短編集66(過去作品)
冬になると、夢を見ることが多くなる。寒さのせいで、布団を着込んで寝るのだが、それが寝ている間に圧迫を掛けるのかも知れない。布団程度の重さでも、夢に入っていく時の次第に力が抜けていく瞬間には、かなりの重たさになるのかも知れない。
また実際に見ている夢は一瞬のものではないかと思っているが、夢の世界に入るまで、つまり現の世界で意識が遠のいていく間というのは、かなりの長さを要するのではないだろうか。かなり疲れている時、一度電話で起こされたことがあったが、結構深いところまで眠りについたのではないかと感じた時、朝方だと思って疑わなかったのだが、電話を取る前に時計を見ると、眠りについてから、二時間ほどしか経っていないことに驚いたものだ。
眠りに入る瞬間までの過程がどのようなものか分からないが、夢を見るための潜在意識の掘り起こしが、夢にたどり着くまでに繰り広げられている。それなのに実際に見るのは一瞬だということは、覚えていないのも仕方のないことかも知れない。
勝負や芸の世界では、舞台に上がるまでにすべては終わっていると言われるが、そのことを思い出していた。
夢の中で紀子は男に抱かれている。紀子はその時の自分の顔を想像しているが、男の顔が思い浮かんでこない。よほど、想像もつかないことなのだろう。それに比べて自分の顔は思い浮かんでくるのである。
その表情は今までに鏡で見た表情とはまったく違うものだ。
――本当にこれが私?
と思うほどで、男に対して全幅の信頼を置いているせいか、目は半分閉じていて、何をされても構わないというほど無防備で、甘ったるい雰囲気が醸し出されている。ここまで自分が変わるものかと思う。よく見てみると、鏡で見る自分の顔とは似ても似つかないように感じるが、それでも自分なのだ。
相手が誰であれ、媚を売るなど今までの自分では考えられなかった。媚を売ることと全幅の信頼を寄せることは同じことだと思い、決して人にすべてを委ねるなど、考えられなかった紀子は、夢の中では別人なのだ。
だが、夢の中で自分に、今紀子は憧れている。この顔は自分の知らなかった自分であり、新しい発見をしたことを、新鮮な気持ちで受け止めなければならないのだろう。だが、それを許さないのは、紀子のこだわりであり、そのこだわりは相手の顔が分からないことで、許せないのである。
現実の紀子は夢の中の自分に憧れ、夢の中の自分は、現実の紀子に憧れているのではないだろうか。そう思うと、いったい本当の性格を出しているのはどちらの自分なのだろうと考えてしまう。二重人格ではないと思っているが、憧れの存在がそれぞれにあるということは、極端な性格だけが表に出ているだけに違いない。
平均的な性格に憧れないわけではない。ただ、平均的であれば、目立つことはない。かといって平均的でなくても、実際に目立つことはない。自分の性格をうちにも外にも示すにはそれを引き出してくれる人の存在が必要だ。そういう意味で、彼氏がほしいと思うことはあった。
彼氏とは自分が全幅の信頼が置ける男性でないと意味はない。ただ好きだというだけでは、それが本当の気持ちなのか分からない。好きという感覚が新鮮なものであれば、全幅の信頼を置ける相手である可能性は強いが、なかなか難しいだろう。
探そうとして探せるかどうかというのも疑問である。下手に動くことなく待っている方が新鮮ではないだろうか。動くことで自分の中に迷いが生じたり、自分を見失ってしまうのではないかと危惧しているが、それだけ新鮮さを求めるというのは、デリケートな部分を含んでいるように思えてならないのだ。
夢の中に出てくる男性の顔を紀子は覗き込もうとしない。怖いという感覚もあるが、夢に出てくる紀子自身の顔も確認しようとはしない。夢に出てくる自分を意識することは今まで見た夢での経験上、恐ろしいことだった。
夢に出てきた自分を夢から覚めてからも覚えている。覚えている夢というのは、怖かった夢が多い。しかもそれは、冬が多かった。眠りに就く時は気持ちよく、きっと夢に入る時もその気持ちよさの余韻で夢を見ているのだろう。ここまでは最高のシチュエーションなのに、気の緩みでも生じるのか、目が覚めると、ぐっしょり汗を掻いていて、夢の内容が恐ろしかったとして、断片的な記憶が残ってしまう。
残った記憶に鮮明なのは、自分の顔。恐ろしい形相でしか記憶にない。それでも意識がハッキリしていくうちにその表情はおぼろげになり、最後には自分の怖い顔を見てしまったという意識が残るだけだった。
夢だけで終わっていたはずなのに、自分の顔を忘れられない時期が出てきた。頻繁に夢を見る時期で、その頃には、
――彼氏が本当にできるかも知れない――
と思うようになっていた。
だが、それでも彼氏の顔が思い浮かばない。自分がどんな男性が好きなのか、ハッキリと意識できないからであろう。
子供の頃から初恋すらしたことがない。それに男性から好かれたという記憶もない。もし、紀子を意識している男性がいたとすれば、少しは気が付いたかも知れないのに、それもない。男性を見ていて、魅力を感じる人もいなかった。
優しそうに見える人はいたが、甘えさせてくれそうな人はいなかった。男性相手であれば、緊張してしまいそうな気がしていたので、男を見る時も、緊張しながら見ていることもあって、素直に見えていなかったのかも知れない。
そのため、自分から男性に甘えたいという気持ちを封印していた。封印することで、夢の世界と現実との壁を作っていたのだろうが、それが災いしてか、お互いの自分を意識してしまっていたのだ。
恋愛の経験もあまりないのに、結婚しろとはあまりにも乱暴である。母親の無責任な発言には怒りを通り越して、呆れるしかない。しかも、今までは結婚などよりも、まずいい会社に入ることを最終目的にしていたはずなのに、結婚しろとは、矛盾していると思われても仕方がないのではないかと紀子は思ったのだ。
結婚と仕事は切り離すべきだと紀子は思っている。結婚してから仕事を続けている人もいるが、紀子は少し自信がない。一つのことに集中してしまうと、他が見えなくなることがあるからだ。
それは母親とて同じかも知れない。
母は、結婚してからずっと専業主婦を続けていた。子供が落ち着いてくると、パートに出かけることもあったが、それも定期的なものではなく、時期を見計らってのものだった。細かいことでは多重での行動は問題ないが、主婦業と仕事の両立というような大きなことはそれぞれに集中力が欠けてしまい、両立は不可能だと思っている。
だから、母が結婚しろという言葉の裏には、仕事を辞めてしまわなければいけないことを示唆している。紀子は仕事が好きだというわけではないが、一生懸命に勉強して入った会社だという自負もある。それに母親の期待に応えたと思っているのに、それを中途半端なところで、結婚という道を選べというのは、納得のいくことではない。
作品名:短編集66(過去作品) 作家名:森本晃次