負のスパイラル
「簡単な問題はいつでもできると思って、最初に難問から取りかかるようにしているんです」
と蓮がいうと、
「そうだな、この塾の特徴として、難しい問題を最後に二問ほど設けているが、それは両方合わせても三十点しかない。他の優しい問題を正確に回答ができれば、七十点はあるんだ。算数で七十点取れれば十分だと先生は思うんだがな」
という先生に対して、
「私もそう思うんですが、自分の気が済まないところがあるんです」
というと、
「確かにお前はその傾向があるようだ。強情というわけではないんだろうが、だから国語なんかの成績が悪いんだよな」
先生は、どうやら蓮の国語の成績が悪い理由に気付いているようだった。
蓮も自分では分かっていた。
――私は国語の設問に入る前の文章をまともに読んでいない。設問から先に読んでしまって、結論をすぐに導き出そうとしてしまっているからだわ――
これは、落ち着きがない証拠なのだろうが、普段の冷静な蓮からは信じられないことでもあった。それゆえに、
「私って二重人格なのかしら?」
と、睦月に言ったことがあったが、その時の睦月は何も答えなかった。
蓮の気持ちを分かっていて答えなかったのか、それとも分からないから答えられないのかどっちだろう?
蓮は前者だと思っている。睦月には時々、自分のことをすべて見透かされていると感じることがあった。やはり蓮には睦月を重荷に思う瞬間があるのか、睦月が自分から離れた時、
「それも仕方がないか」
と感じたのも頷ける。
睦月の存在が蓮にとって、
「自分を写す鏡のようだ」
と感じたことがあったが、性格的にもまったく似ていない睦月にどうしてそう感じたのか分からなかった。
しかし、実際には蓮がそう感じている時、睦月も同じことを考えていたという事実を知っている人は誰もいない。
ただ、それは小学生の頃だったから感じなかっただけで、実際にもう一度同じことを感じることになるのだが、それが二人にとって運命の予兆のようなものであることを、まだ二人は知る由もなかった。
蓮と睦月が疎遠になった時期があった。
小学校の頃は、
「一緒の中学に入れればいいね」
と、仲睦まじく話をしていたものだが、その頃はまだ成績は蓮の方がよかった。
よかったと言っても、全体的な成績という意味なので、得意科目の違うそれぞれでは、科目によって、どちらが成績がいいかというのは別れていた。だから一概に全体的な成績で判断できないが、成績のいい蓮は気分がよかったし、睦月の方としても、全体では負けていても、得意分野では十分に勝っているので、負けているという意識はなかった。
もっとも、睦月には競争をしているという意識はなかった。家庭でのことがあるからなのか、すっかり闘争心を失ってしまっている睦月は、自分の得意分野で成績がよければ、あとは別に関係ないと思っていた。
そんな二人であったが、幸か不幸か同じ中学に入学することができた。
「よかったわね、蓮ちゃん」
と睦月がいうと、
「本当によかったわ。ホッとしたもの」
と蓮が言い返す。
本音を言っているとすれば蓮の方であろう。蓮にとって嬉しいという感覚よりも、ホッとしているという感覚の方が強かったのである。
蓮という女の子は負けん気が強い。一見強情なところがある睦月の方が競争に関してはシビアだと思われがちだが、彼女が強情なのは自分に対してであって、人との競争という意味ではドライであった。
冷静に見える蓮も人との競争に燃えるところがあり、特に親友である睦月に対しては露骨にその闘争心をむき出しにしていた。
そのことを睦月も分かっていたが、嫌な気はしなかった。それで蓮が満足するのであれば、それはそれでいいと思っていたのだ。
マイペースな睦月に、勉強に関しては貪欲な蓮という構図が出来上がっていたので、蓮の方が成績が上の間は、良好な関係が保たれていた。
しかし、中学に入ると、蓮の成績は急に下がって行った。遊んでいるわけではなく、勉強に対しての貪欲な態度は変わっていなかった。
蓮の成績が下がったのは、その貪欲さが招いたことであるというのは実に皮肉なことである。
どういうことかというと、蓮の得意科目である算数が、数学に変わったことが大きな原因だった。
算数が好きだったというのは、
「算数というのは、どんな解き方でもいいから答えを導き出せばいいんだ。正解であることはもちろんのこと、その過程が大切なんだよ」
と、小学生の時に教えられたことが蓮に大きな感銘を与え、その言葉があったからこそ、算数が好きになったのだ。
「そうなんだ。どんな解き方でもいいんだ」
という思いが自由な発想に結びつけ、その自由さが無限の広がりを見せるような気がして、
「勉強というのは、すればするほど奥が深いものだ」
と感じさせた。
だから算数を好きになったのだが、もう一つ、算数を好きになった理由があった。
整数というのは、等間隔で並んでいるもので、したがって、一定の法則が成り立つというものであった。つまり、公式を知らなくてもその法則性を見つけることは自分にもできるということで、法則を見つけては、先生に話をしたものだった。
「なかなか鋭いところをついてくるな」
と、先生もビックリするくらいだったことで、法則を見つけることに躍起になり、その面白さに魅了されたものだった。
成績もぐんぐん上がっていき、算数に関してはトップクラスになっていた。
中学受験も、算数の成績はよかったようで、他の科目を補って余りあるものだったことで入学できた。その頃から、
「人って、何でも平均的にできるよりも、何か一つだけでも特化したものを持っている人の方が魅力的な感じがするわ」
と思うようになっていた。
睦月には、蓮がそんな性格であることは分かっていた。
「私には、あんな風に考えることはできないけど、蓮だからこそ、許される考え方のように思うわ」
と、睦月は決してその考えに賛成というわけではなかったようだが、蓮にだけ与えられた特権のような気がしていたのだ。
だから、睦月は蓮と知り合ったのではないかと思うようになっていた。自分とはまったく違った性格の人と知り合って、何かの感銘を受ける。睦月はそのことを運命のように感じていた。
蓮の方は、運命という感覚には淡泊だった。あまり友達を作ることのなかった蓮は、男の子からは人気があったが、女の子からはあまり人気はなかった。
あどけない雰囲気に、男の子の人気がまずまずの蓮を見て、女の子は蓮にあざとさがあるように思えていたようだった。
あざとさというのは小学生ではそこまで見抜けないのかも知れないが、勘違いからのあざとく見える感覚は、一度感じてしまうと、疑うことを知らない小学生としては、思いこみに変わってしまう。それがいずれは苛めに繋がっていくことになるのであろうが、まだ蓮の時代にはそこまでのことはなかったのである。