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短編集66(過去作品)

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 その考えを母親の行動がことごとく覆すことになることを口惜しいと感じた。
 それが母親の優しさだけにやり切れない気持ちになるのだが、その時はそのことに気付くことはなかった。
 しかし、すべては自分で撒いた種。誰のせいでもない。佐吉にしてみれば、自分の存在価値を示すことができなければ、生きている価値がないとさえ思っていた。
「どうして勉強しなければならないか?」
 と聞かれて、素直に楽しいからだと答えておけばいいだけなのに、心の中では優越感といういい知れぬ快感に嵌っていた。優越感は目に見えるものではないだけに、興味をそそる。だからこそ、苛められても、優越感をひけらかすことをやめようとしなかった。それが自分の存在価値でしかないと心の中で割り切っていたのかも知れない。
 それでも、小学校を卒票して、最初の同窓会に出席した時には、自分を苛めていた連中からも話しかけられた。勉強が好きだったことと、クラスメイトと離れたいという気持ちが合致して、佐吉は私立の中学受験の道を志していた。
 試験には合格し、晴れて私立の中学に入学したが、次第に面白くなくなってきた。それは、今まで感じていた優越感に浸れなくなったからだ。
 優越感というものと、目立ちたいという気持ちだけを感じながらの中学から高校時代というのは、あまり明るい時代ではなかった。
 好きな勉強をもっとしたいという思いだけで中学受験し、合格した。そこまではよかったが、まわりは皆自分と同じ勉強が好きで、さらに同じ試験をパスしてきた連中だ。
 小学生時代は成績がよくても、中学に入れば優等生の集まり、その中での自分のランクがどの程度なのか分かりかねていた。
 最初からそんなことは分かっていたはずだった。受験を志した最初の頃は、そんな環境の中でも自分が先に出ることに勇猛果敢にアタックすればいいはずだった。
 そんな気持ちをいつの間にか忘れてしまっていた。勉強ばかりしていると、勉強をこなすことに自信が生まれていた。勉強の積み重ねが受験突破に繋がり、
「やはり自信は大きかった」
 と、それこそ有頂天にさせられた。
 しかし、あれは自信ではなく、安心だったのだ。
 勉強を重ねるのは自分が安心を求めていることに気付かずに、それを自信だと思い込んでいたということは、創意工夫がなかったことを意味している。
 基本的な問題や、暗記物には強いが、応用になると、まったくダメだった。そういえば、理科や、算数の計算問題はよかったが、国語や算数でも文章題はあまり得意ではなかった。
 文章をしっかり読まないのである。
 どうしても焦ってしまって、先に設問から目を通してしまう。それから文章をしっかり読めば、それなりに読解力を発揮できるのだろうが、文章をまともに読まなかった。
 テストには時間制限がある。時間配分に戸惑ってしまうというよりも、最初から時間を度返しして、先に進みたくなってくる。文章を読んでいると、精神的にきつくなるのだ。
 安心感がなくなってくる。それにより、最初からあったはずの自信がなくなるということが怖かった。自信など最初からないもので、しかも試験の途中とはいえ、そんなに簡単に剥げてしまう自信などはガラスのように脆いものである。そのことにずっと気付かないでいた。
 猛勉強をしていた連中には得てして同じような気持ちになる人もいるようだ。なぜか中学でも高校でも佐吉の近くには落ち着きのない連中が集まってくる。
「そうだ。俺は落ち着きがないんだ」
 そう思い知らされた。
 まわりを見て自分を思い知らされるということに気付いたのだが、それもいいことだとは思わなかった。
 余計に自信は喪失し、そこから新しい自信を生み出せばいいだけなのに、そんな気力も失せていた。
 入った中学は高校までの一貫教育で、高校にはストレートで進級できたが、男子校だったことが、佐吉にとって、高校生活を暗いものにした。いや、暗いというよりも、閉鎖的だったといえるだろう。暗いと思ったのはまわりから自分を見た時で、実際には自分の中では妄想の期間でそれほど暗いとは思っていなかった。
 結婚したのは、社会人になってから五年が経っていた。結婚したい相手はそれまでにいたのだが、うまく行かなかった。
「今でもその人を一番愛している」
 と言い切れるほどの人で、今までに一目惚れがなかった佐吉にとって初めての感覚だった。
 その人が後にも先にも一目惚れした唯一の一人で、結婚が叶わなくなってから、他の人を好きになることに慎重になっていた。
「怖がっていたのかも知れない」
 実際にその人とは一緒にいるだけでもよかった。後から思えばいつも喧嘩ばかりしていたように思う。最後は佐吉が折れるのだが、最初の頃はお互いに一歩も譲らなかったので、佐吉が歩み寄ろうとしても、なかなか難しかった。それでも佐吉の気持ちを考えてくれるようになってからか、彼女のたがは次第に外れて行った。
 喧嘩の原因はその時々で違っていたが、抱きしめると最後は大人しくなった。すぐに頭に昇って、瞬間湯沸かし器のようになっていた。
 佐吉にとって、
「彼女と一緒にいるだけでいい」
 と感じる瞬間は、彼女を羽交い絞めにして抱きしめた時だ。
 暖かさが身体に伝わってくると、抱きしめることが快感になる。そのことを彼女が教えてくれた。
 それでも一年は続いただろうか。
 一年という月日が長いのか短いのか分からない。ただ、一緒にいるだけで暖かな気持ちになれるのが嬉しい時間は何者にも変えられなかった。
 最後は罵り合いになって別れた。
「あなたと一緒にいるのが嫌なの」
 この言葉で身体中の力が一気に抜けていった。
「何でそんなことをいうんだい」
 一緒にいるだけで嬉しかったはずが、早くその場を離れたいとまで思わせたのだ。
 それでも
「ここで離れたら、もう二度と修復は不可能だ」
 と感じたので、そこから離れることを嫌い、ジレンマに陥っていった。
 結局別れることになり、
「彼女も楽しかった頃のことを落ち着いて思い出せば、気持ちが変わるだろう」
 と佐吉は思い、少し自分も落ち着いてみることにした。落ち着いてくればくるほど、その気持ちは強くなる。
 だが、一向に彼女からは何もアクションを起こさない。佐吉も自分から声を掛けようとは思わなかった。それは初恋の人の時での失敗がトラウマとして残っているからであった。
 無理をして付き合っていた。しかし、それだけに印象も深かったに違いない。別れを告げられてからの落ち込みは、今までの人生の中でも一番の鬱状態だったに違いない。
 そんな時に出会った女性、彼女にも最初から予感があったようだ。予感があったからというわけではないが、内緒ごとすることを拒んだ。
 佐吉は一生懸命に相手をしているつもりでも、どうしても前の彼女と比べてしまう。これからの自分の人生はイミテーションのようなものだと思っているからだ。
 実際にデートをしていても、同じシチュエーションに知らず知らずになっていることに気づかず、
「どうして、こんなに悲しい気持ちになるのだろう?」
 とさえ思ったほどだ。
作品名:短編集66(過去作品) 作家名:森本晃次