負のスパイラル
蓮は開き直ることで、これ以上落ちることはないと感じているのだろう。ただ、そのために生みの苦しみを味わう必要があり、それが精神的なブレとして、表に出てきているのだと思っていた。
そんな蓮は、次第にブレがなくなってきたが、その行きついた先は、睦月にとって、
「まさか」
と感じるところであった。
それが、わがままな性格であり、睦月の想像をはるかに超えていた。
ただ、蓮のわがままさを感じたその時は、まだ蓮が祐樹と付き合っているという事実を知らなかった。後から思い返すと、知っていたように思えていたので、睦月の記憶も蓮に掛かると曖昧になってしまうようで、蓮という女子の隠れた力の一つに、
「相手の意識を曖昧にさせる」
というものがあるのかも知れない。
そのことを自覚してからの睦月は、その時の蓮が、
「まるで保護色を使っているかのようだ」
と思っていた。
保護色というと、動物が自分を狙っている自分よりも強い動物から自分の身を守るための方法であり、弱肉強食の世界の中で生き残る一つのすべであることを示していた。
それは本能であり、無意識の元にしか存在しえないものだと睦月は感じていたので、相手を曖昧にさせる感覚が蓮にはあると知った時、わがままな性格の蓮も、自分の中で無意識だったのかも知れないと思うようになっていた。
蓮が誰に対しても聞かせてくれた話を鵜呑みにするのは、わがままな性格を前面に出している時だけであったが、そんな時の蓮は、明らかに自分に自信のない素振りを見せていた。
それは、相手が男性であれば、相手に蓮という女性が従順であるということを自覚させるものであった。
中には悪気はないのだが、相手が鵜のみにしてはいけないようなことを口走る人もいた。ウソではないのだが、余計な気を遣わせてしまうような言い方をする人であったり、余計な心配を抱かせる人であったりしても、蓮は信じてしまうのだった。
それを蓮は他の人にも話したくて仕方のない時があった。それは我慢できないものに発展するもので、無意識というよりも口が勝手に動くと言った方がいいだろう。
だが、蓮は言いたいことを言っているつもりでいるが、相手にはそのことがほとんど伝わっていない。なぜなら、その時の蓮の言葉は曖昧なもので、相手を煙に巻くというイメージがピッタリかも知れない。
蓮の、
「相手の意識を曖昧にさせる」
という行動は、無意識ではあるが、根拠のあることだった。
「無意識とはいえ、何かの行動をするということは、そこには何らかの意味や根拠が存在しているものなんじゃないかしら」
と、睦月が蓮に話をしたことがあった。
睦月は、
「あなたのことよ」
と心の中で呟いていたが、蓮にはまったく伝わっていなかった。
蓮と祐樹が親密になるまでには、それほど時間が掛かったわけではなかった。最初こそ、お互いに何を話していいのか分からずに、ぎこちなかったが、話が音楽に及ぶと、お互いに饒舌になっていった。
蓮と祐樹では、実は好きな音楽のジャンルが同じというわけではなかった。蓮が好きなのはクラシックで、祐樹はジャズだった。しかし、今風のロックやポップスなどと言った曲を好きではないという点においては共通していた。お互い自分の好きな音楽のジャンルのいいところを宣伝していると饒舌になってきて、相手を思う気持ちが薄れているかのように思えたが、実際には相手も興味を持ってくれて、それが会話に拍車を掛けたのだった。
「私は小学生の頃に音楽の授業で聞いたクラシックが単純に興味をそそるものだったので、そのままクラシックを好きになったのよ」
と蓮が言うと、
「僕は兄がジャズが好きでいつも聞いていたんだけど、僕もその影響で聞くようになったんだ。兄は中学に入るとサックスを吹くようになって、本格的にジャズの勉強を始めたんだ」
「今でもやってるの?」
「うん、高校に入ると友達とジャズバンドを組んで、デモテープを作成したりして、いろいろな会社に送ったりしているようなんだ」
「それはなかなか本格的なんじゃないかしら?」
と蓮がいうと、
「でも、なかなかものになるわけではないので、見ている方が気を遣うというか、複雑な心境だね」
「というと?」
「僕はずっと兄の背中を追いかけるようにジャズを好きになったんだけど、兄の顔をまともに正面から見ることができなくなったんだ。やっぱり気を遣っているからなのか、兄の前に回りこむこともできない気がしているんだ」
と、祐樹はいった。
「お兄さんは迷ったり悩んだりしているのかしら?」
「そうだな。悩んではいるようだけど、迷っているようには見えないかな? もし亜寄っているとすれば、後ろにいる僕の方を気にして見ようとするんだろうけど、そんな様子はまったく感じないんだ」
「一途というのかしら。私は羨ましい気がするわね」
「僕もそうなんだ。悩むことはあるかも知れないけど、迷うことなく何かに没頭するということは今までの僕にはなかったので、兄を見ていると、やっぱり自分は兄には追いつけないんだって感じてしまうよね」
という祐樹の話を聞いて、蓮はまたしても「五分前の女」の話を思い出した。
祐樹が見ているという兄というのは、その小説に出てくる五分前の自分のような気がしてくる。
じっと背中ばかりを見ていて、前に回りこむことができない。ただ、五分前の女は小説の上ではその存在すら、自覚することができない。すべては人から聞かされた話を事実として自分で受け入れられるかどうかというだけのことだった。
しかし、小説の中では、自覚できないにも関わらず、文体としては断定的な書き方をしている。
「いや、断定的に見えるのは錯覚であって、そう思わせるような文章が、作家のテクニックを感じさせるものではないか」
と感じていた。
小説の中では、五分前の女を見てしまうと、その話が完結を前に終わってしまうというニュアンスをずっと秘めた書き方になっていた。そのため、主人公には見えなくても、読み手には想像できるような文章が求められているように思えた。
実際に蓮も主人公の立場に立って、五分前の女を想像してみた。
「もし、前に回りこんでその女の顔を見てしまうと、どうなってしまうのだろう?」
小説の上では終わりになるようなのだが、蓮の想像上では、終わりになるわけではなかった。
「のっぺらぼうのような気がする」
蓮にはのっぺらぼうというのがどういうものなのかは分かっているつもりではいたが、顔がないということはどういうことなのか、想像できなかった。
「輪郭だけがあって、目も鼻も口も何もない。ただ顔面にそれと分かるような窪みや膨らみがあるだけなんじゃないかしら」
という発想は、想像できるだけの材料ではなかった。
以前ホラー映画で、のっぺらぼうが出てきたことがあったが、それはイメージそのものではあった。だが、それを自分から想像することができたのかというと、
「できるはずがない」
と答えることだろう。
蓮にとってののっぺらぼうと小説の五分前の女、そして祐樹にとっての前を歩み続ける兄の存在とでは、どこが同じでどこがどう違うのか、蓮は考えていた。