短編集67(過去作品)
ショットバーの中で、佐智子は時々昔の話をしてくれた。特に子供の頃の話で、おばあちゃんの話が多かったように思う。それ以外の場所ではほとんど昔の話をしようとしないのに、ひょっとしたら、キャンドルを見ていると、昔の記憶がよみがえってくるのかも知れない。逆に言えば、普段は昔のことをあまり思い出さないようにしているのではないかと感じられた。そう考えると、付き合っている時にクラス会の話をしたくなかったのと、今回クラス会から帰ってきて疲れた表情をしているのとでは辻褄が合う。そのわりに、どうして結婚してすぐにクラス会に行っていようと思ったのか、そのあたりの心境の変化は私には分からなかった。
佐智子は一年に一度、田舎のおばあちゃんのところに遊びに行っていたという。キャンドルの明かりが、昔見たホタルのようだといって微笑んでいたが、怖い思いもしたことがあると言っていた。
その内容については答えてくれなかったが、思い出したくない話らしいのだが、キャンドルを見ると嫌でも思い出すらしい。思い出したくないことなら、キャンドルも怖いのだろうと思ったが、その逆らしい。実際には、その時の記憶は飛んでいて、思い出したくない思い出だという意識はあるが思い出せないことに、苛立ちを覚えるのだという。
思い出そうとすることで頭痛が襲ってくる。これは記憶喪失に陥った人が、思い出そうとする時に襲ってくるらしい頭痛と同じものなのかも知れないが、違うものなのかも知れない。私にはよく分からないが、佐智子をソッとしておいてあげるしかないと思うのだった。
私も佐智子も、夏よりも冬が好きである。湿気を帯びた夏に比べ、寒さが身に染みる時期であっても、冬の方が好きだった。
何と言っても食事がおいしい。夏はどうしても食欲が湧いてこない。あっさりしたものだけしか受け付けず、食べた気がしないというのが本音だった。それに比べ冬は食べることで暖かくなるというのが嬉しく、鍋など人と一緒に食べることの楽しさを感じることができることもありがたかった。
夫婦水入らずで鍋をつつくのも楽しい時間だった。バーとは違った雰囲気だが、明るい部屋で食べる鍋が嬉しいという。「明るい」という言葉を強調しているように感じるのは気のせいだろうか、次第に佐智子が私と結婚してから「明るい」という言葉に敏感になっていくのを感じていた。
また、最近佐智子は「犠牲」という言葉にも敏感になっていた。
新聞を読んでいて、事件などで誰かが犠牲になったなどという記事を見ると、必ず私に向かって、犠牲になることが可愛そうだと訴えるようになった。同情からなのだろうが、そのわりに感情の籠り方が他人事ではないように思える。佐智子の過去に何か犠牲という言葉がキーワードとなった出来事があったのかも知れない。
なるべく佐智子の話していない過去を掘り下げるようなことをしたくない私は、気にはなったが追及することができずに、受け流すだけだったが、そんな時の佐智子はしばし自分の世界に入り込んでいるようだった。自分の世界に入り込んだ時の佐智子は放っておくしかなく、少しの間の沈黙が、私の中では少しの間には感じられないのが辛いところだった。
私は怖い夢を見た。
夢というのは時系列に関係なく見るものなのだが、内容はきっとその時代を最大の想像力を発揮して見ているのではないだろうか。
夢の中での私は学生だった。まだ佐智子と出会う前で、誰かとの出会いを待ち望んでいる時だったはずなのに、意識の中に佐智子はいるのだ。
私と佐智子は付き合っていた。私は佐智子に全幅の信頼を置いているし、佐智子は私を愛してくれていた。これ以上ないというほどの理想のカップルで、私には幸福という言葉しか見えていなかった。
それはきっと学生時代に一番感じたかったことであり、感じることができなかったことが未練となって残っていたことで、佐智子とは学生時代から付き合っていたかのような夢を見たに違いない。
夢というのは、潜在意識が見せるもの。まさしく潜在意識の成せる業というべきであろう。
しかし、夢の前半では佐智子のことを思い続けているわりに、実際に見たというわけではない。想い続けているだけで夢の中でも想像を続けていた。それは学生時代には佐智子と突きあっていなかったという意識が私の中にあるからで、これもひょっとすると潜在意識の成せる業なのかも知れない。
潜在意識が私の中で大きくなるのを感じさせるのも夢の中であった。夢を見ている時に、自分で夢を見ていると意識できる夢というのはないのだと思っていたが、実際には数少なくはなるが、あることに気づいたのは最近のことだった。
この時の夢も、夢を見ながら、自分が夢を見ていることに気づいていた。
しかし、夢だから何でもできるという意識は私の中にはない。確かに夢というのは時系列を飛び越したり、普段できないことをできるのが夢だという意識はあるのだが、それは意識してのことではない。意識してしまうと、夢としてできることができないどころか、せっかくのところで目が覚めてしまうと感じる。元々夢というのは、肝心なところで目が覚めるようになっている。それがいい場面であっても悪い場面であっても同じこと。悪い場面であれば、それを間一髪というのだろう。
私は夢の中で佐智子を探していた。講義が終わり、一緒に帰るのが日課になっていたからだ。その日の講義は私の方が遅くまであり、佐智子はいつものように図書館で待ってくれているはずだった。
図書館に行ってみると、いつもの席に佐智子はいない。私はいつも佐智子に近づく時はなるべく気配を消すようにしている。ちょっとした茶目っ気なのだが、佐智子を驚かせようという思いと、佐智子なら気配を消しても分かってくれるという思いとがあり、その思いは後者の方が強いに違いない。佐智子が私に向かって振り返ったその時の笑顔、今まで佐智子に感じた最高の笑顔、それを待ち望んでいるのだ。
いつもの席に佐智子がいないことで、一気に不安が募ってくる。今まで抱いていた全幅の信頼に暗雲が立ち込め、不安という嵐が巻き起こるのをかなりの確率で予感していた。私にとっての佐智子は夢の中でこそ完璧であってほしいという気持ちが、その時は強かったのだ。
佐智子を探している間に自分が歳を取ってくるのを感じていた。
そういえば、私は佐智子と結婚する時に大きな口を叩いたのを思い出した。幸せにするというのを言葉で表したかったのだが、何年で係長になり、課長になると言ったことである。
佐智子はそんな無理しなくてもゆっくりやればいいと言ってくれたが、この言葉も私の想像していたもので、佐智子は絶対にそう言ってくれると思って大風呂敷を広げたようなものだった。
歳を取っていく私は、佐智子に甘え続けながら年齢だけを重ねていることに気づいた。その思いを抱いて佐智子を探し続ける。
やっと私は佐智子の後ろ姿を見つけた。その時の佐智子の姿は普段と違っていることにも気づいていたが、見つけることができて、それまでの不安が解消されていくのを感じていた。
――ああ、よかった――
作品名:短編集67(過去作品) 作家名:森本晃次