自分勝手なことというのは、人に頼るという意味から言えば、正反対ではない。人に頼られ得るというのが正反対であるのだから、その正反対は人に頼られるということのはず。子供の頃はその理屈に凝り固まっていた、中途半端に頭がよかったとも言えるだろう。理屈では分かっているにも関わらず、融通の利く考えができないのだ。
悩みやストレスを人に話すことは決してなかった。女でありながらも一人で生きるすべを祖母は教えてくれようとしているのだとさやかは思った。確かに一人で生きていくというのは難しいものだが、それだけではない。人に頼りにされる人間になるということの難しさを薬を飲むことで蓄えられるというようなことも言っていた。
――そんなバカな――
話半分聞いていた。薬を飲むだけで人に頼りにされる人間になれるわけもない。それこそ、危ない商売の商品のようではないか。
作品名:短編集67(過去作品) 作家名:森本晃次