負のスパイラル
それまで望んでいるわけでもないのにお互いに気が付けばそばにいた相手だったのに、一度会わなくなると、ずっと会っていない。それは二人の行動パターンが似ているので、少しでもニアミスを起こすと、そこから永遠に遭わなくなる可能性は大だった。
磁石の同極が反発し合う感覚に似ていると思っていたが、どうやらそうではないようだった。
そのことに最初に気付いたのも睦月であり、子供の頃からよく本を読んでいたので、その感覚が生まれたのだろう。
ミステリーや奇妙な話をよく読んでいたので、時間や鏡、異次元の発想などと言ったものに精通していたと言ってもいいだろう。
異次元といっても、サスペンスという意味ではなく、学問に近い感覚である。その感覚が奇妙な話を好きになるきっかけであり、ホラーともミステリーとも言えないような、そしてどちらの要素も抱え込む小説を好んで読んでいた。
そんな中、思い出すのは、
「五分前の女」
という話だった。
主人公が、どこかの研究所なのか病院なのか、白衣を着た医者と思しき相手と面と向かって面談をしていた。
「ええ、私には昔から、五分先を歩いている自分によく似た人がいるみたいなんです」
と、神妙な顔で話している。
知らない人が聞くと、
「何言ってるの。そんなの思い過ごしに決まっているわよ」
と答えることだろう。
しかしその医者は、相談者よりもさらに神妙な面持ちで考えていたが、それは考えがまとまらないわけではなく、相手にどう答えていいのかのボキャブラリーの選択に迷っているようだった。
「そうですね。それは小さい頃からのトラウマが影響しているのかも知れませんね」
と医者は言った。
医者の前に鎮座している人は女性で、その人は年齢とすれば二十代前半くらいであろうか。細身にロングヘアーをイメージさせる描写が描かれていたので、
「まさしくこの場面にふさわしい人だ」
と睦月は感じた。
「私は小さい頃から、いろいろと考えることが多かったんですが、最近ではあまり考えないようにしているんです」
と主人公がいうと、
「それは誰かの影響ですか?」
「ええ、今お付き合いしている人がいるんですが、その人が私の性格を看破していて、それで私が考えすぎなのを諫めてくれたようなんです」
「それで少しは楽になりましたか?」
「ええ、最初は気が楽になったんですが、そのうちに急に何かの不安が自分の中に沸き起こって、やっぱり自分はいつも何かを考えていないと気が済まない性格なんだって分かった気がしました」
「お付き合いされている方がいるんですね。それで今までに友人や親友と呼べるような人はいましたか?」
「親友と呼べる人はいません。人付き合いもあまり得意ではないので、お友達と呼べる人もほとんどいなかったのが現実です」
「なるほど。それはあなたの方からまわりを避けていたという意識ですか?」
「いいえ、そんなことはなかったんです。小さい頃は普通にお友達もいましたし、人付き合いが苦手だという意識もありませんでした。でも、ある日を境にまわりの私を見る目が狂ってきたんです」
「その意識はあなたにハッキリとあったんですか?」
「いいえ、その時はすぐには分かりませんでした。でも後から遡って考えると、最初から分かっていたような気がしてきたんです。それって気のせいでしょうか?」
「そんなことはありません。よくあることだとは言いませんが、似たような事例を私はたくさん知っています。だからあなたもこれを特殊なことだと思いこまない方がいいです。思いこみが激しいと、そのためにせっかく前を向いていることが余計な方向を見てしまうことになって、先が見えなくなってしまいますよ」
「私、その時に感じたんです」
「何を感じたんですか?」
「私のまわりの今まで私と仲良くしてくれていた人たちの目が、私を見ているわけではないということにです」
「それは、あなたの後ろにいる誰かを見ているというような発想ですか?」
それを聞いて彼女はハッとした。
「それに近いかも知れませんね。少なくとも私を見ているようにはどうしても思えなかったんです」
「その理由は分かりましたか?」
「ええ、偶然だったんですが、分かりました。あれは私が友達の家に時間を指定して会いに行くという約束をしていた時です。その時は会うと言っても、お届け物をするだけの一瞬で済む用事だったんですが、私が約束の時間に到着すると友達が、『あら? どうしたの? あなたさっき、これを持ってきたでしょう?』と言って、私が持っていたものとまったく同じものを見せてくれたんです」
「じゃあ、あなたの少し前にあなたがそれを持ってきたということですか?」
「ええ、そうなんです」
「あなたはそれを信じたんですか?」
「ええ、だって、私が持って行ったものとまったく同じものを見せられれば、物的証拠を突き付けられたわけですから、信用しないわけには行きませんよね」
「確かにそうですが、あなたの気持ちとして、信じられたんですか?」
「普通なら、信じられないと思うでしょう。でも私は不思議にその時、信じられる気がしたんです。ただ、それが何を意味するのかを考えるのが怖くて、それ以上のことを考えないようにしていたんですよね」
「確かにあなたの言う通りです。下手に疑ってかかると、きっとそのうちに自分のすべてを否定しなければいけなくなるとあなたの中で直感したんだと思います。それがあなたが簡単にその事実を受け入れた証拠なんじゃないでしょうか?」
「そう思います。私も最初、どうしてこんなに簡単に納得できたのか分かりませんでしたが、今の先生のお話の通りに私も考えました」
「よく分かりました。あなたがそれを受け入れたことで、ひょっとすると漠然としていたもう一人のあなたという存在が明らかになったのかも知れませんね」
「そうかも知れません」
「私はあなたの発想は事実ではないかと最近考えるようになりました。それはあなたに限ったことではなく、もう一人の自分は存在するんだってね。そして、本当の自分がそれを認めなければ、もう一人の自分は表に出てくることはありえない。だから誰もその事実を知ることはできないというわけなんですよ」
「じゃあ、もう一人の自分の存在を信じる人ってほとんどいないんですね」
「いないと思います。認めるということは本当に怖いですからね。あなたのように本当に物的証拠を突きつけられても信じることのできない人がほとんどでしょう」
「私って、臆病だから……」
「そうですね。臆病だからあなたは信じた。そして信じたことが相手に表に出てくるだけの余力を与えてしまった。そうも考えられますよね」
と、白衣の医者はそう言って、お互いに少し沈黙の時間を持った。
その話の内容は、正直言って、ハッキリと覚えているというわけではない。ところどころハッキリと覚えているところはあっても、全体的にはぼやけている。インパクトの強いところの影響が強すぎるので、それ以外のところの印象が薄れてしまったのではないかと睦月は感じていた。
「確か最後は少女が死ぬシーンだったわね」
というところは覚えているのだが、そう思うと、
「待てよ」
と疑問を抱かずにはいられなかった。