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短編集66(過去作品)

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 毛嫌いしていることに気づかないはずもない。それなのに紀子を嫌いにならないということは、よほどの鈍感か我慢強いのか、それとも、嫌われていることを嫌われているとっ感じないのかである。感じないとするならば、逆によほど相性がよかったのかも知れない。
 男性と付き合うことが時間の浪費であるかのように思ったが、余った時間をどのように使うかも決まっていない。いろいろなことを知りたいと思い好奇心旺盛なはずなのに、何を知りたいのかがハッキリしない。漠然としているわけでもない。漠然としているというのは、知りたいものが存在するということだが、紀子にはそれすらハッキリとしないのだ。
 短大に入った時は、高校時代にできなかった勉強をしたいという気持ちが強かったはずだ。大学に入ると遊びやアルバイトに夢中で勉強しなくなる人はいるが、紀子の場合、遊びも中途半端、決まったアルバイトをしているわけでもないのに、勉強をしようという気力がどんどん消えていった。
 消えていくのが分かるのだ。一度、しょうがないと思ってしまうと、それ以上の気持ちは起こらない。それを世間一般には妥協というのだ。
 ある程度の妥協は紀子も仕方がないことだと思っているが、すべてに妥協してしまったら、何を目指していたかを見失ってしまう。その思いは高校時代から続いている、一生懸命に受験勉強をして入学した学校なのに、入学することに満足してしまって、後は惰性となってしまっては何にもならない。このことは卒業して分かったことだ。
 決して紀子は自分が頭の悪いタイプだとは思っていない。むしろ頭の回転は速い方ではないか。頭の回転が速すぎて、感情が後からついてくるためにすべてが惰性になっているのではないかとも感じた。頭の回転が速いことは取り柄であり、逆に速さのために他のいい面を犠牲にしているのかも知れない。
 短大時代の紀子は、頭の回転が速いことを恨めしく思っていた。人の遅さについていけなくなってしまっていたのだ。だから、ノロノロしている人と一緒にいることがストレスにつながるようになったのもそのせいで、人を寄せ付けない雰囲気をまわりに醸し出しているようだった。
 母親がどうして紀子に結婚を強く勧めるのかは、そのあたりに原因もある。結婚すれば変わるだろうという気持ちと、紀子の本心は結婚したいと思っていて、いい男性に巡り会わないからストレスを抱えていると思ったのだ。
 半分は間違いではないが、半分は違っている。紀子のストレスはブレンドされたもので、その根底にあるものは一つであろう。それが何かを理解して解決しなければ、いつまで経っても平行線は交わらないのだ。一旦どこかでよじれた線は、時系列で遡って解決しないと、ブレンドしたままのストレスは、ただ捩れるだけで最後は絡まってしまうだろう。
 紀子が一人暮らしを始めたことに一番危惧を感じた母親には、そのことが分かっていたのかも知れない。
 何事もいい会社に入るために勉強が一番だと言っていた母が、結婚を一番だと口にするのは、絶対に矛盾している。それを考えるから、結婚に対しては二の足を踏んでしまう紀子だった。そのために自分には男運がないと思っている紀子だが、どうもそのあたりに男性と付き合うことへの偏見があるようだ。
 男性と付き合うのは決して時間の無駄ではないし、何よりも年齢相応の付き合い方もある。しかも母親から言われていた勉強も中途半端で、就職も期待されていたのとは雲泥の差であった。
 すでに就職に関しては母親も諦めていたし、本人もいい会社など望めないと思っていた。いい成績を収めて一流企業に入って何になるというのだろう。そもそもいい会社というものの定義づけがよく分からない。
 一流企業と言われるものがどういうものなのかと言われれば、何と答えるだろう。名前の通った会社? 果たしてそうだろうか。全国で名前が通っているとしても、それは宣伝に力を入れているところで、確かに宣伝費も掛かるだろうが、会社存続の絶対条件が知名度であるとすれば、宣伝は死活問題である。
 しかし、大企業でも有料企業でも、地道な会社もあり、宣伝ではなく、業界の信用で勝ち組に含まれている会社もたくさんある。名前を知られていないだけで、宣伝の必要もないので、宣伝費を会社運営にまわすことができるのだ。
 また、大企業であったり、全国展開をしているだけがいい会社ではない。地元に根付いている会社の方が、地元に浸透している分、信用と安心がいい会社としてのイメージを醸し出している場合もある。
 一時期、大企業が音を立てて崩れ去るかのように、倒産や破たんのニュースが毎日ブラウン管を賑わせていた時期があった。母親も真剣にニュースを見ていた。そんな時は、紀子に勉強しなさいとはさすがに言えない。それも記憶に久しい昔の話であった。かろうじて覚えているのは、母親のその時の真剣な表情。ただ、後悔や反省の表情ではないような気がする。ほとぼりが覚めたら、またいつものように口やかましくなったからだ。下手をすると、さらにひどくなっていたかも知れない。
 ヒステリックになった頃、母親が少し家の中でコソコソとし始めた。そのわりには、急に元気になって張り切ることもあったのだが、何かのきっかけで、喜怒哀楽が激しくなったようだ。
 怒っているところのイメージが強いが、哀しさの裏返しだと思うと、心当たりがないわけではない。父親の帰りが遅くなることが増えたからだ。
 元々目立たない父親が家にいなくても、紀子にはそれほど意識はなかった。だが、普段からわざと家で目立たないようにしているのだと気づくと、複雑な気分になった。相手は父親、男として見たことのなかった自分に気が付いたのは、母から罵られて、黙っているだけだと想ったら、下を向きながらニヤリと口元が歪んだのを見た時だ。
――明らかに笑っている――
 その笑いは笑顔ではない。いやらしさがあるわけでもない。ただ、誰も知らないことを自分が知っているということにしたり顔をしているというイメージだ、きっと普段の父親からは想像もしないような裏の顔を持っているに違いないと感じた。本当であればいやらしさを感じるものだが、母親に罵られながらという異常なシチュエーションに、却っていやらしさを感じることはなかった。
 罵られながらほくそ笑む姿は、決して気持ちのいいものではないが、普段の父親から見れば余裕が感じられ、その余裕を誰にも知られないようにしようという考えが父親の本心を垣間見ることのできるものだと思った。
 父親にしても母親にしても、結局は自分のことしか考えていないのだ。母親はしきりに世間体を気にしている。そんな母親にウンザリしているせいか、父親も自分の世界に余裕を求めている。
 だが、母親が世間体を気にしているのは、半分は父親のためでもあった。女性は三行半だという。心のどこかで夫に遠慮があり、言葉では罵りながらも、それはしっかりしてほしいという気持ちの表れだ。どうしても分かってもらいたいと考えるあまり、ヒステリックになってしまい、それを目の当たりにすると、表面しか見ることができず、なかなか気持ちの本質にたどり着くことが難しくなる。
作品名:短編集66(過去作品) 作家名:森本晃次