短編集66(過去作品)
ゾーンバランス
ゾーンバランス
身体が溶けそうに暑い日、ホットコーヒーを飲んだ。しかもとても苦く、胃の腑がひっくり返るくらいの気持ち悪さであった。暑い日にホットコーヒーを飲むのは賢治にとっては当り前のこと、冬の寒い時期に平気でアイスクリームを食べたりするくらいだった。
賢治がそんな行動を取るのは、精神的に落ち着かない時が多かった。夏になるといつもホットコーヒーを飲みたくなるのは、それだけちょっとしたことで、落ち着かなくなる自分を意識しているからかも知れない。
特に今年の夏は、賢治にとっていろいろなことが多すぎた。やっと大学を卒業し、某食品メーカーの開発部への就職が決まったかと思うと、内定取り消し。世間では珍しくないことではあるが、さすがにショックは隠せない。
茫然自失に陥った賢治だったが、まるで他人事のように思っていた。我に返るのが怖く、誰かと話すのも億劫であった。人と話すことで気が紛れるようであれば、自分から話をするが、きっと愚痴しかこぼさない自分が想像できたのだろう。
賢治は自分のことであれば、先の想像することができた。もちろん、相手あってのことなので勝手な想像であるが、都合の悪いことであれば、他人事として見るので、却って冷静に見ることができるのだ。
都合のいいことは都合いいようにしか判断しない。それ以外のことを考えようとしない。したがって、人には気を遣っていないようにしか映らないだろう。
大学を卒業してから、大学院へと進学した。大学時代は友達も多く、大学生活を人並みに謳歌していた。会話が苦手だったわけでもないが、三年生くらいになってから、まわりの変化についていけなかった。
最初から大学院で研究する意志だった賢治とは違い、就職活動を間近に控えた連中から見れば、賢治は甘く見えていたことだろう。だが、賢治としても、自分一人だけがまわりと違う心境でいることが辛くてたまらなかった。
他の連中から見られている意識は誤解であることを賢治は分かっていたのだが、それを説明する術を知らなかった。今でもその時になればどうしていいか分からないだろう。年月を重ねることが、必ずしも成長しているとは限らない。
「同じ状況に陥って、その対処法をいかに克服するか。それが成長の証というものなのだよ」
と、説明をしてくれた教授がいたが、まさしくその通り、だが、まったく同じ状況ということはありえない。まわりの人間に違いがあるのは当り前だが、自分が同じ人間であるはずがないからである。
――次の瞬間には、自分が自分ではなくなっている――
というのは、賢治の持論で、余計に一つでも何かを考えれば、その瞬間から違う人間に変わっていると言えるだろう。
以前に戻っているかも知れない。グルグル廻って、行きつく先は最初と同じところだったなどというのもありではないかと考える。そこからまた違った道が開けるのであって、どの時点からでも道が無限に広がっているのだ。同じ場所に戻ってくるのは、偶然かも知れないが、自分だからできること。だが、それに気づかない人もいるかも知れない。いや、気づかないというのこそ偶然ではなく、見えない何かの力に操られているという考えも決して無理のないことである。
賢治が入った喫茶店の壁には、いくつかの絵画が飾られていた。最初は気にしていなかったが、どの絵も同じに見える。絵は八枚飾られていたが、よく見れば見るほど、同じに見えて仕方がなかった。
だが、明るさが若干違っていることにしばらくすると気づいた。明かりの当たり具合ではないかと思ったが、そうでもないようだ。絵は油絵で、立体感を表すために影を巧みに描いているが、影が逆に錯覚を生んでいる。それも作者のテクニックの一つなのかも知れないが、そう考えると、八枚の絵がワンセットで一つの芸術ではないかと思えてきた。
影は強弱で表わせるだろう。強弱は影が影響しているとすれば、強弱は距離と微妙な関係を持っているに違いない。絵画はバランスが大切だというが、バランスこそ距離感である。影がバランスを形作っているのだ。
視線はどうしても中央に集中する。一枚の絵を中心に、中央を眺めていると、立体感が浮かび上がってくるようだ。浮かび上がってくる景色をさらに中央から抉っていくと、中央からどんどん奥に押されてきて、まるで蟻地獄の穴のようだ。
せっかく見えた立体感が抉れてしまい、遠近感が失われてしまった。思わず瞬きしてしまい、さらに見つめると、焦点が合っていないことに気づき、焦点を合わせようとする。すると、まったく違う雰囲気の絵に見えてきて、最初に暗く感じていた絵であれば、明るく感じ、さらに明るく感じた絵であれば暗く感じる。それは八枚の絵が瞬きした瞬間に、一瞬にして入れ変わってしまったかのようであった。
大学時代に付き合った女が絵画に造詣が深かった。絵画に興味のなかった賢治だったが、何度か美術館に連れて行かれる間に、興味はなくとも、絵画をどのように見るかくらいは分かってきた気がしていた。
絵画に必要なのはバランスである。バランスがあるから距離感がある。距離感の微妙な変化は見る角度によって違っている。その違いがまたバランスを感じさせ、立体感として目を楽しませる。
本当は楽しませるというよりも、欺いているのかも知れない。見る者に目の錯覚を起こさせ、そこに楽しみを植え付ける。もっとも、芸術と言うものはそんなものなのかも知れない。
「小説で大切なのは、距離感さ。主人公と登場人物との距離感、それが文章を生かすんだ」
という作家先生がいたが、芸術全般に言えることなのだろう。
賢治は絵画を見ながら考えていた。
――俺は芸術家肌ではないが、どうして今日は芸術的な気分になるんだろう。どこか、逃げ出したい気分になっているんだろうか――
研究所に入所してから、榊田教授の元、物理学を研究している。それも次元の研究で、四次元についての研究といってもいいだろう。あまりにも漠然とした研究で、時々賢治もついていけなくなる。
大学院を卒業すれば就職するはずだった計画が狂ってしまった時から、人生の歯車も狂ってしまった。そうなれば、藁をもつかむ気持ちで榊田教授の元を訪れると、
「それなら、私の研究を手伝ってくれないか」
研究所に残るということで、少ないが給料も出る。とりあえず、就職活動の合間でもいいという話だったので、教授の手伝いをすることになった。
教授の研究は、忙しい時は二日や三日、徹夜になることもあったが、そうでもない時は、余裕で就職活動ができる。ただ、研究に没頭してしまうことが精神的に身体を蝕んでいる不規則な生活が知らず知らずに賢治を追い詰めていることに、本人は気付いていなかった。
――教授の研究は確かに理論的には可能なものがあるが、実際的にこのまま続けていても大丈夫なのだろうか?
と考えさせられるものだった。
最終的に行きつく先がタイムマシンであることは分かっている。次元の研究と言うのはそういうことなのだ。
――タイムマシンの研究――
作品名:短編集66(過去作品) 作家名:森本晃次