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負のスパイラル

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 考えてみれば、そこで立ち止まるということをまったく想定していなかったということである。その男が立ち止まったその場所には、気持ち悪いと評判のおじさんが立ちすくんでいるはずだった。
「お久しぶりです」
 この声は比較的若い男性の声で、透き通っているように聞こえた。
「おお、元気だったか?」
 これは完全なダミ声、おじさんであることに間違いはない。
「お父さんの方から僕に会いたいなんてどうした風の吹き回しですか? しかもこんな人目を避けたようなところで」
 と最初こそ透き通ったような声だと思ったが、今度の声は陰気な感じがして、声を押し殺しているように感じた。
「いやね。お金がなくなってきたので、お前に頼りたいと思ってな」
 とお金の無心のようだった。
 しかし、その声は人にモノをお願いする態度ではないように思えた。たとえ相手が息子であっても、親子の間に礼儀は必要だと思ったからだ。
「しょうがないな。今度だけですよ」
 と言って、男はおじさんにお金を渡しているようだった。
「いやいや、俺はこれからもお前を頼りにするつもりだよ。お前は最後まで私に追いつくことも追い越すこともできないんだ。だから、俺の背中だけを見ることになる」
「だから私に頼るというわけですか?」
 男の顔は見えないが、その嘆声からは、溜息にも似た、
「やれやれ」
 という感じが伺えた。
「あなたは何を根拠にそんなことを言うんですか?」
 と言いたげだったが、そこまでは言わなかった。
 すると、おじさんはその気配を察したのか、
「ニワトリが先か、タマゴが先かという言葉があるのを知っているか?」
「ええ、もちろん知っていますよ」
「どういう意味だか分かるか?」
「ニワトリはタマゴが成長したものなので、タマゴが先に思えるが、タマゴを生むのはニワトリの仕事。ここにはどちらが先かという点で、明らかに矛盾した考えがある。そんな矛盾を生命の循環になぞらえたたとえ話だと思っていますが?」
 というと、
「その通りさ。だからこそ、それは逆説でもあるんだ。どちらが先かを論じる前に、どちらが最後かということを論じているのと同じなのさ。タマゴとニワトリを別々のものだという考えを持ってしまうから、どっちが先かなどという論議になる。つまりはどちらも同じものだと考えると、そこに矛盾は発生しない」
「どういうことですか?」
「つまりは親子というものは、絶対に相手を追い越すことはできない。親子である以上、別々の人間だという概念を持ってしまうのだが、本当は同じ人間であればどうなんだって発想なのさ」
 それが、そのおじさんの結論だった。
 息子の方はその話を聞いて、黙りこくってしまった。しかもしばらくそのおじさんの気配は感じていたが、途中から息子の方の気配を感じなくなった。
 足音が聞こえてこないということはその場から立ち去ったわけでもないのに、どうしたというのか、蓮は実に不思議な感覚を持ち、しばらくその場にいつくした。
 少しするとおじさんが、今度は今来た道を戻って行くのを感じた。
 蓮は、
――振り返られたらどうしよう?
 という恐怖を感じながらも、おじさんの姿を垣間見ないと気が済まなくなって行った。
 その場から少し身を乗り出しておじさんの背中を見ると、そのおじさんは一人だけで、息子の姿を見ることはできなかった。
――やばい――
 蓮は、おじさんがこちらを振り返るのを感じ、咄嗟に顔を隠した。
 一瞬だけおじさんの顔を見ることができたが、その顔は蓮の知っているおじさんの顔ではなかった。もっと若い、
――そう、息子の顔ってあんな感じなんじゃないか?
 と感じる顔だった。
 その顔が不気味に歪んだのを見たが、その表情を見た時から、その時に見た息子と思しき男性の顔を完全に忘れてしまった。つまり蓮は息子と思えるその男性の顔をまったく想像もできなくなっていたのだ。
 その日はそのまま何事もなく終わったのだが、
――何だったんだ?
 という思いを残して、おじさんはそれからしばらくしていなくなっていた。
 結局蓮はあの日からおじさんを目撃していない。しかも、おじさんの顔もすぐに忘れてしまった。そんなおじさんがいたのもかすれてくるくらいに意識からも遠のいて行った。だが、あの時におじさんの話した「ニワトリが先か、タマゴが先か」という話だけは鮮明に覚えていたのだった。
 蓮が催眠術に興味を持ったのは、まったくの偶然だった。あれは、学校の帰りのこと。たまたま立ち寄ったショッピングセンターのイベントで、マジックショーのようなものをやっていた。
 蓮は興味があったわけでも何でもなかったが、エスカレーターを降りてくる時に、その光景を見た。エスカレーターを降りてすぐのところにジュースの自販機があるのを知っていたので、そこでジュースを買って、休憩スペースで飲もうと思っただけだった。
 休憩スペースは比較的空いていた。その日は平日だったので、夕方近くと言っても、それなりの人しかいなかった。買い物に勤しむ主婦は、買い物を済ませるとそそくさと帰っていく。帰ってから夕飯の支度が待っているのだから、それも当然のことだった。
 マジックショーを横目にショッピングカートに買い物袋をいくつも載せた主婦が、足早に歩きながら、それでもショーが気になるのか、横目でチラッと見ながら通りすぎていくのが印象的だった。
――私も十年後にはあんな感じなのかな?
 と考えたが、十年後に結婚しているという保証もないし、それほど結婚に執着していない自分にふと気付かされた。
 まだ中学生の蓮に結婚をイメージすることは難しかった。結婚というとテレビドラマでの印象しかなく、いかにも幸せそうなイメージを抱くが、それはあくまでも結婚を儀式と考えるからで、結婚後の生活を考えると、これもドラマの影響か、ロクなことがないような印象しかなかった。
 ドラマというと、どうしても売れるものが優先される。幸せな結婚をして、そのまま幸せな生活がずっと続くと言うのでは、あまりにもインパクトに欠ける。結婚が幸せであっても、その後の人生に、夫婦どちらかの不倫であったり、仕事に行き詰ることで家庭に影響が出たりして、順風満帆でない方がインパクトがあるというものだ。
 そんなことを考えながらエスカレーターを降りてくると、急に疲れが出たのか、少し立ちくらみを覚えた。ジュースを買ってから、休憩スペースに腰を下ろし、自然と目は目の前のマジックショーに向いていた。
 しかし、別に興味があるわけではない。ただ見ているというだけだ。頭の中で何かを考えていたのだろうが、自分でも何を考えているのか分からない。普段も無意識に何かを見ている時はあるのだが、そんな時に何を考えていたのかは自分でも意識していたはずだった。
 しかし今回は何を考えていたのか覚えていない。
――自分が主婦になった時のことをさっき考えていたのは覚えているんだけど、そのことを継続的に考えていたようにも思うけど、違うような気もする――
 と思っている。
作品名:負のスパイラル 作家名:森本晃次