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短編集66(過去作品)

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 家を離れて一年以上が経つ。紀子は彼氏はいらないと思うようになって久しいが、さすがに寂しさは否めなくなっていた。一日で一番好きな時間は寝る前で、一番嫌いな時間は起きた時と思っているが、心の中に現実逃避があるのと、肉体的にも精神的にも疲労が蓄積している証拠だと思っていた。
 仕事中は早く仕事を終えて部屋に帰りたいと思うのだが、仕事が終わってから、実際には部屋に帰ると思うと、憂鬱な気分に陥ってしまう。想像は自分が考えているよりもいつも大げさで、楽しいことも辛いことも、実際に訪れてみると、さほど感情が籠るほどではない。最初から大げさに考えておくのは紀子のくせで、いざとなった時に辛さを和らげるためには、最初から大げさに考えておけばいいだろうという考えであった。
 頭の回転の速さと、諦めの境地が、紀子の思考回路に影響を与えているが、所詮は無難にイメージしようと無意識に考えてしまう。自衛本能が働いているのだが、余計なことを考えるのは体力と時間の浪費でもあった。
 考えることは嫌いではないはずだが、最初から結論などでないもので、考えれば感がるほど堂々巡りを繰り返し、泥沼に入っていくこともある。特に最近は原因と結果だけが目立ってしまってプロセスを考えない傾向にあった。頭の回転が速いというのも、困ったものである。
 仕事が終わり、帰りのコンビニで買い物をする。最初はスーパーで食材を買って、帰ってから料理をしていたが、最近ではコンビニで出来合いの弁当だったり、惣菜を適当に買い込んでくる。たまにはいいと思っていたことが、最近はそれが当たり前になっていた。
――いろいろなものを食べれるからいい――
 と、コンビニで冷蔵のショーケースがまるでバイキングでもあるかのように思え、選ぶのが楽しい時期もあったが、それも三日しか続かなかった。
 気持ちは切れても、行動はマンネリ化してしまった。たった三日でマンネリ化もないものだが、本人の意識では三日ではなかった。一か月近く、惣菜の買い出しが好きだったのだ。
 買い込んだものを手に、マンションの部屋のカギを開ける。この瞬間から先に待っている虚しさを知りながらも、カギを回すまでは、一人の世界に浸れることを楽しみにしている自分がいる。前の日と何ら変わらぬ平凡な日であるにも関わらず、何かが扉の向こうで待っているような気がして、少しドキドキしてしまう。
 実際には虚しさだけが待っているのだが、紀子の気持ちの中には、違う感覚が芽生えている。ただの希望的観測に他ならないが、扉の向こうには普段隠そうとしている欲望が待っている気がするのだ。
 欲望という言葉は、世間一般ではあまりいい言葉ではない。しかし紀子は、欲望という言葉に感慨深いイメージを持っていた。想像が妄想に変わる時、そこには欲望がエッセンスとして盛り込まれる。妄想という言葉も、あまりいいイメージはないが、妄想は想像よりもリアルに頭の中で浮かび上がっていくものだ。それだけ現実味を帯びたものなのかも知れない。
 想像が現実味を帯びてくると、せっかく切り離した夢と現実をさらに近づけようとしている。ある程度の距離があってこそ存在することのできる夢と現実、それが妄想によって、リアルな感覚に近づいてくることで、事実がどこまでなのか分からなくなるだろう。記憶が曖昧になってきていると言っても過言ではないのだ。
 部屋の明かりをつけるまでは、言い知れぬ寂しさが襲ってくるが、明かりをつけることで、何が寂しいのか分からなくなる。だが、明かりがついて感じることは、部屋が何の変哲のないことでホッとしている自分と、何かを期待している自分の両方を感じる。
 一人暮らしを始めた時、部屋に帰るのを恐怖に感じた時があった。朝出かける時とどこかが変わっているような気がしていた。扉の電気がついて部屋を見渡した時、人の気配を感じた。誰もいるはずのない部屋なので、気のせいだと思った瞬間、思わず笑いが出たのだが、その時の声は明らかに自分ではなかった。自分の声帯が震える前に笑い声が聞えた気がしたのだ。
 思わず身体が硬直してしまった。梅雨の時期だったので、湿気を帯びた生暖かい空気が顔に当たった。誰かの息吹にも似た声が、耳を通り抜けていったのだが、その声は男の声で、声自体に湿気を帯びているのを感じることで、空耳ではないと思うのだった。
 背筋に寒気を感じたが、それと同時に汗が滲んだ。一気に冷えた気がするのだが、それこそが冷や汗というものではないのだろうか。部屋の中には紀子の生活の中で感じることのない臭いがあった。それが男の臭いであることはその時の紀子には分からなかったが、身体にまとわりつく湿気が次第に嫌ではなくなってきた。何かに包まれている感覚は気持ち悪さよりもたくましさを感じるのだった。
 男を知らない紀子は、知らないことへの焦りがないと言えば嘘になる。嘘はつきたくない性格であるため、紀子がまだ処女だということは、話題に出さないだけで、誰もが知っている。知られていた方が安心した気分になるのはどういう感覚なのか、自分でもよく分からなかった。
 勝手な想像をされるのが嫌だというのが一番の理由であろう。想像が妄想になってしまうと、尾ひれがつくことで、自分が知られたくないことよりもさらに想像をされるのが嫌なのだ。
――一番自分に対して妄想を抱いているのは、何を隠そう自分自身だ――
 自分のことは誰よりも自分が知っていて、さらに知らないことも多い。知らないというよりも見ることができないものが多いということだ。鏡などの媒体を使わないと、自分の顔が見れないのと同じである。
 声などは特に録音しなければ聞こえない。録音して聞いてみると感じている自分の声とは雲泥の差があるのだ。
 部屋に入ると誰かがいた形跡を見つけることは、それまでにも何度かあった。そのたびに、
――いちいち覚えていなからな――
 と、その時の感覚が同じものだったのかが定かではない。元々魑魅魍魎の類を信じているわけではないが、分からないことを超常現象で片づけることをいとわない紀子には、意識しないように心がけるしかなかったのだ。
 ただ、もう一人の自分が存在するのではないかという意識はある。というのも、夢を見る時、怖い夢として記憶していたもののほとんどが、自分に見られたことが恐怖の原因として残っているものが一番多いのだ。
 自分が追いかけてくる夢を見た。逃げても逃げても逃げられない。なぜならもう一人の自分はどこへ逃げても行先は分かっているのだ。もっとも夢の中でどこに逃げようというのだろう。夢の中に出てくる世界は、知っている世界であっても、自分が望んでいる世界とは限らない。ただ、潜在意識の中で強いイメージとして残っているものが出てくるものなのだろう。
 夢の中でどれほどインパクトの強いものを見ても、目が覚めればほとんど覚えていない。それはきっと夢を見る時間に影響しているのだろう。夢とは目が覚める一瞬で見るものだと聞いたことがある。それだけに目が覚めて覚えていないのは、夢というものが潜在意識の凝縮であることを示しているからだろう。
作品名:短編集66(過去作品) 作家名:森本晃次