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負のスパイラル

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 そんな時期だったこともあって、蓮が通い始めた頃はまだまだ生徒も少なかった。ただ塾に通ってくる子は皆それなりに頭のいい子が多くて、最初は蓮もその差をまともに受けることになったが、天然ではあるがやる気はあった蓮は、それなりに努力した。その努力が実を結び、成績も上がっていく。蓮という女の子は、実は負けん気の強い女の子だったという証拠である。
 学校が終わって塾通いを始めると、次第に学校が面白くなくなってきた。朝から昼過ぎまでいる学校での一日と、帰宅してから塾に通って勉強する約二時間程度の時間を比較しても、蓮には塾での二時間の方が充実していて、一日の割合から考えても、学校での時間よりも割合が高いくらいにまでなっていた。勉強が上達していくことが、自分にとっての悦びに変わってきたことを誇りにさえ思うようになっていた。
 蓮が睦月を意識するようになったのは、ちょうどその頃ではなかったか。
 学校では毎日をつまらないと思っていたが、それでも行きたくないとまでは思わなかった。
 あれだけ塾での充実した時間を覚えたはずなので、学校での時間をもったいなく感じ、苛立ちに変わってきてもいいはずなのに、もったいないと思っても、それが苛立ちに変わることはなかった。睦月と知り合ったからである。
 同じクラスにいるのは知っていたが、睦月も、
「しょせん、他の皆と同じ」
 と考えていた。
 だが、彼女の中にある影の部分が見え隠れしているのを感じた時、蓮の中で今まで感じたことのない苛立ちとは違う興味が湧いてきた。
「私にはない何かを持っている」
 と感じたのだ。
 他の人には感じたことのない思いで、その時初めて、
「他人って一人一人違うんだ」
 という当たり前のことを自覚した気がした。
 睦月はそれまで勉強というものをすることはなかったが、同じ塾に通うと言い始めた。彼女の親は不仲になりかけていた頃であったので、娘が通いたいと言えば、反対することはなかった。父親の給料から考えると、塾に通うくらいはさほど問題ではなく、むしろ夫婦間の問題に娘の問題まで関わってくる方が厄介だった。
 娘が、
「塾に通いたい」
 と言い出したことは親にとってはこれ幸い、父親も母親も一人になる時間ができてありがかたったに違いない。
 塾での成績はお互いに似たり寄ったりのものだった。お互いに得意科目は違ったが、総合点数から言えば、同じくらいだったので、塾でのクラスも一緒になった。
 蓮は算数が得意だったが、睦月は国語や社会が得意だった。
「暗記物なら私で、考査が必要なことや計算などは蓮ちゃんの得意分野になるのよね」
 と、睦月が言った。
「うん」
 と頷いた蓮だったが、少し寂しい気もした。
 だが、それでもお互いにそれぞれの個性を生かすことができ、切磋琢磨できるという意味ではありがたかった。これが理想の友達というものなのかも知れない。
 睦月の強情なところは、このあたりにも見え隠れしていた。蓮にならって一緒に塾に通い始めたくせに、成績では負けたくないという思いが強いのか、苦手な科目の克服よりも、得意科目の成績アップに集中した。それを見て蓮も安心したのだが、蓮も睦月と同じように、得意科目の向上に邁進していた。
「岩崎さんは、算数に関しては塾でもトップクラスよね」
 と、クラスメイトに言われて、少し有頂天になっていた。
 自分では絶対に相手の実力を認めたとしても、それを口にすることなどないと思っている蓮は、人に言われることが嬉しくて、少し舞い上がっていた時期もあっただろう。
 そんな時は、親友だと思っている睦月が、急に蓮を避け始めるようなことがあった。
――どうして私を避けるのかしら?
 と蓮は疑問に感じていたが、その理由は容易に分かる気がしなかった。
 蓮は、最初は避け始めた睦月を怖いと思い、避けられたくない一心で、それまで見せたことのない馴れ馴れしさのようなものを示すことがあった。しかし、そんな態度を取れば取るほど相手は引いてしまい、距離はどんどん遠ざかっていくような気がした。
 逃げる相手を必死に追いかける蓮。
――追いつくのは難しいのでは?
 という思いを抱いたまま、意識とは裏腹に、近づこうとする。
――まるで磁石のS極とS極のようだわ――
 と、反発が仕方のないものを例にして、想像してみた。
 そして考えた結論は、
――それならそれでいい――
 というものだった。
 相手が本当に離れていくのであればそれまでだったのだし、戻ってくれば、それはそれでもう一度絆が強まるとしていいことなのだと考えた。ポジティブに見えているが、実際には開き直りが必要であり、逆に開き直りさえできれば、ポジティブにも考えられるというものであることを、その時蓮は漠然とではあるが感じた気がした。
 少し時間は掛かったが、睦月は蓮のところに戻ってきた。
「どうして私を避けていたの?」
 本当であれば、せっかく戻ってきてくれたのだから、今さらそのことに触れるのはタブーだったのかも知れない。
 しかし、相手が睦月であれば、いや、睦月だからこそ聞いてみたかったのだ。睦月はその時、
「あなたが舞い上がっているように見えたので、私にはそれを抑えることができないと思ったのよ。もしあなたが元のあなたに戻ってくれれば、私はあなたの顔を見ることができると思ってね」
 と言った。
「じゃあ、私の顔をまともに見ることができなかったっていうの?」
「ええ」
 それは意外だった。
 確かに、避けられているとは思ったが、顔をまともに見られていないとまでは思っていなかった。言われてみれば、目が合ったという記憶はないが、それは自分も避けているからで、タイミングが合わなかっただけだと思っていた。まさか、意識して顔を見ないようにしていたとは思ってもいなかった。
 だが、よくよく考えるとそれも確かだったのかも知れない。蓮も意識して睦月を見る気がしなかった。見てしまうと、見てはいけないものを見てしまったような気がして、それが何を意味しているのか分からなかったからである。
 蓮は急に自分が舞い上がっていたということに気付いた。有頂天ではあったが、それが悪いことだとは思っていなかったのだ。それを分からせてくれたのが睦月だった。蓮はそれが睦月の優しさだと思い、それからしばらくは、人と競争するという意識が失せてしまっていた。
 成績が上がることは嬉しくて、勉強に精を出す毎日ではあったが、競争心は薄れていた。そのせいなのか、急に成績が下がってきたのだった。
 塾の先生からは、
「どうしたんだ? お前らしくもない。急に成績が下がるなんて」
 と言われて、蓮も原因がどこにあるのか分からずに、下を向いているだけしかなかった。
 何も悪いことをしているわけではないのに、気分的には何か悪いことをして先生に叱られている自分を客観的に見ていた。
「私にもよく分からないんです」
 と絞り出すように言うと、
「うーん、今までなら絶対に間違えるような問題ではないところを間違えているんだ。難しい問題に関しては結構解けているのにだよ」
 と指摘された。
 それは自分でも分かっていた。実際に最近は難しい問題にチャレンジするようにしていた。
作品名:負のスパイラル 作家名:森本晃次