負のスパイラル
――この人は私が思っていることを口に出して言ってくれる人だわ――
と感じた。
その感覚は決して嫌なものではなく、むしろ自分のことを何も言わずに分かってくれる相手だということで嬉しいくらいだった。
「あれは何だろう?」
昼食を終えて、少し眠気が襲ってきたのを感じていた蓮は、祐樹の差し出す指の方を見ていると、そこには回転木馬のアトラクションがあって、その前にある広場が特設会場のようになっているところがあるのだが、そこに数人の子供が群がっていて、その後ろに母親が控えているのが見えた。
「さっきまでは誰ともすれ違うことはなかったのに、あんなにも人がいたのね」
と蓮は言ったが、祐樹はその話を聞いて、少し不思議そうな表情をした。
不思議そうというよりも、少し訝しそうな表情になっていたが、蓮はそんな祐樹の橋上を意識していなかった。
「行ってみようか?」
という祐樹の言葉に、
「うん」
と蓮は答えたが、最初遊園地に来たことを正解だと言った祐樹の言葉に対して答えた時の、
「うん」
という態度とは、今回は明らかに違っていた。
最初は、共感したような言い方だったが、今回は自分自身が興味を持ち、祐樹に言われたから答えたのではなく、自分から答えたのだ。それも幾分かの興奮を伴ってのことである。
その場所は、思ったよりも離れていた。
芝生の公園が思ったよりも広かったというのもあるが歩いていて、
――行っても行っても、辿り着かない感覚――
そんな風に思えた。
まるで田舎の一本道を歩いていて、目的地が見えているのに、まったく近づく気配のない雰囲気に思えた。今まで田舎の一本道など歩いた経験はないはずなのに、この懐かしい感覚は、まさしくデジャブではないかと思ったが、
――今日はどうして、こんなにデジャブのことを感じるのかしら?
という思いも同時に持ったのだった。
足が重たい感覚もあった。
確かに食後ということもあり、ポカポカ陽気で気持ちよくなった後に襲ってきた睡魔と戦っていて、足取りの重たさに結びついているというのも、無理もないことのように思えたが、それにしてもなかなか辿り着けないという感覚とは若干違っているようだ。
まるで砂漠の中で、蜃気楼を見ているようにも感じたが、この時蓮は、
――おや?
と思い、何かに閃いたようだった。
――蜃気楼というのをよく聞くけど、それは砂漠の「逃げ水」と同じよね? それって、砂漠という足が取られる感覚と、下からこみ上げてくる猛烈な暑さのために意識が朦朧としてくることで見せる錯覚なのかも知れない――
と感じた。
下半身が自分の身体であって、自分の身体でないような感覚を持ったことが、逃げ水という錯覚に結びついているとすれば、
「錯覚というのは得てして、人間の感覚が一番の要因なんじゃないか」
と言えるのではないかと、蓮は感じた。
実際にその言葉を誰かが言っているのを聞いたような気がした。テレビで見たような気がするのだが、どんな番組で誰が言ったのかまでは覚えていなかった。
――これも一種のデジャブ?
デジャブというのが意識している自信のない感覚の辻褄を合わせるためにあるものだと考えれば、少しは納得がいくような気が、蓮にはしていた。
ゆっくり歩くその先に見えているものは、本当に蓮が想像しているものなのか自信はなかったが、少なくとも逃げ水のように、何もないものが目の前に見えているという思いはなかった。ここは砂漠ではないのだ。
――あの時の道化師?
まさかとは思ったが、やはりあの時、ショッピングセンターで見かけた道化師だった。
実際、あんな格好の道化師が、時代錯誤であるかのように、これみよがしに何人もいるというのは考えにくい。そう思うと、自分の運命の方が何かに憑りつかれているようで、ゾッとしてくるのだった。
だが、その道化師を見てゾッとするというよりも、懐かしさにホッとするのはどうしてであろうか? まるで父親にでもあったかのような気分になると、道化師に吸い込まれていくように思えた。
その道化師は顔に施された化粧から、どこを向いているのか分からなかったが、一瞬目が合ったかと思うと、
「お嬢さん、こちらへ」
と言って、蓮を演台に招いた。
躊躇していた蓮だったが、その背中を押してくれたのが祐樹だった。祐樹は蓮の背中を押しながら、
「せっかくなんだから、上がれば」
と言ってくれた。
その笑顔は素直に優しさに溢れているように思え、ここで演台に上がらないのは、却って不自然だった。蓮は自然に足が前を向いて、演台に上がった。
その演台は思ったよりも高くて、座っている人を完全に見下ろしていた。子供と親の数は最初に感じていたよりも結構多くて緊張もしたが、
「大丈夫ですよ。心配いりません」
という道化師が耳元で囁くのを、遠くで聞いているかのように感じた。
まるで他人事のように感じられていく。道化師の顔を想像するなど、もうどうでもいいことのように思えてくると、すでに催眠術に掛かっているのか、素直な自分が表に出てきているようだった。
――ということは、今まで感じていた自分は、素直ではなかったということなのかしら――
と感じた。
その感情は自分が冷静になっていることの証明でもあったが、それよりも自分を他人のように思う感覚が異様に感じられた。
「こちらのステキなお嬢さんに拍手」
と言って、道化師は蓮を客席に紹介した。
客席からは拍手が巻き起こる。まばらで会ったが、変に大盛況というのもいやらしさがある。適度な拍手が蓮を緊張から解き放ってくれているかのようだった。
「今からお嬢さんに催眠術をおかけします。お嬢さんは気を楽にして、これから起こることを自分なりに想像してみるのもいいかも知れませんね」
と道化師がいうと、観客から笑いが起こった。
その笑いが何を意味しているのか蓮には分からなかったが、
「三、二、一……」
最後のゼロという言葉は聞こえなかった。
たった三秒足らずで蓮は完全に催眠に入ってしまったのだ。
蓮はその間、小学生の頃に見たテレビ漫画で、タイムマシンの光景を思い出していた。それは以前美術の時間に見せられた、確かダリという画家が描いた作品だったと思うが、歪んだ海中時計が宙に浮いていて、それがいくつもトンネルの中に存在していたのだ。
針が動いているわけではなかったが、それぞれの時計はすべて時刻が違っていた。
――よく覚えていたものだわ――
と感じたのは、またしても冷静な気分になったからであろう。
蓮は不可思議な現象に迷い込むと、定期的に冷静な自分が表に出てくるようである。そのことを自覚したのはこの時が最初ではなかったが、確信したのがこの時だったのだ。
あれから、どれくらいの時間が経ったのか、
「ゼロ」
という道化師の言葉が聞こえてきた。
それは最初に一と言った言葉の続きではなく、どうやら催眠から覚めるための秒読みだったようだ。
「こちらのステキなお嬢さんに拍手」
この言葉はさっき聞いた言葉だったが、あの時とは少し違っているように感じられた。