負のスパイラル
小学生時代に感じたお互いの反比例した性格、中学時代に入ると、今度はそれが合ってくるようになる。それは性格的にお互いが入れ替わったような感じで、蓮の方が数字にこだわることがなくなり、睦月の方が割り切った性格になっていったということだ。
蓮は算数が数学になったことで、数字に対して疑問を感じるようになった。別に数字が疑問を感じさせるものだというわけではなく、自分と携わり方に疑問を感じただけなのだが、成績の低下とともに、蓮の中で勉強がどうでもいいものに変わって行った。
睦月はというと、それまで蓮が自分よりも先にいて、いつも彼女の背中ばかりを追いかけていたが、それを楽だと思っていた。しかし、蓮が挫折を味わっているのを見ると、
「ざまあみろ」
という気持ちに自分がなってきたことに気付き始めた。
最初は蓮の嫌いなところなどなかったはずなのに、一度嫌いな部分を発見してから、睦月は変わった。それまで蓮のことを信頼し、追いかけていればいいだけだと思っていたことに疑問を感じるようになったからだ。
睦月は別に目立ちたいと思っているわけではない。目立つことが自分の目指していることではないのは分かっていた。しかし、今まで見えていた蓮が、正面から見ればまったく違った雰囲気になったことで、睦月はそれまでの自分を、
――本当の自分だったんだろうか?
と感じるようになっていた。
いつも蓮の影に隠れて、静かにしていた睦月だが、蓮が自分の後ろに隠れようとしている時があるのを感じると、表に出てもいいように思えた。
それでも、睦月は強情な性格である。まともに前に出てしまうと、
「出る杭は打たれる」
という言葉にもあるように、慎重に行かなければいけないと思うようになっていた。
蓮が勉強をしなくなると、睦月は自分がこの時とばかりに勉強していれば、自分が思っているよりも、成績がアップするのではないかと思い、蓮のスランプを横目に、自分は勉強に勤しんだ。
そのおかげで成績はうなぎのぼりにアップして、先生だけではなく、まわりの生徒からも一目置かれるようになった。
その頃から、睦月は気さくな性格に変わってきた。
睦月としては、それまで蓮としか関わってこなかったのを、他の人とも関わるようにしただけだったが、まわりの人から見ると、
「向田さんって、あんなに気さくだったのかしら? ちょっと見直した気がするわ」
と言われるようになり、相手からも話しかけられることが多くなった。
思春期ということもあり、悩み相談のようなものも結構受けるようになったが、この時の受け答えや回答が、相談者の胸を打った。
「言ってほしいと思っていることを、的確に言ってくれるのが向田さんなのよね」
という話がクラスでも囁かれるようになっていた。
その噂はもちろん、蓮の耳にも聞こえてきた。
それまでは蓮の方が気さくで、あまり悩んだりすることのなかったのを知っている人から見れば、蓮は完全に落ちぶれてしまっているようにしか見えなかったのだ。
そんな蓮を睦月は後ろから冷静に見ていた。
だから睦月はまわりの人がしてくる悩み相談にも、相手の言ってほしいことを的確に言えるようになったのだろう。冷静な目を持った上で、悩むことをしなくなった睦月だからこそできたことだろう。そういう意味で睦月にとって蓮は恩人と言えるだろうが、その時の蓮は、恩人と言えるような雰囲気ではなかった。
睦月は蓮を見ていて、
――ここまで落ちぶれるなんて――
と思うほど、憐みを感じていたが、憐みを感じれば感じるほど自分が輝いてくることに今まで感じたことのない思いを感じるようになった。
それは慈悲の感覚であった。ただその慈悲というのも、相手に憐みを感じるからこそのもので、あくまでも自分が相手よりも上に立ったという意識がなければ成り立たないものであった。
睦月はそれでもいいと思っていた。蓮には今度、自分の背中を見てもらおうと感じたのだ。だからと言って、蓮を自分の従者にしようという考えではない。あくまでも自己満足であることも分かっていた。
睦月は自己満足を悪いことだとは思っていない。
「自分で納得できたり満足できたりすることでなければ、どうして他の人を納得させることができるというのかしら」
と思っていたからである。
この考えは小学生の頃からあった。
一人でいつも考えていることが多かったことで、絶えず何かを考えていなければ気が済まないタイプだった。そのおかげで、いつも冷静に見ることができるようになったのであって、その外因としては蓮の存在があったというのも間違いではないだろう。
蓮の存在が大きければ大きいほど、睦月の思春期以降の性格は蓮に似てきた。
蓮の方でも睦月に似てきたという意識を持っていた。お互いに近づいていることを意識していたが、すれ違ってしまったことを意識していない。
普通であれば、合流する場面があるのだろうが、二人にはニアミスしかなかった。きっとそれはお互いが相手のことを親友だと思っていたからではないだろうか。そのことを感じたのは蓮の方で、睦月には分からなかった。
睦月は冷静に見ているようであるが、本当にまわりの事情と自分のことを理解しているのは、睦月というよりもむしろ蓮の方だったのではないだろうか。
思春期の一時期を除いてであるが、少なくとも蓮はそう思っていた。
蓮の落ちぶれはなかなか治るものではなかった。成績に比例して、精神的にも病んできて、人の忠告も聞かなくなっていた。それは蓮が持って生まれた性格なのではないだろうか。そのことを蓮は自覚していた。
だが、非行に走ることはなかった。危なげな誘いもなかったわけではないが、最後の一線は超えないようにしたのは良心からというよりも臆病な性格から来ているものだったのだろう。
人との会話もなくなっていき、そのうちに睦月とも話をしなくなる。蓮とすれば、睦月との会話をしようにも、相手の顔をまともに見ることができなかったからで、それは睦月も同じであり、お互いに顔を背けながら、できるはずのない会話をしようと思っていたようだ。
そのためには相手からの言葉を待つしかない。お互いに、
「早く何か話題を振ってよ」
と思っていただけに、その何ら根拠のない時間を無為に過ごしているだけなのが、苦痛でしかなかった。
まだお互いに相手に話題を振ってほしいと思っている間は修復の可能性はあったのかも知れない。しかし、そのうちに何も相手に感じなくなると、そばにいることだけでも重圧に感じられ、そのくせ、相手を避けることのできない自分に苛立ちを感じていた。
どうしても避けることができなかった。お互いにそばに寄ってくる気もないのに、気が付けば相手がそばにいる。離れようとしてもお互いに金縛りに遭ってしまい、
「早くどっかに行ってよ」
とそれぞれ感じていた。
そんな関係が長くは続くはずはないと思っていたが、確かに数回でお互いに会うことがなくなった。